第二部
第46話 詩織とのひととき
「亡骸草」という薬草がある。
調合することで
NPCの店では手に入らず、現状ではプレイヤー販売を待つのみである。
直接探しに行くしかないと考えた俺は数日前に手を打った。
リンデルへの復讐に、回復手段なしで行くほど能天気ではないからだ。
「おかえりや、でっかいお兄さん。エール酒でいいかい」
「ああ、お願いしたい」
ちなみに俺はエブスを倒した後、街を出た。
北上したところにある街道沿いの寂れた宿を見つけ、カジカになって住み続けている。
街に居づらかったのは、カジカがエブスを倒した事実を隠すためだ。
カジカは今まで通り侮られる存在の方が、リンデルにも近づきやすい。
エブスを倒して二日が過ぎているが、そういう理由で俺はあれからノヴァスにも接触できていない。
「………」
そんな時、耳元で音が鳴った。
ご無沙汰していたこの音は、以心伝心の石だ。
「……カミュ、聞こえる?」
人を安堵させる声。
詩織だ。
◇◆◇◆◇◆◇
暖炉の炎が薪を舐め始める頃になると、夕食を終えた宿泊者たちがその前に集まって座り、酒を飲み交わす。
この世界ではおなじみの、冬の夕べである。
離れたテーブルに座っていた俺はエール酒を2杯飲み終え、今はウォッカに似た蒸留酒をちびちびやっていた。
ちびちびとしか飲めないのは、長く貧しい生活を経たせいで間違っていない。
「そろそろか……」
そう独り言を言いながら窓を見ると、夜の薄暗がりの中で、すっと影が動くのが見えた。
「おう」
俺は席を立ち、扉まで迎えに行くと、そっと扉を開け、外に立っている黒衣の女性を招き入れる。
「ありがとう」
入ってきた少女に、暖炉前の連中から視線が集中している。
「道悪かっただろ」
俺はもう一度、玄関の扉の隙間から外を覗き見た。
玄関先のうつろな明りが、わだちに貯まるドブ水を照らし出している。
「――いいのよ。それより久しぶりね」
馬で駆けてきた詩織は髪を頭の後ろで一本に縛り、見慣れた黒装束の装備を身につけていた。
敏捷度を一本調子で上昇させる、S級装備の黒装束「飛天」セットである。
黒装束と言っても、女性用の「飛天」セットはノースリーブにミニスカートで、上腕と太ももを黒のストッキングで覆うものである。
そう、簡単に言えば艶があった。
もうあと三年ほど経っていれば、完成された大人の女性の色気を放っただろうと思う。
「おや、あんたにこんな可愛い彼女いたのかい」
宿のおばちゃんが空いたジョッキを片付けながら、後ろでヒッヒッヒと笑うのが聞こえた。
俺は詩織を宿の二階の部屋に案内し、用意してあった軽食と詩織の好きな紅茶を文机に並べた。
俺の借りている部屋は八畳位のスペースに簡素なベッドに、古びれた文机がひとつ置かれているのみだ。
詩織がお構いなく、と言いながら文机の前に座ると、縛っていた髪をはらりと肩に下ろした。
室内は寒いので毛皮は羽織ったままだ。
俺はそんな詩織を横から眺めるような形で、ベッドに腰かけた。
0.2トンの俺に驚いて、ベッドが大きくきしむ。
その大きな音に、詩織がくすくすと笑った。
「……ところで、いつまでここにいるの」
詩織は紅茶のカップを手に持って伏目になり、香りを楽しんでいる。
外は風が出てきたのか、木の梢が部屋の小さな窓をコンコンと叩いている。
「近々アルカナボス攻略が行われるって言ってただろ。それが終わってからが無難かな」
攻略のために、現在『北斗』のミハルネたちや『乙女の祈り』の彩葉らがルミナレスカカオに集っている。
今出ていくのは、最悪のタイミングだ。
「ずっと宿だったらお金がもったいないわ。あたしの家に来る?」
詩織が紅茶のカップに口づけする。
肩までの髪に横顔が隠されて表情が読めない。
そう、このお嬢さんは見かけによらず、ルミナレスカカオに立派な家を持っている。
「いや、家壊すといけないし」
「アルマデルになればいいじゃない」
「いろいろ他にもダメだ」
「……そう?」
断った理由は簡単だ。
異世界に来たのをいいことに、俺はこの中学生に一人の女として接してしまいそうだからだ。
自制心に到底自信が無い俺としては、そういう環境自体を避けることが大事だ。
「なあに、あと一週間ぐらいだろうし、エブスの斧がそれなりで売れたから大丈夫だよ」
転移ゲートに入る前に掴んできた損壊武器の不撓の斧だが、110金貨で売れた。なんと損壊していなければ150金貨だったそうだ。
「カミュ、そういえばさ……」
「ん?」
詩織が茶色の髪をふわりと揺らし、目を合わせてくる。
「あの日、ノヴァスさんが血相を変えてあたしの店を訪ねてきたわ」
「あの日?」
俺はなぜか、わからないふりをしていた。
「カミュが決闘した日よ」
「ほ、ほう……」
「カジカぁ! 私と約束しておきながら! とか怒鳴って入って来るものだから、びっくりしちゃった」
「……ほう」
「でも、カジカさんは今日はきていませんよって言ったら、とたんに勢いを無くして出て行っちゃったわ」
「……そうか」
騙したのは俺だ。
胸が痛くないかと言われれば、痛いに決まっている。
が、彼女に詳細を話すのはリンデルを倒してからだ。
これはどうあっても揺るがない。
などと考えていると、ふと、甘い香りがして瞬きする。
「……ねぇ、ノヴァスさんの言っていた、約束って何のこと?」
気付くと、詩織は俺の隣にぴったりとくっついて座っていた。
「……へ?」
「女の勘がね、まずいわよって言ってるの。変な約束したりしてないわよね?」
カジカの俺を見上げてくる詩織の顔には、これが聞きたくてここに来たのよ、と書いてあった。
「変な約束ってなんだ」
「例えば、キスするとか」
「いやいやいやいや」
鋭すぎる中学生がいる。
「本当?」
詩織がまっすぐ俺を見ている。
小さなイチゴのような唇が、いつもの距離を越えてすぐ目の前にある。
その気さえあれば、重ねられる位置。
「そ、そそ、そういうのじゃない」
動転を隠しきれない。
近くで見る彼女は、思った以上に大人びていた。
「ねぇカミュ。約束って?」
「それはだな……」
詩織に毒されて、言葉が出てこない。
「さ、酒でももらってこようか」
俺は話を変えようとした。
「いらないわ。帰れなくなっちゃう」
まさにその通り。
中学生を帰れなくしてどうする。
俺は何をする気だ。
「……ところでカミュ、亡骸草を探しているって?」
狼狽した俺を見て、くすりと笑った詩織は話を変えてくれた。
「そそそそ! そうそう」
おかげで思い出した。
「このあたりで植生場所知らないか?」
売ってないから、自分で採集に行くのだ。
「そうねー」
詩織が顎に人差し指を当てながら考える。
「一つは初期村の南にある洞窟を抜けた先の沼地」
「ほう」
だだっ広い沼地が延々と広がっており、出現する魔物は強くないが所々が底なし沼になっている。
しかも底無し沼ポイントは日ごとに変わるというあくどい設定だった。
おかげで開拓は全く進んでいない。
もうひとつはこの街の街道沿いに北に向かって死者の森を抜けた先の沼地だそうだ。
「死者の森の奥よ。レイスのレベルドレインに耐えなきゃいけないわ。瘴気も濃い上にデュラハンも出るから、こっちもあまり探索できていないはずね」
「瘴気か」
瘴気はプレイヤーにとって悩みの種だ。
発生している場所では持続ダメージに加えて移動速度が低下し、瘴気の濃さにより程度差がある。抵抗する方法はいくつかあり、防護の魔法やそのような魔法の備わったマントなどがよく用いられる。
「それでも、底なし沼よりはましよ」
「そうだな」
相談の上、俺は死者の森を越えた先の沼地に向かうことにする。
それでも、瘴気がベースにあってレイスが出るなら相当な高レベルエリアだ。
「心配だわ……あたしも行こうか」
「いやいや、大丈夫さ。もう力は取り戻しているし」
不安そうに見つめる詩織に、俺はカジカの巨体で力こぶを作ってみせた。
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