第61話 花吹雪
(だが、限りがあるはずだ)
俺のHPは細々と減り続けているが、まだ六割ほどを残している。
顔には出さないものの、なかなか止まないスタンに正直、焦りが出てきていた時だった。
「――そ、そうだ! あれを使おう。忘れていた!」
リンデルが狡猾そうな笑みを浮かべて、何やらアイテムボックスをゴソゴソやり始めた。
取り出したのは、騎獣スフィアだった。
リンデルがじろりとこちらを見て不潔に笑う。
「いでよ
リンデルが騎獣スフィアを掲げて、高らかに叫んだ。
その声とともに、二メートル以上はある白虎が出現する。
一応言っておくと、騎獣スフィアから騎獣を出すのに呪文はいらない。
「グルルォォォ……」
サーベルタイガーが俺を見て、獣らしい唸り声を上げる。
しかし召喚に格好をつけていた分、無駄に時間を要し、ここでスタンが一瞬、切れた。
「おおお!」
待ちに待ったチャンス。
俺は野営結界に向かって走りながら、仮面と経典を取り出そうとする。
結界内に避難するか、アルマデルになるか、どちらか早い方でいい。
足をグルグル回しつつ、俺の手がアイテムボックスの中で仮面を掴んだ。
「まっ、待て! 【
次の瞬間、がつんと側頭部を盾で突かれ、目の前が真っ白になった。
再び尻餅をつく。歩数にして三歩進んだだけだった。
(くそっ……)
舌打ちすらできない。
「……あぶないあぶない、だがもう僕に隙はないよ! 見てごらん、サーベルタイガーさ!」
サーベルタイガーはレベル45で、キラーウルフとは比較にならないほど強力なモンスターである。
だが、所詮は騎乗動物。他人を襲わせることはできないはず。
「ガルルル……!」
「あは、アハハハハ! サベちゃんそいつ喰っていいよ! アハ! アハハ! 【
サーベルタイガーはリンデルの言うことが聞こえたように、俺に飛びかかってきた。
体当たりを受け、なすすべもなく倒される。
「なっ」
馬乗りになったその魔物は、俺の肩におぞましい音を立てて噛み付いた。
「ぐっ」
顔が歪んだ。
視界に表示されている俺のHPが減少していく。
「知らなかったのかい! さすが乞食だねぇ! デスゲーム化してから、騎獣は人気なんだよ! なぜかってかい!? 【
リンデルが歓喜に震えながら盾を突き出した。
俺は舌打ちする。
騎獣スフィアに封じ込めた対象がアクティブモンスターになるのなら、それはほとんど召喚獣に近い扱いだからだ。
リンデルがMP
「あぶないあぶない……司馬にMP
「ぐっ」
サーベルタイガーは俺の上に乗りかかり、噛み付いている。
スタンしているため、俺は無防備にクリティカルヒットを何度も受けてしまう。
(まずいな)
サーベルタイガーが出現してから計算が狂っていた。
ぐんぐんHPを削られ、残り二割。
スタンで打たれ続ける顔面が腫れただれている。
サーベルタイガーは俺を組み敷いたまま、餌を頬張るように次々と部位を変えて噛みついた。
手足の感覚など、もうなかった。
「ハハハ……この乞食野郎め! 僕に嫌な思いをさせたこと、地獄で後悔するといいよ! アハァ! 死ね死ねぇ! 【
頭上から聞こえてくるふざけた声が、さっきよりも遠く感じた。
仰向けの視界には、ひっきりなしに表示されるアラート。
HPは、残り一割。
(……)
心の底が怒涛の怒りで熱く煮え滾る。
だが俺はもう何も為すことができないほど、満身創痍だった。
(……こんなところで、こんな奴に……!)
胸が張り裂けそうなほどに、口惜しい。
「――おぉぉああああ!」
リンデルを睨み、腹の底から俺が叫んだ、その瞬間だった。
◇◆◇◆◇◆◇
「――おぉぉああああ!」
カジカが腹の底から叫んだ、その瞬間であった。
「………」
何かが、もぞり、と反応した。
ぞわりとさせるような気配があたりに湧き上がる。
それはカジカのまわりに色濃く集まり始めた。
「ガルル……」
カジカを組み敷いていたサーベルタイガーが、驚いて跳び退く。
「アヒャヒャ……死ね死ね……死……ん?」
リンデルも始まった異変に気づき、あたりをキョロキョロと見回す。
「な、なんだ……? うっ、うえぇぇ……!」
リンデルが、唐突に吐いた。
「………」
カジカ自身も胸が悪くなり、視界がどんどんぼやけていく。
そのあいまいな視界に映ったのは、舞い踊る、華やかな薄桃色の花吹雪。
次の瞬間、カジカの首元にあったネックレスから、何かが飛び出した。
黒と赤の帽子に、サテン生地の入った黒いシャツワンピ。
両手首同士を縫われたまま前に下ろし、縫われた目で、カジカを見るように立っている。
「ああうぅぅ……」
深森のレイドボス・亞夢であった。
(……そういうことか)
カジカはすぐに気づいた。
なぜ、この状況で亞夢が出てきたかを。
召喚のネックレスの召喚獣は一日一回だけ、自分の意思で出ることができるが、【
やすやすと遊びに出てこないよう、運営の定めたルールである。
(俺を殺しに来たか。亞夢)
カジカは満身創痍ながらも、穏やかな笑みを浮かべた。
リンデルに殺されるよりは、亞夢の手にかかって死ぬ方がよほどいいと考えたのだ。
「歓迎……するぞ……」
カジカは鼻血の流れ落ちる無様な顔で、亞夢に笑いかけようとする。
しかし亞夢は突然カジカに背を向けると、リンデル達に向き直った。
「亞夢……?」
カジカがその背中に声をかける。
「あぁぁうぅ……!」
それでも亞夢は振り向かなかった。
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