第54話 惨状



「もし亞夢をそばに置いてくれるというのなら、俺から多少金を払ってもいいし、召喚のためのこのネックレスをあんたにくれてやってもいい」


 帰属アイテムであることなど、すっかり俺の頭から抜け落ちていた。

 繰り返し話しても拒否していたウンサルだったが、ネックレスがもらえるとわかった途端、態度を一変させた。


「――わかった。そのネックレスとやらがあれば会えるんなら、それごと頂きたい。大切にしようじゃないか」


 ウンサルが俺の首元にあるネックレスを見ながら、ニヤリとして頷いた。


「………」


 不安がないといえば、嘘になる。


 しかし、ひとまずこの男に亞夢を会わせてみようと決めた。

 そうしないと話が始まらない。


「よし。男の約束だ。くどいが怖がるなよ」


「当たり前だ」


「では喚ぶぞ。――亞夢」


 俺のネックレスから放たれる猛烈な瘴気に、ウンサルたちの顔色がみるみる悪くなっていく。

 ピンクの花吹雪の中、亞夢が前に見た衣服のまま現れた。


 縫われた両手をだらりと前に下ろし、前に立つ男を見えない目で必死に見るようにしている。

 いつもと違い、亞夢は唸らなかった。


「――ひっ、ヒィィィ!?」


 ウンサルが腰を抜かして尻餅をついた。

 呆れて言葉も出ない。


(……驚き過ぎだ。さっさと立て)


 俺は男の隣で腕を掴み、小声で言うと無理やり立たせた。

 

「亞夢、お前の待っていたウンサルだ。わかるだろう?」


 亞夢に語りかけた。


「あうぅ……ううぅ……」


 亞夢は口から血を滴らせながら、いつもと違う、柔らかい声を上げた。

 俺にはその差がはっきりとわかった。 


 亞夢は理解している。


 俺は嬉しくなった。


「――ば、ばばば、化物! 寄るな! 寄るなぁ!」


 だが隣からは、ひどく温度差のある反応。

 とたんに、俺の頭に血が昇っていく。


「おい、約束だろう! お前たちの村を助けるために、こんなになって沼に飛び込んだんだろう!」


 怒鳴っていた。


「そ、そんなの、知らねぇよ! い、いや、忘れたよ! 俺はもう大事な女がいるんだ!」


 それを聞いた亞夢が、ピクンと肩を揺らした。


 俺はウンサルの胸ぐらをつかんだ。


「……おい、約束しただろう。肩ぐらい抱いてやれよ。もう嘘でもいい。愛しているって言ってやってくれ。お前にしかできないんだ」


 俺の声は、とてつもなく低い。

 亞夢の気持ちが痛いほど伝わってきていただけに、この腑抜けが同性として許せない。


「ふ、ふざけるなこの仮面野郎! だ……だいたい、こんなバケモノだなんて聞いてねぇ」


 ウンサルが恐怖に震えている自分を押し隠すように声を荒げる。


 怒り過ぎて、逆に冷静になることがあるという。

 そんなことがあるとしたら、それが今だった。


 俺は、ウンサルの両肩にそっと手を置き、できるだけ優しく言った。


「化け物と言うな。いいか。亞夢はあれからあの沼地で10年間、お前を待っていたんだ。10年だぞ?   肩ぐらい抱いてやってくれ」


「こんな汚らしい死体を抱けるわけねえだろ! そ、そもそも、亞夢なんかもうどうだっていいんだよ!」


 ウンサルの断定的な物言いに、亞夢の閉じられた目から光る雫が溢れた。


「……やめろ」


「消えろ! 消えちまえ死体なんか! 沼に沈んで村を平和にしてろ!」


「ウンサル……! それ以上は――」


 俺の言葉は途中で途切れた。

 一瞬の出来事だった。


 俺の顔に熱いものがぴしゃりとかかった。

 そして、ごろりと足元に転がり落ちるもの。


 亞夢が電光石火の動きでウンサルに近づき、拘束された両手で、その首を刎ねたのだった。


「――うぇ、うぇぇぇ!?」


 ウンサルの連れだった男2人が戦慄する。


 一方で亞夢は、跳ね落としてしまったウンサルの頭をじっと動かず眺めていた。

 亞夢の肩が小刻みに揺れ、その細い顎からは透明な滴が落ちている。


「な、なんじゃこの惨状は……?」


 何も知らずに家から出てきたザフィンが呆然としている。


「………」


 亞夢が揺らしていた肩を止め、ぴくんと反応した。


 覚えていたに違いない。

 10年前に騙された、その声を。


「――来るな!」


 俺は叫んだが、遅かった。

 亞夢はザフィンに振り返り、まるで見えているかのように一足飛びでザフィンに接近した。


「――ちちち、違う、違うぅぅばぁ!?」


 ザフィンが腹を打たれて、くの字に折れる。

 亞夢はさらに、ウンサルとともに来た村の者も手にかけた。

 

(……最悪の事態になってしまった)


 その後、予想通りというべきか、亞夢は俺に襲いかかってきた。


「済まなかった、亞夢」


「あぁううぅ……!」


 亞夢はしゃくりあげながら、いつもの怒りに満ちた唸りを上げていた。

 冷たい雫が、俺の頬に飛んで来る。


「――亞夢。聞いてくれ。俺が助けるからな」


 亞夢の足払いを飛んで躱すと、すぐさま両掌打が飛んできて胸に受け、衝撃に息が詰まった。

 吹き飛ばされながらも、なんとか立ち続ける。


「亞夢、俺じゃあ代わりになんてなれないってわかってる」


「ううぅっ……!   あぁぅ……!」


 亞夢はなおも襲ってくる。三度目となる強烈な肘打ち。


「でもな! 呪いを解いて、絶対自由にしてやるからな……」


 立ち上がりながらも、俺の口からは血が上がってくる。


「これからいい人を見つければ、いいんだからな……」


 亞夢の攻撃を捌き損ねてしまい、膝蹴りで肋骨をばきばきと折られた。


 嗚咽を漏らしながらも、全く手を止めない亞夢。

 結局その後も俺は彼女を説得できず、強引にネックレスに帰還させることになった。


 凄惨な光景の中、膝をついて項垂れる俺を冬の乾いた夜風が刺していた。




 ◇◆◇◆◇◆◇




「ほんとにいるのかい。初期村の方だって噂なのにさ」


 薄緑の髪を掻き上げながら言うのは、あたしの彼氏。

 リンデルという、盾職タンカーの男。

 自慢の彼氏と思っていた時期もあったけど、結構マッハでそうでもなくなった。


「……見て。サカキハヤテ皇国の兵が入っているわ」


 あたしはその浸りきった顔から視線を逸らし、通りを指さす。


「ほんとだ……やっぱ司馬の言う通り、こっちにいるってことか」


 リンデルがうへぇ、と声を漏らす。


 ちょうどこの近くで物流の調査に入っていたあたしたちは、昨日以心伝心の石でルミナレスカカオに入るよう司馬王から指示を受けた。


 どうやらサカキハヤテ皇国が血眼になって探している黒髪の仮面の男が、この街で目撃されたらしい。


 今後予定しているサカキハヤテ皇国への侵略のために、あたしたちはその男を先に確保し、抵抗する場合は抹殺する命令を受けていた。


「ていうか、なんかプレイヤー多くない?」


 そのまま、街の様子を見ていた。


 目を引くような高レベルの装備品を身に着けた男女が、何人も闊歩している。

 リンデルと同等か、それ以上のハイランカーだとわかる外見だ。


 自分はまだC級のローブだったから、掴んで剝ぎ取りたいくらいには、羨ましかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る