第62話 妖の心


 「歓迎……するぞ……」


 カジカは鼻血の流れ落ちる無様な顔で、亞夢に笑いかけようとする。

 しかし亞夢は突然カジカに背を向けると、リンデル達に向き直った。

 

「亞夢……?」

 

 カジカがその背中に声をかける。

 

「あぁぁうぅ……!」

 

 それでも亞夢は振り向かなかった。

 

 亞夢は腰をスッと落とし、獲物を狙う獣のように構えた。

 リンデルに向かって。


「……亞夢、お前まさか……」


 カジカの胸がどくんと、跳ねた。

 

「……なんだこいつ……」

 

 リンデルがつばを吐き捨てながら、亞夢に向かって構える。

 

 次の瞬間。

 

 亞夢が音もなく動いた。

 リンデルの横でうずくまっているサーベルタイガーに、低い姿勢のまま飛び込んだのだ。

 

 ――バキャァ。

 

 派手に割れる音とともに、何かが宙を舞っていた。


 サーベルタイガーだったものの一部が、リンデルの前にバラバラと落ちる。

 

「うぇぇぇ!?」

 

 リンデルが腰を抜かした。

 亞夢は血濡れた手を下ろすと、ゆっくりと、リンデルの方へと向き直る。

 

「ひぃぃ……」


 リンデルは真っ青になりながら、懐で何かを探し始める。

 

 スタンが切れたカジカは、ここで第十位階HP回復薬ポーションを摑んで自分にかけた。

 

 HPが3割まで回復する。

 

「殺す」

 

 カジカの口から呪いの言葉がついて出る。


 再び第十位階HP回復薬ポーションを使用したカジカは、全快まで待たずに、アルマデルの契約を開始した。

 

「――あった! あったぞ!」

 

 その時、リンデルが白く輝く球を取り出し、掲げた。

 帰還リコールの球に似ているが、それとは輝き方が全く別物であった。

 

 祝福帰還リコールである。

 

 祝福帰還リコール帰還リコールの上位アイテムで、帰還リコール可能なエリアであれば、どのような状況からでもたった一秒で離脱できる。

 

 デスゲーム化してからは非常に高値で取引されており、司馬が今回の危険な業務のために授けたものであった。

 

 カジカは逃すまいと、短剣を取り出す。

 しかしカジカの状態では取り出した短剣は重たく、手から滑って地に落ちた。

 

 亞夢も黒豹のように素早くリンデルに近づく。

 しかし突然強大な光に包まれたリンデルを見て、後退した。

 

「白豚! 次は絶対殺してやるぞ! アハ――」

 

 リンデルの笑い声は、中途で途切れた。


 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇

 

 


 何も聞こえなかった。

 

「……」

 

 俺はもう、全身から力という力が抜けていた。

 アルマデルになった姿で。

 

 せっかく亞夢が作ってくれた好機だったのに。

 

 ふと見ると、亞夢が閉じられた目で少し離れた所に立ち、俺を見ているようだった。

 今は手を静かに下ろし、構えを解いている。

 

「……亞夢」

 

 俺は立ち上がると、亞夢へと近づく。

 

 腑抜けている場合ではなかった。

 亞夢のおかげで助かったのだ。

 

「亞夢。ありがとう。命拾いをした」

 

「あうぅぅ……」

 

 亞夢の唸り声は、いつもと違って怒気をはらんでいない、静かなものだった。

 亞夢は目を閉じているが、俺を見ているのがわかった。

 

「あいつは俺の復讐相手なんだ」


 俺は亞夢に、リンデルという人間との関わりを話した。

 シルエラとのこともすべて。

 

「……」

 

「あいつは俺の復讐相手だ。……絶対に殺す。君にとっての祈祷師みたいなものだ。何年経っても俺は忘れない。あいつを……絶対に、殺す」

 

 ――断じて許さない。

 

 あの時の怒りを思い出していた。

 息が詰まり、怒りで視界が揺れている。

 

 目を開けていられず、こみ上げてくるものを必死でこらえる。

 

 その時だった。

 何か温かいものが、俺の頬につつ、と触れた。

 

 はっとして目を開けると、亞夢が縛られた両手のまま、俺の頬を手の甲で撫でていた。

 見たことがないほど、柔らかな顔をした亞夢が目の前にいた。

 

 ふわりとライチのような柔らかい香りが俺の鼻をつく。

 

「あ、亞夢……?」

 

 目を丸くしている俺に、亞夢がびくんと手を止めた。

 そしてそんな自分に驚いたように手を戻すと、いつもの顔つきに戻り、自分で俺のネックレスの中に戻っていった。

 

「………」

 

 闇の帳が降りつつある中で、野営結界の明かりだけが煌々とあたりを照らしていた。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇




 あれから月が高く昇るのを待った。

 騒いでしまっただけに、サカキハヤテの兵が潜んでいないか疑ったのだ。

 

(そろそろ行くか……)

 

 俺はアルマデルになり、リピドーに跨ると、街から離れる方向へ森を進んだ。

 

 しかし、木々をかき分けて数分もしないうちに、ふと足を止める。

 

 周りの景観に違和感を覚えたのだ。

 最初は何にそう感じたのかわからなかったが、よく見ると理由が分かった。

 

 不自然に木の枝が切られていたり、草が結ばれたりしているのだった。


 恐らく帰り道を見失わないためにしたものだろう。

 足元を見てみると、枯葉を踏み歩いた人と馬の足跡がいくつも残っている。

 

(あいつらか……)

 

 さっき通りすぎた、ミハルネたちだ。

 足跡はこのまま北に向かって続いている。

 

(《女教皇》討伐か)

 

 興味が無いと言えば嘘になる。

 アルカナボス相手に、ミハルネたちがどうやって戦うのだろうと考えていた。

 

 俺はざっと自分の備品を確認した。

 ミッドシューベル公国から帰ってきたばかりで食糧と水が補充できておらず、心許ないが、装備品耐久度は問題ない。

 帰還系アイテムもある。

 

 思案しながらも、ちょうど街を離れる方向だったので、そのまま足跡を辿るようにして進む。

 小一時間ほどで、山の麓に青い光が薄く漏れている場所を見つけた。


(これは……)


 周囲を警戒しながら近づく。

 俺は放たれているこの光に見覚えがあった。

 

 光が漏れているのは、自然の洞窟からだった。

 中からは人の気配はない。

 

 注意しながら入ると、少し進んだところから雰囲気ががらりと変わった。

 足元が黒大理石になり、上には魔法の明かりが灯されている。

 

 さらに少し進むと、強烈な光を放つ魔法陣が二つ、足元にあるのを発見した。

 

「……やはり」

 

 バイパスゲートだった。

 この光が外に漏れていたのだ。

 

 ダンジョン内で出現する転移ゲートを『バイパスゲート』と呼ぶ。

 デスゲーム化する以前はダンジョン内死亡すると、ダンジョンの入り口で蘇生してやり直しできた。


 ただ入口に一人で戻されると、生存している仲間の所まで、魔物をどうにか躱して、走らなくてはならない。

 それはあまりに酷だという批判が集まり、途中の道をバイパスさせられるように変更になった。

 それがこのゲートだ。

 

 バイパスゲートがふたつも出現するダンジョンは、巨大であるからに他ならない。

 俺が知っている限り、そんなものはアルカナダンジョンしか存在しない。

 

 この行く先は地下四階の中ボス攻略後の部屋と、地下六階到達直後の踊場のはず。


 二つ目のゲートができていることから、ダンジョン攻略は終盤を意味している。

 逆に言えば、入るなら今すぐだ。


「……どうする……」

 

 本音は入りたくて仕方がない。

 しかし皇国に探されている以上、今アルマデルという存在が人目に触れるのは明らかにまずい。

 

(……目立つことさえしなければ)

 

 もし大量のプレイヤーと鉢合わせてしまったら、つい入ってしまったごめんなさいで帰ってこよう。

 それよりも、積もる亡骸の山から遺品を拾う羽目にならないといいが……。

 

「よし、行こう」

 

 俺は奥の方の転移ゲートに侵入した。

 肌に感じる温かい水の中の感覚とともに、眼を開けていられないほどの強い光に包まれる。

 数秒後に転移を完了し、俺はダンジョン内に足を踏み入れた。

 

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