第56話 老夫婦の料亭で
「……なかなか話せなくてごめんね。数日来なかったけど、街にいなかったの?」
席に着いた詩織が、謝る。
「いろいろあってな」
俺は戴いた水を口にしながら頷く。
飲むと、先日亞夢にやられたみぞおちが、まだずきんと傷んだ。
「リンデルの件は今調べてもらっているわ。やっぱりギルド『乙女の祈り』を脱退しているわね。シルエラさんとともにどこかに発ったのは間違いないみたい」
「ふむ」
「ピーチメルバ王国で見かけたという話が複数と、ミッドシューベル公国の獣人の街で奴隷を見物していたという話を聞いたわ」
「ミッドシューベルの方が、ありそうな話だな」
俺は小さく笑った。
「はいどうぞ。できましたぞ」
そこで老夫婦が二人でやってくると、テーブルに料理が並べられる。
「おお」
まずはグリーン中心のしゃきしゃきサラダ。
次はキノコと卵の料理。
中がふわトロに焼かれた卵に、特製のデミグラスソースのようなものがかかっている。
次に肉料理。
肉汁があふれているチキンレッグに、小さな器が添えられている。
ガーリックやパセリ、レモンなどが混ぜられた特製ソースをかけて食べるらしい。
ちなみに俺には、大きなレッグが二つ来た。
さすが詩織だ。
わかっている。
続けて、湯気の上がるスープ。
牛骨とテールの入った、とんこつのような香りのする一品だ。
最後に積まれる、ガーリックオイルが塗られた香ばしいパン。
ちなみに詩織の前には、ガーリックなしのパンが二つ置かれた。
ありがとうございます、と詩織が老夫婦に礼を言う。
「こんなに召し上がる方は久しぶりで嬉しいのぅ」
ホッホ、と笑いながら、二人は老いた顔に似合う優しい笑みを浮かべて去っていった。
「待たせてごめんなさい。あたしのおごりよ。たくさん食べて」
詩織の顔には、逢えただけで嬉しいと書いてある。
そして俺の顔にも、同じものが浮かんでいただろう。
「何言ってるんだよ詩織、俺が会いたいって言ったのに」
「うふふ。ほら、冷めちゃうわ」
微笑んだ詩織が俺にフォークとナイフをくれる。
まず肉から食べる俺を、やはりわかっている。
俺は礼を言うと、食べ物を口に放り込む。
じゅわっと肉汁が口にあふれる、チキン。
塩味を追いかけるように、コショウやバジルの香りが口の中に広がった。
「たまらんな」
「おいしいでしょ」
「ああ」
俺たちはしばし、出された料理に舌鼓を打った。
「……何か話したいことがあったみたい」
詩織がハンカチで口元を拭きながら、俺を見ている。
「ああ、亡骸草は見つかったんだが……」
「どうしたの?」
「詩織さ、不死者に襲われた村を救う、沼に飛び込む少女のおとぎ話、知ってるだろ」
詩織は取り出したハンカチで口元を拭きながら頷いた。
「三重苦の少女の話ね。任意クエストだけど、牡丹の花集めだけで経験点がおいしいから、みんな知ってるんじゃないかしら」
「あれ、この世界の実話なんだ。襲われた村もミッドシューベル公国に実在してて」
「……うそ」
詩織の口元にあったハンカチが、ぽとりとテーブルの上に落ちた。
「死者の森の奥深くで、レイドボスを見つけた。……その少女だったんだ。亞夢っていうんだけど」
「レイドボス……」
「だけど、レイドボスらしくなかったんだ。自分の棺に座ってさ、微笑んでた。誰かを待っているように」
そして俺は戦いになり、彼女をネックレスの中に従えたことを伝えた。
「……強引に捕らえたのね」
詩織が食後に出された紅茶を口にする。
俺は頷いた。
「彼女の三重苦は呪いだった。レベルはわからないんだが」
「呪い……なるほど、言いたいことがわかったわ」
詩織がすべてを理解した表情になる。
「そうなんだ。呪いなら解けば治る。亞夢はきっと
「うん」
「だが会話が成り立たない上に、亞夢は囚われたことに激昂していてな。頼みの綱だった元恋人も不甲斐ない奴で、そいつと数人まとめて亞夢に殺された」
「そう……」
詩織が、俺の両手を握ってくれる。
俺はありがとう、とその手を握り返す。
「俺さ、それでも間違っていないと思っている。亞夢を呪いから解放したいと思っているんだ。……なぁ詩織、俺の考え、おかしかったら言ってくれないか」
「……うーん」
詩織は、目を細めるようにして微笑んだ。
その長い睫毛が、重なり合う。
「召喚獣にしたら、カミュ自身に危険はないの?」
「ないわけじゃないんだ」
俺は命の危険に遭ったことも全部話した。
詩織の表情が若干険しくなる。
「でも……あのままでいいはずがない」
「……ほかの人なら、見ないで通り過ぎるでしょうけれど」
「嘘だろ。そんなこと……」
「だって命がけよ? デスゲーム化しているのに」
「……まぁそうだけどさ」
亞夢は村を救うために身に受けた呪いのせいで、魔物になってしまっている。
どうして見て見ぬふりなどできようと思う。
「呪いのレベルは見れそう?」
詩織が注ぎ足された紅茶の液面に目をやるようにして、言う。
「無理だな」
俺は出されたライ麦酒をぐいと呷った。
今の亞夢は洛花以上に凶気に憑りつかれている。
「想像以上ね……」
詩織が珍しく苦笑いする。
「まあな」
「………」
詩織がややしばらく黙する。
こういう時は、俺も黙って詩織の言葉を待つことにしていた。
「でも、カミュらしいわ」
ふいに詩織が声を明るくして笑った。
「そうか」
「……自分の境遇に重なったんでしょう? 正直、それで危険な目には遭わないでほしいんだけれど」
詩織が俺の両手をぎゅっと握って、俺を見つめる。
「いざとなればネックレスに戻せるんだ」
詩織が頷く。
「ひとつひとつ呪いを解いていけば、きっと亞夢さんも為そうとしていることの意味を肌で感じ取ってくれる」
「そうかな」
「うん。あたしが保証するわ」
俺はその言葉に、はっきりと支えられた。
「ただ約束して。カミュが死んだら亞夢さんを助ける人はいなくなるわ。あたしもそれだけは……絶対に嫌よ」
最後の方で、詩織の声が潤んだ。
「わかってる。ありがとう」
詩織の手を、今までになく強く握り返した。
◇◆◇◆◇◆◇
「――待て! 逃がさんぞ」
街道から複雑に角を曲がり、通り抜けられる店を駆け抜けて撹乱する。
追ってくる足音はやっと、離れてきたようだ。
昨晩、食事をした老夫婦の家の二階に空き部屋があって、詩織の口添えで泊めてもらった。
朝は朝食まで頂き、店を出たところまではよかった。
いったんこの街を出て以前の街道沿いの宿に避難しようと思っていたが、細い路地を抜けたところで待ち構えていた男たちに取り囲まれてしまった。
そう、サカキハヤテ皇国の兵士だ。
「――皇国からの名誉ある招聘なるぞ! なぜ逃げる!」
「少し待ってくれないか。そのうちこっちから行く」
言いながら人ごみを縫うように走る。
(アルマデルの方が目立っているな)
《女教皇》戦さえ終わればカジカでいられるが、それまではひっそり暮らすしかなさそうだ。
そんな風に考えていた俺は、迂闊にも細い路地を抜けた折に思いきり他人にぶつかってしまった。
吹き飛ばすよりはマシと、相手を支えて巻き込みながら、もんどりうって一緒に転ぶ。
「――きゃっ」
女性らしい悲鳴が聞こえた。
髪の毛が俺の顔をくすぐり、柑橘系の香りがすっと鼻を撫でた。
「な、何なのだ全く……!」
すぐに打って変わった、声質。
その人はぼやきながら立ち上がると、衣服についた土埃をぱんぱんと払っている。
ブロンドの外はねした髪に、碧眼の女性。
上半身はNovasと刺繍された灰色の
胸がどくん、と跳ねた。
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