第55話 シルエラのため息


「ていうか、なんかプレイヤー多くない?」


 そのまま、街の様子を見ていた。


 目を引くような高レベルの装備品を身に着けた男女が、何人も闊歩している。

 リンデルと同等か、それ以上のハイランカーだとわかる外見だ。


 自分はまだC級のローブだったから、掴んで剝ぎ取りたいくらいには、羨ましかった。


「シルは知らないんだね。明日、アルカナボス討伐が行われるのさ。この街から出発するんだよ」


 リンデルは得意げに言った。

 ちなみにリンデルは『カイエルシリーズ』という、S級の重鎧に身を包んでいる。

 なお、シリーズ装備は一定の強化ボーナスがつくのが普通だ。

 リンデルのは忘れたけれど。


「アルカナボス? もしかしてまた【女教皇】?」


「どのアルカナかは忘れたけどさ。ギルド『北斗』や『乙女の祈り』にもお呼びがかかってるって話さ」


「じゃあ彩葉さんたちもここにいるのね」


「だろうね」


 彩葉さんはよく知っている。

 あの人の率いるギルド『乙女の祈り』に、自分は随分世話になっていた。

 具体的には、デスゲーム化して数日してからずっと。


 ギルド『乙女の祈り』との出会いは自分にとって、まさに救済だった。

 INしてすぐに知り合ったカジカという人が、外に出て薬草採集を教えてもらいなさい、とリンデルたちを紹介してくれたのがきっかけだった。


 あたしは当時、その優しい人から一時でも離れるのが不安で仕方なかったけれど、外界に出てみてよかったと今は思う。


 それからはカジカさんだけでなく、リンデルたちもあたしのことを親身に助けてくれるようになった。

 薬草採集や魔物討伐で得たお金も収入になるし、虫の降ってくる木の下で震えながら眠らなくてよくなった。


 あたしの生活水準がぐんと良くなった。

 カジカさんが言った通り、薪割りだけの人生はたしかにダメだったのだ。


 ある時、あたしにギルドの中年の女性が言った。

 あんた、随分とひどい生活だったね、と。


 でもそうと理解できるのは、救い上げられたからにほかならない。

 その真っただ中にいる間は、自分がそうだとは気づかないものだ。


 きっと今も、カジカさんはあのままの生活をしているのだろう。

 貧しい生活をしているプレイヤーを見かけたら教えるように、と言われた『乙女の祈り』の朝の会で、あたしは真っ先にカジカさんの名前を挙げた。


 助けてあげて、とお願いした。


 でも『乙女の祈り』の女性たちが「あの人は救済を断るのよ」と困惑する一方で、リンデルたちは馬鹿にしたように嘲笑った。


 (カジカさん……)


 元気にしているかな。

 あの巨体で踊ってくれるドジョウすくいは、ハンパじゃなく面白かった。


「デスゲーム化してるのに、よく行くよなぁって感じだよね、まったく」


 笑うリンデル。


「やっぱりドロップが目当てで行くのかしら」


 山積みの財宝と言われても、少なくとも今のあたしは惹かれない。

【伝説級】や【遺物級】がごろごろ、精錬石もごっそり、と言われても命はひとつしかない。


 怖いものは怖い。


「もう5回目か6回目くらいだよ。今回も失敗に終わるんじゃないかな」


「へー。もうそんなになるんだ」


「最初の方が調子は良かったんだけどね。うまい盾職タンカーがやられてから、悪タンクで失敗続きだって」


 盾職タンカーは集団戦において重要な役割を持つ。

 ヘイトを上げてボスの攻撃を受け続け、ひたすら耐久し続ける仕事だ。


 言えば簡単だが、どんなに強力な一撃を受けても、ヒーラーを信じて身じろぎせずに耐え続けなければならないのは、想像以上に過酷だと思う。


「下手なタンクしかいないんだったら、さっさとやめればいいのに。バカは死んでも治らないってやつだね、ハハ」


 リンデルが喉の奥を見せるようにして、高笑いする。

 こと人を卑下することに関しては、右に出る者がいない。


「リンデルがタンクやってあげればいいんじゃない?」


 リンデルはもう最終転職した盾職タンカーだし、司馬王の定めた「禁軍百武将」というものの試験に合格している。


 ちなみにあたしは試験中にちょっといろいろあって休んでしまったのと、装備品が基準以下ということでまだ正式採用にはなっていない。


「アハハ、僕のセンスに回復職ヒーラーがついてこれないよ」


「………」


 その返事は予想の斜め上を行っていた。

 どうしてそんなに自信家なんだろう。


「……ところで今日は、これから探すの?」


 いつものように聞いてるのに疲れてきて、あたしは話を本題に戻す。

 黒髪の仮面の男の話だ。


 司馬王もサカキハヤテ皇国も、大量の金貨を積んで探し回っているところを見ると、相当な腕前らしい。

 

「いや、めんどくさいし疲れたから明日でいいんじゃないかな。シルもおなかすいたろ?」


「すいたけど……この業務ってそんなんでいいの?」


 あたしは小さく脚を開いて、胸の下で腕を組む。

 お役所仕事でいいはずがないと思うんだけど。


「わかってないな、シル。今日は移動日だよ? 移動日。着いたばかりだし仕事は明日からでいい」


 大きな欠伸をしながら、リンデルはひとり宿に向かい始めた。

 あたしはじっとりとした空気で重たくなり始めた髪を掻き上げながら、溜息をついた。


 宿で望まずにずっしりとした食事をもらった後、湯浴みをしてリンデルとは別々の部屋で休む。

 一緒の部屋で眠っていたのは、もう3か月以上も前だ。


 ちなみに、あたしから離れたのではない。

 話すと長いから言わないけれど、リンデルのお肌の健康のためにあっちから離れた。


「さてと」


 あたしは持ってきた古代語の分厚い本を取り出すと、蝋燭の灯の下でしばらく目を通した。


 大好きな時間だ。

 こうやって静かな時間を、蝋燭と二人っきりで過ごすのは、果てしなく幸せ。


 お願いしておいた軽めの夜食が届くと、半分程度口にしてあたしは眠りについた。

 食事は細かく何回も、がモットーだ。




 ◇◆◇◆◇◆◇




 ミッドシューベルから戻ってきた俺は、ルミナレスカカオの街全体に空気の重さを感じた。

 その理由はすぐにわかった。


 この街も、物々しい格好の者たちが歩いている。

 サカキハヤテ皇国兵だ。


 すぐさま、身を隠す。


(動き過ぎたか)


 あの時の俺は、亞夢の暗闇を一刻も早く取り去りたくて、出歩き過ぎた。

 なかでも、図書館ではっきりと顔を見られたのがまずかったのだろう。


 アルマデルの俺はフードを深く被ると、細い路地を選んでいつもよりも遠回りをしながら詩織の店に行く。


 他の客に紛れるように一緒に来店した俺に、詩織はすぐに気づいてくれた。


「………」


 詩織は入るなり、目で伝えてくる。


 中にもいるわ――。


 俺は満席っぽい店内にうんざりしたふりをして店を出ると、裏の路地で待つ。

 詩織には手で合図しておいたから、わかってくれるだろう。


「――カミュ」


 予定よりも少し早く店を上がって、 裏路地に入ってきた詩織は俺の手を取った。

 髪を下ろした詩織はベージュのコートに、白の薄手のマフラーを巻いていた。

 膝上で終わるコートの裾からは、黒いストッキングを穿いた脚が覗かせている。


「早いな」


「こっちから回りましょ。数日前から急に増えたのよ」


 詩織が横顔を見せるようにして、大通りを闊歩する武装兵を見やる。


「ちょっと出歩きすぎてな」


「そうなのね」


 詩織の息が、白く曇った。

 俺の手を引っ張ると、細い路地を複雑に曲がりくねって、小さな店に連れてきてくれた。


 NPCの老いた夫婦がひっそりと経営している料亭で、詩織の顔が利いた。

 どういうふうに効いたかというと、俺たちが入っていくと、ほかの客が追い出されたくらい。


 老婆の方が店の入口に『閉店』の板をかけると、こちらを見てニッと笑った。

 詩織が、ありがとうございます、と頭を下げ、俺も一緒に腰を折って礼をした。


「……なかなか話せなくてごめんね。数日来なかったけど、街にいなかったの?」


 席に着いた詩織が、謝る。


「いろいろあってな」


 俺は戴いた水を口にしながら頷く。

 飲むと、先日亞夢にやられたみぞおちが、まだずきんと傷んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る