第52話 古い書物から
翌朝、俺はアルマデルの姿でルミナレスカカオの図書館に足を運んでいた。
以前読みかけた亞夢の村の記述を、もう一度確認しておきたかったのだ。
できるだけ姿を見られたくなかった俺は、早朝を選んだ。
「ではこちらにお名前と職業をお書きください。入館料は25銀貨になります」
受付の中年女性は早朝にもかかわらず、はきはきとした対応をしてくれた。
まじまじと仮面を覗かれたのだけは少し嫌だったが。
俺は記載を終えるのももどかしく、歴史の棚へ足を運んだ。
以前は過去の有名な糸使いたちの記録を調べようと思って見ていた時に手に取った覚えがあったから、たぶんこのあたりだ。
記憶に沿って探してみたが、見た文献は結局どこにあるかわからず、棚を隅から隅まで探し、結局、午前いっぱいかかってやっと見つけた。
(やれやれ……)
見覚えのある黒い冊子で閉じられた文献。
表紙には『不死者に襲われた村を救った少女』と書かれている。
表面は一様に埃を被っていたので、俺以外には触っていないのかもしれない。
俺は手近な椅子に腰掛けると、冊子を開く。
ミッドシューベル公国の南にある獣人たちの村。
不死者に襲われ、滅びようとしていた時、偉大なる祈祷師ザフィンの力で不死者を封じ込めた。
一人の少女(亞夢 十二歳)が生贄となり、三重苦を背負って沼に身を躍らせたことで
不死者に三重苦の呪いを課すことに成功し、不死者たちを退治できたとされている。
「獣人……」
亞夢も獣人だったのだろうか。
以前は流し読みだったので、意外な事実だった。
だが言われてみれば、ミッドシューベルは獣人の方が多い国である。
あとは童話になっているものとほぼ同じ内容が記載されていた。
暦を確認する。
(……今から10年前のものか)
続けて文献をめくってみると、やはり裏に読んでいない続きがあった。
字体は急にくずれて、非常に読みづらくなっている。
私は亞夢を連れて沼に向かった一人だ。
懺悔を込めて、ここに記録として残したい。
亞夢は十二歳の少女だった。
亞夢は村を襲われるたびに、自慢の格闘術で先頭に立ち、
そんな少女でも、祈祷師ザフィン様のお告げで自分が選ばれたことを知った時、例えようもないほど青褪めていたのを覚えている。
亞夢は最初、生贄となることを拒んだ。
周りの無責任な大人たちは子供ゆえの現実逃避だと非難したが、私は幼いながらも婚約の誓いを立てた少年がいたためだと知っていた。
所詮は子供のお遊びだったのかもしれないが、子供なだけに青空のように澄み切って真っ直ぐなものだったに違いない。
それでも亞夢は愛した少年とザフィン様に繰り返し説得された。
一分も潜っていれば儀式は終わるという一言で、亞夢は決意を固めたようだった。
その翌日、彼女は愛した少年に付き添われて、目的の沼へ向かった。
私は最初から、嘘だと知っていた。
だが私も自分の家族の命を守るために、言えなかった。
落ち葉が足元に溜まっていたから、決して暖かい時期ではなかった。
沼についた亞夢はすぐに沼へ飛び込み、一分と言われていたのに、なんと三分も潜って戻ってきた。
ザフィン様に「無事に儀式は終わった」と告げられた亞夢はガタガタと震え、息も絶え絶えになっていた。
地に這いつくばって「よかった」と微笑んだ彼女の青白い顔を、私は忘れることができない。
……よかった。
それが彼女の最後の言葉になった。
付き添ってきた大人たちが、豹変した。
亞夢は目を見開き、言葉を失った。
冷たい鉄の塊が、次々と亞夢を襲った。
意識を失い、かろうじて息をしている亞夢に、ザフィン様は見るも無残な三重苦を負わせ始めた。
私は情けないことに、それから目を背けた。
亞夢が唯一幸福だったのは……いや、これは書くまい。
私たちは亞夢のおかげで村を守ることができた。
私にできたことは、彼女の好きだった木を植え、墓を作ったことくらいだ。
亞夢が私達を守ってくれなければ、私が商業で成功することもなかった。
だが、彼女は私達を許してはくれなかった。
亞夢が死んだ沼からは恐ろしい瘴気が発生し、近寄れなくなってしまったのだから。
私が悪いのだ。もっと早く止められなかった私が。
◇◆◇◆◇◆◇
「………」
息をすることすら忘れていた。
読み終わっていたことに気づくまで、しばらくかかった。
亞夢が浮かべている表情の意味がわかった。
十年もあそこで、愛した少年を待ち続けていたのだ。
(今なら、逢わせてあげられる)
リンデルの件を待つ間、俺は亞夢の愛した男の行方を探すことにした。
相手の男は事情を知っている。
今の亞夢を理解してくれるはずだ。
二人で喜んで暮らしていけるようなら、亞夢にはこの上ない幸せだと思う。
呪い解除はそれからゆっくりとやればいい。
その夜、俺は深くフードを被ると、アルマデルの姿で酒場を歩き回った。
酒場で誰彼構わず二十杯近く奢ったのちに、やっと『祈祷師ザフィン』のことを耳にした。
聞けば、ザフィンは格闘系職業の転職クエストに絡んでいるNPCらしかった。
「あいつぁ、気味悪い習癖があったからよぉく覚えているぜぇ。鼻をつまんで行くんだな」
ミッドシューベル公国の北側にある、街の外れの森に1人で住んでいるという。
それを聞いた俺は翌日、すぐに向かうことにした。
ミッドシューベル公国は一国としては最も統治面積が広く、獣人が多いことで有名である。
人口比でも獣人の方が多く、獣人の人口500万人に対してヒト含む他種族が 350万人。
だがこの国の特徴はそれだけではない。
なんと、ミッドシューベル公国内では豊穣神の【豊穣の大地の加護】を受けられるのである。
この土地の作物は育ちやすく、大ぶりなものが多い上に、干ばつにも強い。
それゆえ農業志向のプレイヤーはこの国に集まる。
今回の目的地はその国の首都、アップルフィールドである。
アップルフィールドは、今いるルミナレスカカオから歩いて5日ほどの距離で、常日頃からルミナレスカカオと交易のある街である。
温帯がほとんどを占め、気候はこことほぼ同様だ。
途中、雨に降られたのが一日あったが、通りかかった商人の荷馬車に乗せてもらうことができ、逆に行程を大幅に短縮できたのが幸運だった。
予定の五日より二日早く、俺はミッドシューベルに入り、アップルフィールドに一旦寄ってから北に向かっていた。
ザフィンの家は話にあった通り、北の森に入ったところにひっそりと佇んでいた。
柵に囲まれた木造りの家で、家の前には野草が植えられた畑がある。
家の右手側には大きな木造りの物置があったが、全体的に朽ちていて老朽化がひどい。
近づくとそこから異臭が漂ってきていた。
嫌な予感がしたものの、【上位索敵】で家の方に反応があるので、そちらの扉をノックする。
「ザフィンの家か。話がしたい」
俺は家の中まで聞こえるように大声で叫んだ。
「――開いとるよ」
くぐもった声でそう聞こえたので、俺は遠慮なく木扉を開けた。
ろうそくだけの室内で、ザフィンは俺に背を向け、イノシシの血で足元に魔法陣を描いていたようだった。
「……誰だ」
ザフィンが振り返る。
頭頂は禿げ上がり、側頭部は落ち武者のようによれた白髪を肩まで伸ばしている。
「アルマデルと言う。お前がザフィンだな」
「いかにも。何用かな」
ザフィンは再び背を向けるが、俺は構わず続けた。
「訊ねたいことがあってきた。すぐ済む話だ」
「好きに話すがよい。耳はお前に向けておこう」
近くに椅子やソファーがあったものの、俺は腰掛ける気も起きず、立ったまま話を始めた。
「10年ほど前の話だ」
俺は図書館で読んだ話を、順を追って話した。
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