第58話 重なってしまったもの



「追われていたことか? いいのだ。理由は知らぬが、他人の事情には関知しない主義でな」

 

 あれほどカジカに関知してきたノヴァスから、そんな言葉が出るとは思わなかった。


「では――あっ」


 ノヴァスが小さく会釈をすると、俺の前を何気なく横切ろうとした。

 その時、暗い足元にノヴァスが何かをひっかけたようだった。

 裾の長いスカートだったのも、悪かったのかもしれない。

  

 倒れかけるノヴァスを、慌てて受け止め、支えようとする。

 

「っと、わ?」

 

 だが受け止めた俺も無理な体勢がたたって、支えきれない。

 ノヴァスを泥まみれにしてはならないと、咄嗟に体勢を入れ替えた俺は、背中をしたたかに打ってしまった。

 

 少し遅れてその上にノヴァスが倒れかかってきた。

 女性とは本当に軽いもので、痛くもかゆくもない。

 

 俺の頬にさらさらとしたものがかかり、ふわりとオレンジのような香りが漂ったと思った時だった。


「………」


 一瞬、時間が止まった。

 互いに無言の時間。


「………」


 そして、はたと気づく。

 互いの唇に、柔らかいものが触れ合っていたことに。 


「………!」


 ノヴァスは目を見開き、驚いた表情をしている。

 

「――き、貴様!?」


 気付いたノヴァスがすぐ唇を離し、俺の胸に置いた両手をつっかえ棒にして身体を離す。

 

「待て、故意じゃない」


「うるさい!」


 ノヴァスはすらりと剣を抜き、剣尖を俺に向けた。

 

「なんてことを……!」

 

 ノヴァスは目を潤ませながら、俺を睨んでいる。 


「……詫びる言葉も見つからない」


 明らかに事故だった。

 だが、身を挺したのが裏目に出たというのは俺の理由で、ノヴァスはそうは取らないだろう。


「――謝って済むことではない!」


 ノヴァスが大声を張り上げた。 

 やはり彼女は意図的に俺が唇を重ねたと思っているようだ。


 その時【上位索敵】が数名を捉えた。こちらに近づいてくる。

 ノヴァスの声に、気付いたのかもしれない。


「また会った時にきちんと謝罪します」

 

 俺はノヴァスに背を向けた。


「待て!」

 

「――いたぞ! あいつだ!」

 

 ノヴァスの声に、遠くから聞こえた兵士たちの叫び声が重なる。

 

「今日は失礼する」

 

 俺は駆け出した。

 

「――お前だけは絶対に許さないからな!」

 

 怒気をはらんだ甲高い声が、近づいてくるがしゃがしゃという金属音にまみれた。

 

 


    ◇◆◇◆◇◆◇





 街を出てもサカキハヤテ皇国の連中は追ってきた。

 俺は森の深い北西側へと向かって駆けたが、皇国の兵は馬に乗り、追跡をあきらめない。

 

「待て!  仮面の男!  新王の命でお前を捕らえる」

 

「待ってくれって言ってるだろ」

 

 俺は向かってくる騎兵の馬に、サンドウォームの砂糸で眠りを入れて逃げる。

 

 追手が見えなくなったところで野営結界を建て、結界完成まで木の上に登り、隠れた。

 八分程度で野営結界は完成し、俺はカジカになると、すまし顔で結界の中でごろりと寝転がった。

 

 やがて野営結界の中を、幾人もサカキハヤテ皇国の騎士が覗いていく。

 結界設置者は覗けないように設定もできるのだが、そうすると出るときに兵士に囲まれている恐れもあったので、好きにさせておいた。


 どのみち、この中では戦闘はできない。

 

「……ちがう。こいつじゃない」

 

 騎兵達が何度も確認していく。


「おい、仮面の男を見なかったか」


「いや、寝てたんで」

 

 俺の返答にちっ、と舌を鳴らすと、兵士たちはそのまま立ち去っていく。

 これで8回目だ。


「さて、と」


 結界内は防音、防寒が働くがそれほど立派なものではない。

 動かないと寒いので、残り少ない保存食を口に入れ、毛皮にくるまった。

 

「夜中から動くか」

 

 夜はモンスターが活発になる。代わりに兵士たちがいなくなることだろう。

 アルマデルは暗闇を見通せるので不自由しない。

 

 


    ◇◆◇◆◇◆◇


 

 

 野営結界の中で待っている間に、眠っていたようだ。

 

 外に出てみると、季節は仲冬と言っていい時期だが、夕霧が木々の足元を覆うようにあたりに立ち込めていた。

 

 辺りにはもう皇国の騎兵たちはいなかった。

 空にはひつじ雲が流れ、西陽がそれに茜色のグラデーションを添えている。

 

 思わず伸びをすると、ぶるりと震えた。

 吐く息が白い。

 

「ノヴァス……」

 

 起きてからずっと、頭の中には目を吊り上げたノヴァスがいた。

 

 すっかり忘れていたが、以前ノヴァスが落としていったハンカチを預かりっぱなしだったことを思い出した。

 俺にしてはきちんと洗ったし、近いうちに返さなくては。

 

 そんな折、遠くから草を鳴らす音が聞こえた気がした。

 サカキハヤテ皇国兵か、と振り向くが、霧で見づらい。

 

(あれは)

 

【上位索敵】がないので気付くのが少し遅れたが、目を凝らすと木々の合間に馬に乗ったシルエットが垣間見える。

 

 人数は軽く見て10人以上。

 

 ひとり、霧を越えてこちらに馬を進めてくるのは、蒼穹の重鎧プレートメイルに身を包んだ、 双剣を携える男。

 あれはドワーフの名匠シーザー製作の鎧だ。

 

 見紛うはずもない。

 ミハルネだった。

 

 あちらも俺の巨体ですぐに理解したのだろう。

 兜を外し、にやっと笑う様子が見えた。

 

(厄介な奴に……)

 

 しかしもはや遅いことを知り、俺はため息をつきながらやってくるのを待った。


 あちらも俺の巨体ですぐに理解したのだろう。

 兜を外し、にやっと笑う様子が見えた。

 

(あれは……)

 

 そんなミハルネのすぐ後ろには、白馬に乗った女性が見えた。

 丸みを帯びた純白のフォルムに深い緑で縁取りされた鎧。


 頭に兜は被っておらず、装飾された優雅なティアラを身に着けており、遠目でもその顔が認識できた。

 

【遺物級】皇帝ユーグラスの軽鎧。

 彩葉である。

 

 彼女は俺を視認するなり、浮かべていた微笑を失って目を瞠った。

 

「……二人で……ここで待って……いか」

 

 ミハルネは背後の者たちに伝えた言葉がとぎれとぎれに聞こえた。

 やがて栗毛の馬を嘶かせて、ミハルネは俺の目の前にやってきた。

 

「……こんなところで会うとは、世の中不思議なものだな、カジカさんよ」

 

 ミハルネが馬上から俺を見下ろすが、二メートルの巨体の俺は、大した見上げることはなかった。

 

「今日は予想外の人に会う日のようだ」

 

「互いにな」

 

 ミハルネが以前と同じようにふっと笑うと、二つに割れた顎をなでた。

 

「……生きているかもな、くらいには思っていた。あれだけの啖呵を切るからにはな」

 

 馬から降りたミハルネは、さっそくエブスとのやり取りの話を始めた。

 

「その節は感謝している」

 

 俺はミハルネに礼をする。

 あの時こいつが口を利いてくれたおかげで、俺は不意討ちされる心配がなくなった。

 

「あんたがここで生きているということは、そういうことなんだな?」

 

「なにがだね」

 

 そんなミハルネには悪いが、俺はとぼける。

 

「――あんたは間違いなく、力を隠している。ただの乞食に、エブスは倒せない」

 

 ニッと笑って、断定するミハルネ。

 しかし俺は表情を動かさなかった。

 

「エブスが来なかっただけだが」

 

 こう話そうという作り話は出来上がっていた。

 

「白々しいことを。やはりあんたは……」

 

 言葉の最中で、ミハルネがふいに目を見開いた。

 場の空気が一転する。

 

「………」

 

「………」

 

 対峙する二人の間で、まるで以前の続きのように緊張が張りつめていく。

 こうなったのは、俺でもミハルネのせいでもなかった。

 

「……おい」

 

 口を開いたミハルネのこめかみが、小さく痙攣している。

 ミハルネはすでに、俺を睨んでいる。

 

「どうかしたのかね、ギルド長」

 

 気づいていたが、やはり俺はとぼける。

 

「……このミハルネが、気付かないと思ったか?」 

 

「………」

 

 ぽつぽつと、ミハルネの額に小さな汗の粒がいくつも現れる。

 俺はわからないという顔をしながらも、またか、と心の中で舌打ちをしていた。

 

「……あんた、いつから瘴気を纏うようになった?」

 

 俺を睨んでいるミハルネの顔の痙攣が、右半分に広がっていた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る