第57話 ブロンドの外はね


 

「な、何なのだ全く……!」


 すぐに打って変わった、声質。

 その人はぼやきながら立ち上がると、衣服についた土埃をぱんぱんと払っている。


 ブロンドの外はねした髪に、碧眼の女性。

 上半身はNovasと刺繍された灰色の布鎧クロスアーマーに、足首まで隠れる黒のロングスカートを身につけている。


 胸がどくん、と跳ねた。


「ノ、ノヴァス……」

 

「き、貴殿は……!」

 

 つい呼び捨ててしまった俺には気付かなかったのか、ノヴァスも目を見開いている。

 

「――ちょうど良かった。アルマデル殿。実は、貴殿を探していたのだ」

 

 ノヴァスの立ち直りが幾分早かった。

 キッと吊り上がっていた目尻を下げて、小さく微笑んだ。

 

 対して俺はまだ立ち尽くしていた。

 

(……こんな形で逢えるとは)

 

「……?」

 

 話が聞こえていない様子の俺に、ノヴァスが眉を寄せる。

 

 そんな見つめ合う時間もつかの間。

 この空から降ってきたような幸せに、あっさりと邪魔が入った。

 

「おい、いたぞ! あそこだ!」

 

 嫌な叫び声が、通りに響きわたる。

 振り返ると、やはり遠くでこちらを指さしている兵士が見える。


 通行人までが振り返り、強盗でも見るような目を俺に向け始めた。

 

(――ついてないタイミングだ)

 

 舌打ちし、俺はノヴァスに背を向けた。


 せっかく会えたノヴァスから離れねばならないのは口惜しいが、今捕まるわけにはいかない。

 

「ノヴァスさん、追われていますゆえ、またのちほど!」

 

「待ってくれ、話があるのだ!」

 

 背を向けた俺に、ノヴァスが声をかけた。

 切羽詰まったような、声のトーン。

 

「話?」

 

 耳を疑った。カジカではなく、俺に?

 

「こっちへ!」

 

 ノヴァスは俺が逃げようとした方向とは違う路地を指さし、走り出す。

 ついてこいと言っているようだった。

 

 俺は瞬時に決断するとそれに頷き、ノヴァスについていく。

 

「待て! 逃げるな仮面の男!」

 

 背後からサカキハヤテ皇国と思われる男の声がかかる。

 俺はノヴァスの背中だけを見て走った。

 

 ノヴァスは黒のロングスカートを片手で握って持ち上げて、白い両膝を晒し、走っている。

 彼女も土地勘があるようだった。 

 

 それから随分走ったと思う。

 繁華街を抜け、プレイヤー住宅が密集しているエリアに逃げ込んだ。

 

 【上位索敵】では追いかけてくる様子はなかったが、入り組んだ路地に隠れてしばらく様子を見ることにした。

 

 そこはじめじめして薄暗い、狭い路地だった。

 ひとひとりすれ違うのがやっとである。

 

 上から陽があたる時間は、ほんの数時間に違いない。

 

「……ここなら、大丈夫だろう」

 

 ノヴァスが息を整えながら、あたりをそっと伺った。

 

「助かりました」

 

「別にいい。訊ねたいことがあったのでな」

 

 ノヴァスは前にしたのと同じようにハンカチを取り出すと、髪を持ちあげてうなじを拭いた。ふわりと柑橘系の香りが路地に広がった。

 

(ノヴァス……)

 

 俺はこの人のことを、恋愛対象として見ている。

 

 好きなのか、と言われると、胸を張って言えるほどではないかもしれない。

 でもこの人のことを考えると、胸が温かくなるし、会いたい気持ちが湧いてくる。

 

 この人の深い思いやりに触れたからだろう。

 正直に言えば女性として思う気持ちは、ずっと一緒にいた詩織のほうが断然強い。


 もちろん年生差さえなければ、の話だが。

 

「ノヴァスさん、訊ねたいこととは?」

 

 俺が訊くと、ノヴァスは頷いて「実は……」と始めた。

 

「先日、外域決闘場テンポラリコロシアムのゲートのところでお会いした時のことなのだ。私はカジカという男を探して、アルマデル殿が言っていた店に行ってみたものの、いなくてな。あれから辺りを探してみたのだが、神隠しにあったかのようにどこにもいなかった」

 

 俺は無言で相槌を打った。

 内心、その話かと理解する。


「それで貴殿に確認なのだが、貴殿はあの時、石の塔の上からあの男、カジカを間違いなく見たのだな?」

  

「……確か、体格の大きな人でしたな。冒険者のローブのようなものを羽織っていた……」

 

 俺の言葉を聞いたノヴァスが、急に目を輝かせた。

 

「そ、そうなのだ!  そいつだ。確かに見ているのだな!」

 

「ええ。見ましたとも。この目ではっきりと」


 俺は狭い路地の中、胸を張った。

 

「その人は間違いなく生きていますよ。そうですか……いませんでしたか。では私の申し上げた店が違っていたかな」

 

「良かった……!」


 ノヴァスの顔に、笑みが浮かんだ。

 

 さっきから一度も見せることのなかった、柔らかい笑み。

 目にしたかったものを目にすることができて、俺は心がこの一瞬で温かくなった気がした。

 

「あぁ……私一人でくだらぬ心配をしていた」

 

 ノヴァスが目尻を人差し指の腹で拭った。

 

「心配?」

 

「カジカが生きていると言ってくれるのは貴殿だけなのだ。誰一人として、肯定してくれなかったから」

 

「あの大きさで隠れるとは大したものです」

 

 俺の言葉に、ノヴァスが吹き出す。

 

「あの馬鹿、隠れるのは得意なんだ」

 

「私の方で店を間違ったのでしょう。失礼しました」


「いやいや、いいのだ。生きていればいつかは会える。いや、あんな奴との約束など、どうでもいいのだが……」

 

 ノヴァスが俯き、少し頬を赤らめながら言った。

 その様子がこの上なく愛らしく映る。

 

「済まなかった、アルマデル殿。時間をとらせた」

 

「とんでもないですよ」

 

「聞きたかったのはそれだけだ。では私はそっちから出るとしよう」

 

 ノヴァスが俺の背中側を目で示した。

 街に戻るつもりのようだ。

 

「……今日のこと、礼を言います。この御恩は必ずどこかで」

 

 俺はそれだけを口にした。

 

「追われていたことか? いいのだ。理由は知らぬが、他人の事情には関知しない主義でな」

 

 あれほどカジカに関知してきたノヴァスから、そんな言葉が出るとは思わなかった。


「では――あっ」


 ノヴァスが小さく会釈をすると、俺の前を何気なく横切ろうとした。

 その時、暗い足元にノヴァスが何かをひっかけたようだった。

 

 裾の長いスカートだったのも、悪かったのかもしれない。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る