第45話 エピローグ




 俺は転移ゲートをくぐり、石の塔の屋上に再び姿を現した。

 時刻は正午になるところ。


「ふぅ……ひとつ終わったか」


 空を見ると、陽は翳ったまま、ひんやりとした昼を迎えている。

 汗を掻いていたせいか寒気が肌を刺し、俺は慌てて黒の外套を羽織った。


「カジカ! か……」


 現れた俺に気づき、ノヴァスが駆け寄ってきた。

 彼女はこんな寒いところで、本当に待っていてくれたらしい。


 彼女の唇はいつぞやのように紫になり、血色の良かった肌は雪のように白い。

 しかし、ノヴァスはエブスでもカジカでもない俺に眼を丸くしている。


「あ、あの……貴殿は?」


 ノヴァスの声のトーンが変わった。

 俺は今初めて気付いたように、眼を瞬かせた。


 そしてノヴァスに挨拶を始める。


「私はアルマデルという、しがない流れ者ですが」


「流れ……者?」


「ええ。ここの『ゾーン 9』ステージの景色が好きで、たまに1人で入ってまして……どうかなさいましたか?」


 用意してあったセリフが、俺の口をついて出て行く。


「そ、そうなのか。失礼した。知り合いを待っていて、そいつと間違えてしまった……」


 ノヴァスがブロンドの髪を揺らして俯き、尻すぼみに答える。


「おや。デスゲーム化してからは、ここに入るのは私だけだと思っていましたが、そうでもないんですね。お知り合いさんの戦いは観戦されたので?」


 俺は素知らぬふうにノヴァスに訊ねると、彼女は首を横に振る。


「いや、観ないことにしたのだ。15分だからもうそろそろ終わると思うのだが」


「なるほど。それなら制限時間を過ぎれば、自動的に外域決闘場テンポラリコロシアムからは追い出されます。ここにもどってくるだろうから待っていればいいでしょうな」


「そうだな。少し待つことにしよう」


 ノヴァスは石の壁に背中を預け、腕を組んだ。


「ロミオを待つジュリエットのようですね。……あなた様を取り合っての決闘ですかな」


 俺はつい予定にない言葉を口にしていた。

 一昨日まで、一言すらも話したくない相手だったのに。


「そ、そんなんじゃない」


 頬に朱がさしたノヴァスが、慌てて否定する。


「それは失礼」


 その後のノヴァスはいつもと変わらない表情で、背を預けたまま、じっと待っていた。

 二人の静かな時間が流れる。


 彼女は、ひたすら俺を待っている。

 

 このまま立ち去っても、なんら不自然ではなかったと思う。

 だが痛々しいほどの想いが伝わってきて、俺にはできなかった。


 転移ゲートは揺らめく青い光を湛えながら、音もなく佇んでいる。

 誰も出てこないまま、十五分などとうに過ぎていたと思う。

 

 それでもノヴァスは無言のまま、じっと転移ゲートを見つめている。


 と、その時、ふと頬に冷たいものを感じて見上げると、ちらちらと空から白いものが舞い降りてきていた。


 雪だった。


「……おや、雪ですか。この土地では初めて見ました。ずいぶんと珍しい」


 俺は指先でふわりふわりと舞うものを示しながら言う。


「………」


 しかしノヴァスは俺の言葉など聞こえていないようだった。


 ノヴァスの亜麻色の髪に、純白の宝石がゆっくりと舞い降りて、小さな水滴となって消えていく。

 そんなふうにノヴァスが神秘的に見えていた時、ふいにその顔がこちらを向いた。


「アルマデル殿、外域決闘場テンポラリコロシアムにお詳しいようだから、ひとつお訊ねしたい」


 ノヴァスは石の壁に背を預けたまま、俺に声をかけた。


「はい。なんでしょうかな」


「……決闘をした 二人が、二人とも出てこないということは、ありうるのだろうか」


 ノヴァスが仮面を被った俺をじっと見ている。

 俺は少し考えるふりをして、言った。


「ふむ。決闘場内で生きていれば、ゲートに入らなくとも十五分で強制的にここへ押し出されるはずです。誰も戻ってこないのなら、相討ちで二人とも死んだのでしょう」


 用意してあった言葉だった。


 こう言えば、『乙女の祈り』としてずっと腐心してきてくれただけに、多少は悲しむかもしれないとは思っていた。


 そう、最後の最後まで、腐心させてしまった。

 ノヴァスは馬車を待たせ、俺を連れ去ろうとしてくれた。


 それが叶わないと知ると、エブスが出てくるかもしれないのに、ここで俺を待っていてくれたのだから。


 ……だから言ったのだ、あの馬鹿め。


 死んだら元も子もないのに。


 そう冷たくいい放ち、ため息をついてくるりと背を向け、カツカツと足音を立てて去っていく姿が目に浮かんでいた。


 だが。


「……いやだ……」


 ノヴァスの目が見開き、すぐにその目に大粒の涙が湧いた。

 やがて聞こえてきたのは、言葉ですらなかった。


「うっ……ううぅっ!」


 ノヴァスは両手で顔を覆い、石壁に背を預けたままずりずりと崩れ落ちた。

 覆った顔から漏れていたのは、嗚咽だった。


「お、おい……」


「ああぁ……!」


 続けて、信じられないような女性らしい声で、ノヴァスは泣き始めた。


「ううっ……うあぁっ! うくっ……」


 静かに雪が舞い降りる石の塔の上で、ノヴァスは体裁など気にせず大声で泣きじゃくっている。


 身を焼かれるような切なさが、全身に広がっていく。


「ノヴァ……」


 耐えられなかった。

 よっぽど正体を明かして、ノヴァスを優しく抱き締めたかった。


 大丈夫、もう大丈夫。


 変な約束をさせられたエブスはいないし、俺は生きているから。


 俺はこの時、もう認めざるを得なかった。

 ――この人を、心のどこかで想い始めていることを。

 

 身体一つで、俺を必死で守ろうとしてくれた、この人を。

 

「ノヴァス……」


 そんな気持ちで、俺がノヴァスに向かって歩みを進めた時。

 どろりとした心が、俺の体を後ろからぐいと掴んだ。

 

 それが俺に語り掛ける。


 ――もう一人、地獄に落としたい奴がいるのではなかったのか。

 そいつはノヴァスと同じ、ギルドではなかったのか。

 

「………」


 ドクン、と胸が大きく跳ねた。


 猛烈な葛藤が心の中で生じ、俺はたたらを踏んで身動きができなくなった。


 やがて俺の心に、研ぎ澄まされた怒りが満ちた。


 ――まだだ。まだ、明かせない。

 あいつは、リンデルは、万が一にも逃さない。

 

 それが終わるまでは、正体は、明かさない。


「………」


 決意を固めた後は、空を見上げ、大きく息を吐いた。

 溶岩のようにどろどろと煮えたぎった心を入れ替えるように。

 

 そして、ずっと泣いているノヴァスに背を向け、できるだけ明るく言った。


「ああ、そうとも限らないかな」


「………」


 俺の声に、ノヴァスが泣きやんだのが分かった。


「……えっ?」


外域決闘場テンポラリコロシアムからは転移ゲートを使わず、帰還アイテム『リコール』でも脱出できるはずだ。あまりやらないが……。その時はこの街のどこかにランダムで出現することになりますな」


「……そ、そんなことが?」


 ノヴァスの声が、明るくなる。


 俺は振り返る。

 その顔が見たくて、ではなく、自然な流れに見えるように。


「ちなみに、なんという名のお方を探しているのだね?」


「……か、カジカだ。大きくて、不細工で、なんの取り柄も、ない奴なんだ」


 ノヴァスは真っ赤な眼をし、まだしゃくりあげながらも、俺の名を言った。


「……そこまで聞いてないけどな」


「えっ?」


「ああ、いえいえ……おや? もしかして、あの山のような大きい人かな。今あの料亭に入っていった……」


 俺は顔を見られないように、石壁から探している振りをしながら指さした。


「……えっ、えっ!?   どこ! どこどこどこだ!?」


 ノヴァスは飛ぶように駆け寄ってきて、落ちかねない勢いで俺の横に並んだ。


 外はねしたブロンドの髪が大きく揺れ、柑橘系のスッキリした香りが少し遅れてついてきた。

 ノヴァスが石壁から身を乗り出して、真剣な表情で下を見ている。

 

 ノヴァスのまだ紅潮している横顔が目に入り、心底抱き締めたくなった。


(あの時は、冷たい頬をしていたな)

 

 湧きあがってくる感情のせいか、俺は少し言葉に詰まりながらも言った。


「あの、『運命の白樺亭』ですよ。ずいぶんと大きな方でした。私の見間違いかもしれませんが、行ってみては?」


「なっ!? あいつまさか待っていた私を捨ておいて詩織殿のところへ……!?」


 ノヴァスがいつもの顔になる。

 それを見た俺は、小さく笑った。


「――あの男! もう許さん」


 そう言い残し、ノヴァスが階段をカカカ、と下りてゆく。


(まぁ挨拶はないよな)


 誰もいなくなった石の塔の上で、俺は盛大に肩をすくめた。

 冬の風が、急に冷たく感じたのは気のせいか。


「……ん?」


 ふと見ると、階段のところに何か白いものが落ちていた。

 拾ってみると、見覚えのあるハンカチだった。


 ノヴァスが昨日、身体を拭くのに使っていたものである。


 きれいに四つ折りに畳んであった。


(見かけによらず、女子力高いなあいつ)


 俺はそれをポケットにしまった。

 今度会える時に返そう。いつになるか、わからないが。


「さて、いくか」


 俺の心は今までになく晴れやかな気持ちで満ちていた。

 もちろん、これはエブスに復讐を果たしたというだけではないだろう。


 静かに舞い降りていた雪は、いつのまにか止み、眩しい陽射しが雲間から光の線になって差し込んでいた。

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