第48話 死の沼のほとりで
黒と赤の帽子を被り、黒に部分的に青のサテン生地が入ったローブを着ている。彼らの顔は例外なく白く厚化粧され、真っ赤な口紅を塗られていた。両手を前に突き出し、特徴的なポーズをとっている。
「き、キョンシー……」
小さな感動が俺を支配する。
知らなかった。
このゲームに実装されているモンスターだったのか。
ゆっくりと近づいてみるが、やはり俺には攻撃はしてこなかった。
瞬きしてモンスター情報を確認すると、通常型のほか、『エルダーキョンシー』、『ハイエルダーキョンシー』というのもいるようだった。
武器を保持していないため、恐らく格闘系のモンスターなのだろう。
恐ろしいことにレベルは通常のアンデッド系モンスターより、かなり高く設定されている。
キョンシーは55、エルダーキョンシーはレベル60、ハイエルダーは65。
通常型ですら、レイスと同じレベルだ。
運営よ、こんな瘴気の濃い場所でこのレベルと戦うなど、無理設定に感じるんだが。
試しにリンクしない位置でハイエルダーを攻撃してみると、やはり完全な格闘系モンスターだった。
両足でピョンピョン跳ねる割には移動速度が異常に早く、力も強い。
格闘系職業のアビリティである【
たしか、【通天崩山】は第七位階のアビリティだ。
古代語魔法〈
ちなみに、
この世界の空中コンボはすべて無防備に受けるというものではないが、適切に防御できるともいいがたい。
「うわ、マジか」
キョンシーに三秒間影を踏まれると、状態異常【金縛り】を受け、数秒動けなくなってしまうようだった。
俺は知らずにそれを喰らい、右腕を【腕拉十字固】にされ、あっさり肘関節でボキンと折られてしまった。
苦痛に脂汗を掻きながらも、俺の自慢の『スポアロードの糸』が効き、倒すことができた。
さっそく調合した亡骸草を使う羽目になる。
「おお!」
しかしいいこともあった。
なんとハイエルダーキョンシーは糸になることがわかったのだ。
その後の俺は手のひらを返したように喜び勇んで狩った。
どんな状態異常攻撃だろう。
生成カウントは5だったので、5匹倒してみると『ハイエルダーキョンシーの影糸』というのが手に入った。
「影糸……」
まさか
高鳴る胸を鎮めながら俺は効果を見た。
■ ハイエルダーキョンシーの影糸
攻撃力 50
拘束時状態異常 【
「お、悪寒だと……」
顎が外れそうになった。
敗血がなにかは知らないが、所詮はただの寒気なわけだ。
肩を落としながらも、とりあえず糸 20本分を倒した。
(試しに使ってみるか)
俺は死神の腕にもこの「ハイエルダーキョンシーの影糸」を装備し、やってきた通常型のキョンシーに放ってみる。
「ゴォォ!?」
糸に絡めとられた通常型キョンシーが唸り声をあげる。
すぐさまキョンシーは急に歯をガチガチと鳴らし始めた。
出た、寒気。
しかし、程度が尋常ではなかった。
全身を痙攣させるかのように震え始めたのだ。
戦闘など継続できる状態ではない。
「おぉ……案外にいい?」
「いい拾い物だったかもしれない」
拾った糸で感動したのは、スポアロード以来か。
ニヤリ、としながら俺は再び歩き出し、沼に向かっていく。
沼は底が見通せるほどに澄んだ、美しいものだった。
近づくと、沼の中央には小さな離れ島が見えた。
そこへは踏むのがためらわれるような、黒く艶のあるアーチ橋がかかっている。
(人の手が入っている)
橋を渡ってみると、離れ島はすべて石畳が整然と敷かれていた。
力強くピンク色の花を咲かせた木々が、瘴気で歪みながらもあたりを華やかに飾っている。
そしてその木々に守られるように、黒檀製の
初めて見る俺でも、墓だとすぐにわかった。
(随分立派だな……それにこの花、牡丹か)
俺は色々膨らんでくる想像の中を泳ぎながら、そこに人がいることに気づかず、柩に近づいていった。
こんなところに【上級索敵妨害】を持っている魔物がいるなど、想像すらしていなかったのだ。
「………」
俺の足が石のように硬直する。
柩の蓋がずれて開いており、その柩に腰掛けるように儚げに黒髪の女性が佇んでいたのだ。
厚化粧でわからないが、二〇歳ぐらいの東洋系の女性だ。
黒髪は帽子の中で団子にしているように見える。
睫毛が長いことまではわかったが、眼は閉じたままなのに遠くを見るようにしているのが不思議だった。
この女性も、キョンシーだった。
帽子と服の色彩は他のキョンシーたちと一緒だが、黒に青のサテン生地が入ったシャツワンピのようなものを着ていた。
サテン生地には金色の刺繍が入っていて、牡丹の花の様に見える。
ワンピースの裾からはスパッツを穿いた太ももと灰色の素足が見えるが、所々打撲痕の様な紫斑が痛々しく浮き出ていた。
靴は履いておらず、裸足のまま草地の上に立っていたが、爪が鋭く長い。
女性は両手を後ろ手に組み、墓石に寄りかかっていた。
俺の角度からは、その横顔が見える。
長く伸びた睫毛を重ねて眼を閉じた顔には、微笑が浮かんでいる。
じっと初恋の相手でも待っているかのようだ。
(【上位索敵妨害】か。まったくわからなかった)
瞬きをして得た情報は、レイドボス、ヴァージンキョンシーだということだ。
レベルは80。
レイドボスにしてもかなり高い部類に入る。
彼女に近づくにつれ、空気が重たくなっていく。
どうやらこの辺りの濃密な瘴気は、このヴァージンキョンシーから発せられているようだった。
まず話しかけてみることにした。
俺は彼女に、会話が成り立ちそうな人間味を感じたからだ。
万が一の戦闘のことも頭に置きながら、近づいていく。
レイドボスは最初から部下を連れるか、もしくは戦闘中召喚する能力を持っている。
このヴァージンキョンシーはあとから召喚するタイプだろうか。
「あんた、魔物なんだな」
「……」
遠くから声をかけたせいか、返事はなかった。
俺がそのままゆっくり歩を進め、あと十歩ほどになった時。
「………」
女性は手を後ろに組んだまま、俺に嬉々とした表情を向けた。
しかし、すぐさまその表情が一変した。
「うぅぅあぁ……!」
彼女は牙を剥くように口を開けると、その美しい顔を歪め、唸り声をあげて俺を威嚇した。
それでも可憐さを失わない、恵まれた顔立ち。
「戦うつもりはない」
俺は両方の手のひらを見せるようにしながら、一歩下がる。
女性は憤怒の表情を浮かべたまま、後ろで組んでいた手を縄跳びのようにしてぴょんとまたぎ、前に持ってくる。
なぜそんなことをしているのかと目を疑う。
だが女性の手を直視した俺は、冷水を浴びせられたかのように、はっとした。
女性の両手は、握り合っているのではなかった。
手首の内側同士を黒く、太い糸で痛々しく縫い込まれていたのだった。
見れば、女性が眼を閉じたままの理由もわかった。長い睫毛でわからなかったが、上と下の瞼が残酷にも縫われていたのだ。
そして、開けた口。今でも血が
もちろん彼女は血をすすっていたわけではないのはわかる。
その舌が、削ぎ落とされているのだった。
(まさかこの人は……)
――縫われた手、縫われた目、落とされた舌。
その壮絶な三重苦を見て、俺はこの世界のおとぎ話を思い出さずにはいられなかった。
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