第59話 シルエラとの再会1



「……このミハルネが、気付かないと思ったか?」 

 

「……」

 

 ぽつぽつと、ミハルネの額に小さな汗の粒がいくつも現れる。

 俺はわからないという顔をしながらも、またか、と心の中で舌打ちをしていた。

 

「……あんた、いつから瘴気を纏うようになった?」

 

 俺を睨んでいるミハルネの顔の痙攣が、右半分に広がっていた。

 

 「はて、飢えて死にかけていたから、死神でも憑いたかな」

 

 俺は肩をすくめる。

 さすがというべきか、この男は俺の首元から漏れ続けているそれに、気づいていた。

 

「ごまかすのもいい加減にするんだな」

 

 ミハルネが腕をクロスし、双剣の柄に両手を置いた。

 

「何を従えた……? これは四凶とも違う気配……また只者じゃない」

 

「そういや、骸骨騎士スケルトンナイトなら飼ってるが? それかな」

 

「笑わせるな……桁が違うぞ」

 

 言いながら、ミハルネの顔がどんどん蒼くなっていく。

 

「あんたまさか……俺たちを待ち伏せして襲撃するつもりだったんじゃあるまいな」

 

「そりゃ誓って無い話だ」

 

 俺はさすがに肩をすくめた。

 しかし、そんな俺に向かってミハルネは双剣を抜き放った。

 

「……何者か知らないが、あんたは危険すぎる。やはり『北斗』の監視下に置いた方がよさそうだな、おい!」

 

 ミハルネが後ろの仲間を呼ぶと、一歩踏み出した。

 

「冗談を」

 

 俺は一歩下がった。

 

 サカキハヤテ皇国兵の次は、『北斗』の拘束か。

 まったく笑えない。

 

 ひとまず結界の方へ後退し始めた時。

 

 もぞり、と何かが動いた。

 ――俺の首元で。

 

(……おい、待て)

 

 俺の頬を汗が流れ落ちた。

 

 ふいにネックレスが、比較にならないほどの瘴気を放ち始める。

 まさか亞夢が……?

 

「……ぐっ……なんだこの、内臓をねじりまわすような……」

 

 ミハルネがたまらず口元を押さえ一歩、二歩と下がった。

 

「ミハルネさん!?」

 

 後ろから続々と奴の仲間たちがミハルネに駆け寄ってくる。

 

(だめだ亞夢)

 

 さすがに俺も胸が悪くなってきて、ネックレスを外してアイテムボックスに仕舞った。

 召喚のネックレスの中に仕舞われた存在は一日に一度だけだが、自分の意思で出てくることができるのだ。


 しかし、これを制限する方法はある。

 アイテムボックスにしまえば装備解除となり、出てこられないのだ。

 

(今出てきたら)

 

 あの亞夢のことだ。

 S級装備で固めた一級のミハルネさえ、手玉に取ってしまうに違いない。

 いや、ミハルネだけならまだしも、後ろのプレイヤーたちにも……。

 

 仕舞ったとたん、振り撒かれていた死の気配が、拭き取られたかのように消失した。

 

「……大丈夫か、ミハルネ。悪いもんでも食ったんじゃないのか」

 

 俺は何事もなかったかのように近づいて、ミハルネの肩をたたく。

 

「貴様……」

 

 ミハルネは蒼白な顔で片膝をつきながらも、俺を睨んでいる。

 瘴気に相当やられたのか、言葉が続いていない。

 

「てめぇ、ミハルネさんに何をしやがった!?」

 

 そう言って拳を鳴らすのは、黒い長髪を肩に下ろす男。

 デスゲーム化した初日、北斗最強パーティとか名乗って俺に掴みかかってきた奴だ。

 

(そういえばこの顔)

 

 今見て思い出したが、こいつとはサーバー統合PVP大会で戦ったような気もする。

 名前はルキーニ。確かこんな名前だった。

 

「――やめてください」

 

 そこへ彩葉が白馬ごと、俺とルキーニの間に割り込んだ。

 

「この人はカジカさんです。私も知っている人ですよ。敵であるはずがありません」

 

 そう言って彩葉が馬から降りると、俺たちの間に割って入った。

 

「カジカさん……どうしてこんなところに?」

 

 仲間たちを制しながら、俺を凛として見つめる彩葉。

 その吐く息が、白く曇っている。

 

「こんなところで、ひとりで一夜過ごしてみたくなってね」

 

 適当に答えている間に、彼らの仲間たちが馬に乗ったまま、ぞろぞろと俺を取り囲んでいた。

 

「……あれ、こいつ初期村の白豚じゃねぇ?」

 

「エブスに殺されたって噂聞いたけど?」

 

 そんな会話を片手をあげて遮ると、彩葉が続けた。

 

「カジカさん、ノヴァスが随分とあなたのことを心配していました」

 

「そうか」

 

 俺は初めて聞いたという顔をする。

 

「先日エブスさんと決闘されたと聞きましたが……もしかして勝ったのですか?」

 

「勝つわけがない。戦っていないだけだ」

 

 俺は台本通りに答える。

 

「……そうですか」


 彩葉は、一応頷いておきます、という顔をしている。


「私たちはこれから、アルカナボス《女教皇》を討伐しに向かいます。ですがノヴァスはあなたが決闘することになってから、参加を辞退しました。その意味がおわかりですね」

 

 彩葉の口調は静かだったが、ギルド長らしい威厳に満ちていた。

 

「……わかった。近々会って話をしよう」

 

「そうしてあげてください。それでは私たちも急ぎますので」

 

 彩葉は座り込んだままのミハルネの代わりに指揮を執ると、仲間たちを移動させ始める。

 ミハルネも仲間の馬に乗せられ、去っていった。

 

「――カジカさん」

 

 最後尾となった彩葉が馬上の人となると、振り返って俺にその漆黒の瞳を向けた。

 

「どうやったのか知りませんが、あのミハルネに膝をつかせた者など、初めて見ました」

 

 俺は再び肩をすくめる。


「悪いものでも食べたんだろう。胃腸炎にはミハルネも勝てなかったんだな」

 

 硬い表情だった彩葉が、くすっと笑う。


「そんなはずがありません」

 

「いや、間違いなく急性胃腸炎だ。俺は見た目通り、食い物とその病気には詳しいんだ」

 

 目を逸らさずにいると、しばらくして彩葉がそうですか、と呟いた。

 去っていく間、彩葉は何度も、俺を振り返っていた。

 

 彩葉たちの姿が夕霧で隠れたのを見計らい、俺はネックレスを付け直した。

 幸い亞夢はもう瘴気を放っていない。

 

(とんだ災難だったな)

 

 しかし今日は予想しない人に会う、やっかいな日らしい。

 

 俺はやれやれとため息をつき、野営結界に戻ろうとした。

 その時。

 

「――【釣寄ルアー】」

 

 夕霧の奥から、鳥肌の立つナルシストの声がした。

 

 次の瞬間、光の鎖が俺を縛る。

 

「……よし、かかったぞ!」

 

 喜悦に入った声とともに、一瞬で10メートル近い距離をぐいと引っ張られ、野営結界前から引き剥がされる。

 敵を一匹だけ近くに引き寄せる、盾職タンカー系職業のアビリティである。

 

 俺は体を捻るようにして、振り返る。

 そこには、あの男がにやけた表情を浮かべて立っていた。

 

「【盾の衝撃シールドスタン】」

 

 続けて男は方形の盾スクトゥムを突き出した。

 俺は顔面に強烈な衝撃を受け、目の前が真っ白になった。


 立っていられず尻餅をついたが、起き上がろうとしても身体に力が入らない。

 スタン状態に陥っているのだった。

 

「おやおや、誰かと思えば、乞食の白豚さんじゃないか。生きていたなんて奇跡だね? 【不能打撃スタンクラッシャー】」

 

 俺の心の底で怒りが滾り始める。

 そう。なんとこいつはもう一人の復讐相手。

 

 リンデルである。

 

(誰かと思えば、だと?)

 

 白々しい。

 大方夕霧に隠れて、俺が一人になるのを待っていたのではないかと思う。

 

 リンデルはシャンプーのCMの女性のように薄緑の髪を横に振りながらニヤリと笑う。

 以前と違い、その身には高級そうな深緑の重鎧プレートメイルを装備している。

 

(カイエルシリーズか) 

 

 その特徴的な色に見覚えがあった。

 

「僕のことは覚えていてくれたかな? 【盾の衝撃シールドスタン】」

 

 俺は【盾の衝撃シールドスタン】と【不能打撃スタンクラッシャー】を交互に受け続ける。ダメージはたいしたことがないが、アルマデルになる暇すらなかった。

 

「白豚くん、君にはわからないと思うから教えてあげようか。僕の装備はカイエルシリーズと言ってね。再詠唱時間リキャストタイムがフル装備で60%も短縮する効果があるんだよ。【不能打撃スタンクラッシャー】」

 

 リンデルが前髪をかき上げ、フッと鼻を鳴らした。

 俺はスタンを繰り返し受け続け、立つことすらできない。

 

「アハ……アハハハハハ! 意味がわからないようだね。【盾の衝撃シールドスタン】と【不能打撃スタンクラッシャー】の効果時間を足して11秒。カイエルシリーズの効果で二つとも再詠唱時間リキャストタイムは10秒近くまで短縮。この意味がわかったかい?」

 

「り、リンデル……このひと、カジカさんじゃない!」

 

 その時、懐かしい声が響いた。

 はっとする。


 背中までの銀髪をなびかせながら、サーベルタイガーに跨る女性。

 シルエラだった。

 

「『似てる人』がいるっつーからずっと待っていたのにー。全然違うじゃん」

 

 シルエラがサーベルタイガーに乗ったままリンデルの前に立ち、攻撃を妨害する。

 驚くところはたくさんあったものの、その砕けた話し方に俺は一番仰天していた。

 

 サーベルタイガーはレベル45のモンスターで、跨った状態で騎獣スフィアに登録すれば乗ることができるようになる。

 クエストで取得するアイアンホースよりは若干速度が出ることと、プレイヤーを守護するノンアクモンスターになるため、人気が高い。

 

(似てる人? 違う?)

 

 俺はスタンさせられながらも、シルエラの言葉の意味を探った。

 

「ていうかやめて。これ、どうみてもカジカさんじゃん」

 

 シルエラに遮られ、リンデルが止むを得ずスタンループを中断する。

 スタンから回復した俺は、すぐさま第六位階HP回復薬ポーションを使用する。

 

「どくんだシルエラ。こいつはセクハラ変態乞食さ。女性に害をなすゴミの排除は、僕に与えられた天職なんだよ」

 

 リンデルは鼻にかかったような声を出し、フッと笑った。

 

「やめてってば!」

 

 シルエラが大きな声を上げる。

 あんなにお淑やかだったシルエラの豹変ぶりに、開いた口がふさがらない。

 

「なんだよ……しょうがないな、シルは。優しいんだから」

 

 リンデルがしぶしぶ剣をしまった。

 

 シルエラも騎獣を慣れた手つきでしまうと、銀色の髪を揺らして振り返った。

 

 無邪気さを湛えた微笑みは昔と全く変わらない。

 いや、少しふっくらしただろうか。


 あの時は良い食事にありつけていなかったから、単に痩せていただけかもしれない。

 

「――カジカさん、お久しぶりです」

 

 急に以前のように丁寧になるシルエラ。

 瞳孔の分からない銀色の二つの瞳が俺を捉えている。

 

 ストレートの銀髪は何も変わらないが、身を包んでいる装備は薄紅色のC級の『祈りのローブ』セットのようだ。


 本来は回復職ヒーラー向けの装備だがMP増加が同クラスで最も大きいため、魔術師系でも好まれている。

 杖は持っていない。

 

「久しいな」

 

 だが俺の中では、以前ほどシルエラに対する気持ちは巻き起こらなかった。

 こんなことができているのは、他の女性の優しさに触れたからだと知る。

 

「私たち、今は司馬王のピーチメルバ王国に仕えているんです」

 

「……そうなのか」

 

 俺は無関心を装う。

 だが、口元に笑みが浮かんでくるのを止めることができない。

 

 ――わざわざそちらから居場所を教えてくれるとは。

 

「シルエラ、こんな男と話すのは止めなさい。乞食が移ってしまうよ」

 

 自説の理論を展開しながらリンデルがシルエラの頭を撫でようとするが、シルエラはその手をすっと避けた。

 

「カジカさん、あたしたちサカキハヤテ皇国を降伏させるために裏工作中なんです」

 

 リンデルを無視したシルエラの声は、明るい。

 

(……降伏?)

 

 衝撃的な話に、内心動揺していた。

 戦争を始めるつもりか?


 だがその話より先に、確かめなければならないことがあった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る