第49話 おとぎ話の女性
昔、狂った死者に襲われていた小さな村があった。
月に一度、村に入り込んで襲ってくる死者たちは人を見つけては襲い、魔法を唱えて火の玉を降らし、血塗れた武器を振り回して家を壊し歩いたという。
日に日に村人が死に絶えていく中、生き残った者たちが知恵と金を出し合い、祈祷師を呼んでその狂った死者たちを追い払ってもらうよう頼んだそうだ。
村に来た祈祷師は三日三晩飲まず食わずで祈祷を行い、狂った死者を追い払う方法を神に尋ね続けた。
祈祷が明けた朝、祈祷師は一つの案を示し、村人たちはそれに同意した。
そして数日後、村人たちは祈祷師に言われた通り、村一番の才色兼備の処女を森の奥深くの沼まで連れていき、森の奥深くにある沼に放り込んだという。
その処女は最後の日まで、村を最前線で守っていたそうだ。
沼に沈んでいったその処女は、両方の瞼を縫われていた。
手と手を縫われていた。さらには舌を切られ、引き抜かれていたという。
その後、街を襲う死者たちの数は変わらなかったものの、死者たちは一様に視力を失い、両腕がなく、魔法を詠唱する舌を失っていてうろうろするばかりだったという。
それゆえ、村人たちは襲ってくる死者たちをすべて退治することができた。
◇◆◇◆◇◆◇
俺は最初、この話を街のNPCから聞いた。
NPCの親がこれを例えて子供に脅かすのを何度も聞いたことがあったが、所詮は作り話だろうと思い、すっかり忘れていた。
その後、ルミナレスカカオの図書館だっただろうか、糸武器に関する記載を調べている時に、たまたまこのおとぎ話の記録を読んだのだ。
文献の裏にもう少し詳しい記載があったのだが、羊皮紙が汚れて読みづらくなり、読むのをやめた記憶がある。
それでも、死者に襲われた村がミッドシューベル公国内に実在することを知り、少なからず驚いたものだ。
目を向けると、キョンシーの女性はまるで手錠でつながれたように、両手を前に突き出し、鋭く伸びた爪を俺に向けている。
眼は見えていないものの、気配で俺を察知しているようだ。
背後の橋をちらりと確認したが、他のキョンシーたちは橋を渡ってこない。
一対一の状況である。
(勝てなくはないが……)
このヴァージンキョンシーも、武器を持っていない。
ハイエルダーキョンシーと同じような戦い方なら、スキュラのように複数物理攻撃や魔法攻撃があるわけではない。
与しやすそうだ。
だが……。
(戦うのか……この女性と)
胸に何かが突き刺さったかのように、痛い。
あれはただのおとぎ話ではない。まぎれもない実話。
今、目の前に映っているのは、村を守るために勇気を振り絞って沼に飛び込んだ少女の、成長した姿。
不死者と化しているものの、微笑を浮かべて誰かを待つ姿は間違いなく人の内面を残していた。
モンスターなのに、言葉も発しないアンデッドなのに、これほどまでの人間味を感じるのは初めてだった。
「ああうぅぅ……!」
(いや、言葉も発しないんじゃない。舌を抉られて話せないだけだ)
――戦いたくない。
だがそんな気持ちをよそに、ヴァージンキョンシーが動いた。
「――!」
光のように一瞬で懐に入られた。
俺の顔が、驚愕で歪む。
レベルは俺より低いはずと、つい油断していた。
(なんて速――)
ヴァージンキョンシーは縫われた手を器用に折りたたみ、俺の鳩尾に正確に肘打ちを撃ち込んだ。
名前すらわからぬアビリティ。
「ぐぁっ」
喰らった俺は後ろに吹き飛び、転がる。
まずいと気づいて手足で体を支えるが、それでも沼に体半分落ちていた。
(吹き飛ばし攻撃か)
すぐに立ち上がったが、ローブが水を吸って体が重い。
(やってくれる)
立ち上がろうとして、はっとする。
すぐ目の前に女性が立っていた。
「――!」
うっすらできている俺の影を、正確に踏み抜いている。
(ちっ)
俺は飛び跳ねるように、大きく跳躍した。
今、金縛りを受けたら、間違いなく終わる。
しかし逃げる方向を読んでいたのか、ヴァージンキョンシーは跳び上がった俺の首に、たやすく腕をかけた。
俺の頭を自分の胸元へ寄せる。
(見えているのか)
ぞっとした。
格闘家に決して許してはならない、【接敵状態】。
それを開始数秒で簡単に強制される。
(まずい――)
すぐさま、頭を揺さぶられるような衝撃。
「ぐはっ」
避けられず、顔面に鋭い膝蹴りをもらって、宙に浮いた感覚に陥る。
そこからは息もつかせぬ連撃がやってきた。
空中コンボだ。
両手を突き出した掌打を腹部にもらい、くの字になりながらも、次にやってきた膝蹴りをなんとか両手でブロックした。
それでも衝撃に仰け反ってしまい、空中で体勢を崩される。
次の瞬間、大きな金づちでガツンと撃たれるような打撃を後頭部にもらい、眼前に火花が飛ぶと、そのまま地面に叩きつけられていた。
(見事すぎる……)
瞼を縫われているにもかかわらず、寸分の狂いなく打ち込まれる打撃。
確か格闘系職業には【
それとも俺の誤解だったのだろうか。
続くめまいを振り払うように頭を振って立ち上がると、ヴァージンキョンシーはまた目の前に立っていた。
――影を踏み抜かれている。
(なんて強さだ)
格上の戦闘技術に、吐き気すらしてきた。
俺は慌てて左に転がり、金縛りから逃げる。
転がり去って立ち上がろうとした瞬間、耳元を風を切る音がよぎった。
また首にひっかけられてはたまらないと咄嗟に屈んだが、視界に入ったヴァージンキョンシーははなぜか俺よりも低い体勢をとっていた。
多彩な攻撃で裏をかいてくる奇抜さも類を見ない。
黒のシャツワンピから伸びる、すらりとした灰色の足が、鋭い鎌のように俺の足をかかとから正確に払った。
転倒を強制させる【
「ぐっ」
一瞬、無防備に宙に浮いた俺の体。
俺は転倒時間を最短で逃れようと受け身をとろうとする。
しかし地に落ちる衝撃を予想していた俺の背中には柔らかいものがあたった。
背中だった。
ヴァージンキョンシーは俺の後ろから俺の顎に手首を引っ掛け、そのまま頭側へ投げ飛ばした。
通称、『
俺はそのアクロバティックな攻撃でやっと抵抗を果たし、足から地に着地した。
(参ったな、これは……)
だが居たはずの方向を見ると女性はいない。
あたりを見回すが、【上位索敵妨害】のせいで相手の位置がとれないのだ。
多岐にわたる攻撃に、相手の動きを読む正確さ。
もう脱帽以外の言葉が当てはまらない。
その時、ふっと花のような香りがしたかと思うと、両肩に柔らかいものが上から降ってきた。続けて両頬に触れる、柔らかく温かいもの。
太ももだった。
ヴァージンキョンシーは俺の肩に肩車されるように座ると、両方の太ももで俺の頭部を挟みこんでいた。
リバースフランケンシュタイナーと言うのだろうか。
頭を後ろ向きに引っ張られた。
受け身を取ることもできず、脳天にがつんと衝撃が走った。
「ぐぅ」
揺られた脳のせいで、唐突に訪れる嘔気。
俺はなんとかそれをこらえると、起き上がり姿を追う。
先手先手で押されては、このまま終わりかねない。
次の瞬間、俺の脳天に向けて女性のかかとが降ってくるのを【認知加速】した俺の眼がとらえた。
俺はここでさっき拾った
それに気づいたヴァージンキョンシーは攻撃をキャンセルし、後ろに宙返りすると、初めて退いた。
武器を取り出した俺を警戒したのか、一旦離れ、様子を窺っている。
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