第50話 強制契約
次の瞬間、俺の脳天に向けて女性のかかとが降ってくるのを【認知加速】した俺の眼がとらえた。
俺はここでさっき拾った
それに気づいたヴァージンキョンシーは攻撃をキャンセルし、後ろに宙返りすると、初めて退いた。
武器を取り出した俺を警戒したのか、一旦離れ、様子を窺っている。
(しかし、これが本当にレイドボスなのか……)
頬を汗が流れていく。
この先手が取れない強さは、知っている
持っていた余裕などとうに吹き飛んでいた。
ヴァージンと言えど、キョンシーだからあの特徴的なピョンピョン跳ねる動きかと思えば、全く違う。
まるで木々を軽やかに飛び移るリュンクスのような身のこなし。
圧巻はなんと言っても、初撃で受けた電光石火の肘打ちだ。
大抵の技は一度見ればある程度は戦略が立つが、あればかりは次も躱せる気がしない。
(どうする……)
やらなければ、やられる。
だが――。
俺はこの後に及んでも、彼女と戦わない方法がないか、探していた。
「……」
彼女の肌に触れたせいだった。
そう、彼女の太ももは人と変わらぬ温かさを宿していたのだ。
あのヴァージンキョンシー、もしかしたら……。
そこで、俺の頭の中にひとつ、策が浮かぶ。
「………」
だが失敗すれば……。
(危険な賭けになる)
そうとわかっていても、俺の思考は止まらない。
自分の過去と彼女が重なっていたのだ。
「………」
そして俺は、誰にもわからないぐらいに笑った。
(迷う時点で、答えはでている)
俺は
じりじりと狙うふりをする。
もちろん
「俺の言葉がわかるか? ひとつ確かめたいことがあるんだ」
俺は蛇蝎のようにこちらを狙うヴァージンキョンシーに言った。
聞こえているようだったが、反応はない。
予想通り、ヴァージンキョンシーは
俺はここで仕掛けることにした。
ヴァージンキョンシーは石畳に落ちて音を立てる
その時には俺はすでに、【死神の腕】を出し、4本腕で準備していた糸を放っていた。
■ サンドウォームの砂糸
攻撃力 5
拘束時状態異常【
見ればわかる通り、この糸は低性能だ。
【
だがこんな糸であっても、今回は最良の選択肢と言えた。
傷つけずに無力化したかったのだ。
「………」
人形のようにだらりと力を失う、ヴァージンキョンシー。
糸の拘束に成功し、【
保ってくれと願いながら、急いで女性に近づいた。
(美しい人だ)
その清楚な顔立ちは、近くで見ると見惚れてしまうほどだった。
俺はすぐにアイテムボックスから裁縫用の
縫われている糸は
「ひどい……」
あまりの仕打ちに俺は目を逸らしそうになるのを、ぐっとこらえた。
(やはり)
俺は念のために瞼の糸にも
逆に魔法の光の小さな音でヴァージンキョンシーが気づき目覚めそうになったので、飛び退く。
糸は切断できなかったものの、希望が見えて嬉しくなった。
予想通り、今の反応は呪いに違いない。
何らかの呪いがかけられていて、手や眼を束縛している糸を切ることができないのだ。
だが呪いなら。
この人を助けることができるかもしれない。
カジカで抜け出せず、苦労した俺と同じ状態なのだ。
「ああぁぅぅ……」
眠りから覚めたヴァージンキョンシーは爪をこちらに向け、口を開けて呻き、再び威嚇し始める。
この距離で見れば、舌がどうなっているかよくわかった。
胸が引き裂かれるような気分だった。
口の中の舌をスプーンで根元からごっそり掬ったような傷跡が生々しく残っていたのだ。
(今は見るな)
俺は自分を落ち着けながら、準備していた言葉を口にする。
「アム……? アユメ……?」
俺はわざと、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で呟いた。
だが女性はそのかすかな音を聞いて、はっと息を呑んだのがわかった。
あからさまに動きを止め、閉じられた眼で俺を捉えているようだった。
その動揺を、俺は見逃さなかった。
アユメだ。
俺はアイテムボックスからネックレスを取り出すと、決められた詠唱を重ねた。
「死すべき定めより解き放ち そして我が首に宿りし
そう。俺は知っていた。
彼女の名は亞夢。
以前図書館で読んだ史実の文献に乗っていた名前なのだ。
そしてそれが本当の名前ならば、俺はこの女性を召喚獣としてネックレスに封じ込めることができる。
それが中国語読みとかだったりしたら、不勉強な俺にはもう俺に手はなかった。
「あううぅ、ああぁ……!」
抵抗できず、叫びながらネックレスに引っ張られ始める亞夢。
名を知られた屈辱なのか、亞夢は怒りに顔を歪めていた。
「………」
ネックレスの支配が完了すると、あたりは急に静寂が支配した。
事は鳥肌が立つほどに思惑通りだった。
◇◆◇◆◇◆◇
死者の森を出た俺は、銀貨を払って商人達が使う馬車に相乗りさせてもらい、初期村チェリーガーデンに向かった。
忘れるはずもない、元々俺が乞食のように暮らしていた街だ。
(亡骸草は手に入れた)
ここに来た理由は他でもない。
リンデルがいれば、丁寧な挨拶をするためだ。
厄介なのはシルエラが寄り添っている場合だが、うまく誘い出す方法も考えてある。
しかし初期村に入るや、俺は隠れなければならなかった。
見たことのある重鎧に、三日月が背中合わせになったような紋。
サカキハヤテ皇国兵だった。
「……黒服に仮面の男だ。見たことがある奴はおらぬか。有力な情報を持つ者には、皇国より金貨を与えるぞ!」
物陰でカジカの姿になった俺は、口笛を吹きながらそこを通り過ぎた。
(やはり……)
幸い、名前は公表されていないようだ。
何をさせるつもりかは知らないが、俺には俺の事情がある。
それが終わるまでは、関わり合うつもりはない。
俺はその場を去ると、見知った神殿に向かった。
デスゲーム化した初期に、ギルド『乙女の祈り』がその拠点としていた場所だ。
幸い、神殿にいた女性プレイヤーの一人がカジカを覚えていて、話をすることができた。
箒を持った中年の女性は、ああ、懐かしい人だねと目元に笑みを浮かべた。
俺は早速リンデルのことを切り出す。
「――リンデルさんかい。……最近は見てないなあ。チャラくてうるさい人だから、いればすぐわかるんだけどね」
中年女性が思い出したのか、愛想笑いが苦笑いになる。
救済されるプレイヤーがほとんどいなくなったこともあり、神殿も今はNPCにより管理されているそうだ。
「ここから『乙女の祈り』自体がいなくなっているということか?」
「初期村の活動を縮小した分、多くがフューマントルコ連合王国に移動しているよ。ハーピー退治の依頼があったからね」
「ハーピーか」
噂は耳にしたことがあった。
首都マリーズポテトにハーピーが繰り返し襲来し、犠牲者が出ているというのだ。
「リンデルさんもそこかな。お礼を言いたかったんだが」
「いや、その方針が決まる前からいなかったような……。もう少ししたら彩葉様が一度戻られるから、聞いておく? あんたはそこそこ有名だったからきっと覚えてるさ」
「いや、それには及ばない」
ちょっとひっかかる物言いだが、俺はすぐに首を横に振った。
あの人なら察するだろう。
カジカがリンデルに礼をしたいという意味を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます