第51話 亞夢の怒り



 

 俺は口止め料も合わせて金貨を数枚寄付し、神殿を出た。

 女性は俺が乞食だったのを覚えていたので、金貨を出したところで目を丸くしていた。

 

(ダメ元でフューマントルコ連合王国に行くか)


 懐かしい街並みを歩きながら思案する。

 

 行くとしたら首都マリーズポテトに入らなくてはならない。

 マリーズポテトは「ザ・ディスティニー」の世界では栄えている街のひとつである。

 

 デスゲーム化したのちはわからないが、人口も2千万人近くと破格に多い。

 もっとも、統計のない獣人の街も相当多いようだが。

 

(いや……冷静ではないな)

 

 まだサカキハヤテ皇国に捜されている以上、街に入ったとしてもあまり大きくは動けないし、よく考えればリンデルの情報自体も不確実にすぎる。

 

(焦ることはない。奴はもう、逃げられない)

 

 俺はルミナレスカカオ近くまで一旦戻ることにした。

 詩織に会い、リンデルの件についての情報収集を依頼するのが、最初にすべき段取りだろう。

 

 正直、詩織を巻き込みたくはなかったのだが……。

 

 

 ◇◆◇◆◇◆◇

 

 

「……ごめんカミュ。あたしの家で待ってる?」

 

 鉄皿の上でジュージューと音をたてる巨大なリブロースステーキを置きながら、詩織が小声で囁く。

 

「いや、いいんだ。だいたい言いたいことは言えた」


 アルマデルの仮面をつけた俺は、深く被ったフードの奥から笑ってみせる。

 俺は先程、詩織が手が空いた隙に、リンデル探しの件を軽く伝えることができていた。

 

「調べてみるわ」

 

「ありがとう」

 

 黙々と濃厚なバターの載せられた肉を頬張り、詩織の店を後にする。

 その後は近くにあった森に入り、記憶にある場所を探した。

 

「あった」


 ほどなくして、近くに凄惨な戦いの跡を残した、石作りの砦の廃墟を見つけた。

 ここなら問題ないだろう。


 俺はそこに入り、周りに人が居ないかを確認する。


 亞夢あゆめに、謝らなければならない。

 

 昨日、たまたま名を知っていた俺は、亞夢の呪いを解くために召喚のネックレスに捉えたが、その理由を亞夢自身にきちんと伝えられていない。召喚獣契約は本来、魔物との信頼関係が出来てから、行われるものである。

 

 亞夢はその意味すら分からず束縛されて、怒り狂っていることだろう。

 これでは〈呪い診断ディテクトカース〉をしてもらうために出現させることすら、難しいに違いない。

 

 ちなみに指輪ではなく、ネックレスを選んだのは次に強い魔物を手に入れたらそうしようと考えていただけだった。

 

 眼を閉じると、ひとり微笑みながら誰かを待っているあの姿が浮かんだ。

 

「――亞夢」

 

 一つ大きく深呼吸をした後、俺はネックレスを掴んで亞夢を召喚した。

 言葉に反応してゆっくりと風が吹き始めると、それが目の前で渦を巻き始めた。

 

 洛花とはまた違う、毒々しい瘴気があたりに拡散し始めるのがわかる。

 

 いつの間にか、小さな花びらが紛れて飛んでいる。

 拾ってみると、それはピンク色をした牡丹の花だった。


 亞夢がいたあの墓の島には、この木が瘴気で歪みながらも、たくさんの花を咲かせていた。


「………」

 

 瘴気が言いようもないほどに濃くなると、突然ネックレスから人が飛び出した。

 

 亞夢だ。

 

 別れた時と同じ、刺繍のあるサテン生地が縫い込まれた黒いシャツワンピを着た姿である。

 亞夢は怒りで白く塗られた端正な顔を歪めながら、俺に鋭い爪を向けている。

 

「――聞いてくれ。亞夢」

 

「あうぅぅ……!」

 

 亞夢は唸って俺を威嚇している。

 あの時と変わっていない、いやもっと怒りを増幅させたような声だ。

 

「君の名前は村の人が書いた文献を読んで知った」

 

 亞夢が聞いてくれているかはわからない。

 だが俺は構わず言葉を続ける。

 

「君の村は救われた。あの村にはもう、狂った死者は襲ってこない。君の使命は終わった」

 

「………」


 亞夢の俺を狙う様子は変わっていない。

 

「一番大事なことを言う。俺は君を召喚獣として使いたくて捕まえたんじゃない。君の受けた3つの呪いを解きた――」

 

「――あうぅぅぅ!」

 

 亞夢が大きな唸り声をあげた。

 次の瞬間、視界がぐあんと揺れた。

 

「――うぐっ!」

 

 俺の体が突然、くの字に折れていた。

 腹部に例のひじ打ちを受けたようだった。


「くぉ……」

 

 俺は吹き飛ばされて背後にあった石壁にぶち当たり、衝撃で息ができなくなった。

 

「あ、亞夢……」

 

 なんとか頭を起こした俺を、亞夢はそのまま掴み上げて立たせると、首を両手で絞めて持ち上げた。

 

「ぐっ……!」

 

 息が全く吸えない。

 

(油断していた……)

 

 亞夢は俺の召喚獣になったので、俺を攻撃しないと勝手に思っていた。

 だが、そんなのはデスゲーム化する前までの話だ。

 今はすべてが変わってしまっているのだろう。

 

(このままでは……)

 

 頭が白くなっていく。

 俺は亞夢の手に自分の手を添えながら、亞夢の顔を見ていた。

 

(亞夢……)

 

 目に入ったのは、彼女の涙だった。

 亞夢は怒りに顔を歪めながらも、縫われた眼の端から、とめどなく涙を流していたのだ。

 

「あうぅぅっ!」

 

 亞夢が嗚咽を漏らしたタイミングで、一瞬力が緩んだ。

 俺はその隙に空気を吸い込んで、言葉にした。

 

「俺は君の呪いを解くことを考え続ける。だから、身勝手に君をネックレスに封じ込めたこと、どうか許して……ほしい……」

 

「――ううぅぅ!」

 

「……約束する……君を、召喚獣として……使わないと……ぐっ!」

 

「――あぁうぅぅ!」

 

 首を絞めあげる力が、一気に増した。

 亞夢は本気で俺を殺そうとしているという事実を、俺は認めざるを得なかった。

 

 俺は最後の力を振り絞り、自分の首にかかっているネックレスを掴んで、なんとか言葉を吐き出した。

 

「も……戻れ、亞夢」

 

 その瞬間、召喚のネックレスの強制力が働き、亞夢がネックレスの中に引き込まれた。

 

「……はぁ……はぁっ」


 俺はずるりと床に崩れ落ちた。

 息を整えようと、四つん這いになる。

 

 そうしながら、最初に見た亞夢の横顔が思い出された。

 あの、恋人を待っているような微笑を浮かべた、満足げな顔。

 

(当たり前だ……)


 亞夢はあの場所で誰かを待っていたのだ。あれで、幸せだったのだ。

 それが、見ず知らずの男に束縛され、ネックレスの中に封じ込められて……。

 

 亞夢はああやって何年も時を過ごしていたのを、俺にかき回されて怒り狂っている。

 あのまま放っておくべきだったのだろうか。

 

「いや、そんな訳がない……」

 

 あれでいいはずがない。絶対に。

 亞夢は三重苦の呪いを受け、狭い世界に閉じ込められている。

 幸せになる方法があるのに、知らないでいる。

 

 俺がいた世界なら、とんでもないおせっかいだと言われるだろう。

 ストーカーと言われるかもしれない。

  

(知るかよ……)

 

 俺は口の中に湧き出ていた血を吐き捨てると、立ち上がった。


 俺は知っているのだ。

 彼女の人生が、あれでいいはずがない、と。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る