第44話 本物の【剪断の手】
「兄貴、矢を射る連中がもういませんぜ!」
「んなわけねえだろ! あそこから屋根上に攻撃が届くわけが……」
振り返って屋根上に目を向けたエブスが、そのまま言葉を失う。
「な、なんで……!?」
エブスが信じられないと言った表情で、仮面の男を見る。
その頬を汗が流れていた。
「……お、お前、本物の【剪断の手】かよ」
エブスが途切れ途切れに、言葉を吐き出すように言った。
「だとしたら?」
仮面の男は小さく笑った。
「な、なんでお前みたいな奴が、白豚の、用心棒を……?」
「俺が怖いか」
男はエブスへと近づいていく。
「――ち、近づくんじゃねぇ!」
エブスは跳ねるようにして距離をとった。
「テメェはニセモンだ! こんなところに【剪断の手】がいるはずがねぇ!」
エブスは大声を張り上げていた。
まさに自分に言い聞かせるように。
「俺様は騙されねぇぞっ!」
エブスは斧を振りかぶり、最短距離を懸けた。
「――【
「――おおぉ! 兄貴必殺の」
エブスの後ろからは歓声が上がった。
【
「つまらん」
仮面の男はため息をつく。
この技は迫力だけはあり、大火力の
しかし密集して現れる魔物に対して特に有効な技であり、対人戦には不向きであることを、仮面の男は知っていた。
「らぁぁぁ――!」
風を切り、ぶぅぅん、と振るわれる斧。
「――な!? どこへ」
エブスが唖然とする。
振るった先に仮面の男はいなかった。
「――がっ!?」
直後、エブスが前のめりになってつんのめった。
後頭部を激しく肘打ちされたのだった。
「……え?」
「あ、兄貴……?」
それを目の当たりにしたエブスの仲間たちが目を疑う。
「ふ、ふざけやがって……」
エブスは顔を土だらけにしながら、立ち上がった。
そう、仮面の男はいつの間にか、エブスの背後に立っていたのだ。
「ぶっ殺す! ―― 【
仮面の男は一歩も動かず、それを身に受ける。
「続けての 【
エブスは再び、横薙ぎの攻撃を振るう。
「どうだ!?」
「――つまらんと言っている」
その声は再び、エブスの背後から聞こえた。
「ぐぇ!?」
またしてもエブスは後頭部を肘打ちされ、顔面を地に擦った。
「兄貴が……」
「し、信じられ……ねぇ……」
エブスの連れたギルド『KAZU』の者たちが、言葉を失う。
「……て、てめぇ……」
立ち上がったエブスは、その顔を怒りで真っ赤に染めていた。
「これが『KAZU』の副団長の実力か」
「――ふざけんなぁコラァ!」
エブスが
袈裟薙ぎ、横薙ぎ、2回目の逆袈裟。
繰り出されているのは、命など簡単に消し飛ぶであろう一撃。
でありながら、仮面の男はさながら子供と遊んでいるかのように、平然と避けていた。
「………」
エブスの仲間の男たちは、魂が抜けたように、その光景を呆然と眺める。
「ゼェゼェ……ちょ、ちょこまか動いてんじゃねぇ!」
エブスは大斧で【脚払い】を仕掛けてくる。
それは以前、仮面の男がカジカであった時に、転倒を与えた一撃であった。
「へぶっ!?」
しかし今は違った。
仮面の男はあっさりとそれを跳躍して躱し、エブスの顔面に膝蹴りを見舞った。
「ぐああぁぁ! 」
エブスが血が止まらなくなった鼻を押さえて、転がりまわる。
「兄貴! ……おい、三人がかりで行くぞ!」
「おう!」
盾職の男が格闘系職業の男二人を連れて、仮面の男に向かう。
「………」
しかし駆け出したかというところで、三人はすぐに呻き声を上げ、その場に倒れ伏した。
仮面の男の両肩から伸びる二本の漆黒の腕が、糸を放って切り裂いたのである。
「お、おい……?」
エブスが半身を起こした姿勢のまま、硬直する。
目の前で起きた出来事がエブスの頭に染み込むまでに、やや時間がかかっていた。
「お前、【
仮面の男は言いながら、エブスの方へ近づいていく。
「ポゼス……?」
「第七位階の【
「……え? なんだって?」
エブスが聞き返す。
仮面の男は、また溜息をついた。
しかしそこで、エブスが突然動いた。
「バカが! ――この距離じゃ絶対に躱せねぇ!」
突如、エブスが上へと飛んだ。
「――【
斧系職業の代名詞的な技で、知らぬものなどいない。
少々発生が遅いことが致命的であるが、エブスの手にある不撓の斧は【
そのため、エブスの場合は【
そう、今までPKKを屠り、エブスを強者たらしめたのは、このトリックのせいであった。
「とったぁぁー!」
身長の3倍以上まで飛び上がったエブスが、勝利を確信した顔で下降してくる。
直後、シュン、という糸が唸る音が響いた。
「――なっ!?」
エブスは勢いよく着地するも、斧を振り下ろせなかった。
糸による【武器拘束】である。
これにより【
「ど、どういう……!?」
続けて、糸で拘束された大斧が、白い煙を上げ始める。
「何を……!?」
エブスが瞬きを繰り返している間にも、斧頭が折れて、ごろりと地面を転がった。
【
装備品耐久度に直接ダメージを与え、武器破壊を起こしたのである。
「……う、うえぇぇ!?」
エブスが、言葉を失う。
「もう一度聞こう。俺が怖いか?」
仮面の男は呆けたエブスに近づく。
「チキショウ! 本物かよ!」
エブスは柄だけになった斧を捨てると、慌てて男から距離をとる。
「……せん断の手がどうして白豚なんかの用心棒をしてやがる!」
エブスの顔には、誰が見てもわかるほどの怯えが浮かんでいた。
仮面の男は糸を構え直しながら、さらに近づいていく。
「お前は誤解している」
「ご、誤解なんかじゃ――」
「俺がその白豚だよ」
「……な」
エブスが絶句する。
「ふ、ふざけるな! お前があの白豚なわけねえだろうが!」
エブスは信じられないといった様子で叫ぶ。
仮面の男は小さく笑うと、すらすらと言葉を並べた。
「『この街から出てけよ。まあ街の外歩けるほど強くねえか。じゃあ野たれ死ぬしかねえな』……だったか」
「……な……?」
エブスの顔から、血の気が引いていく。
「お前にはリンデルに寝取られた発情白豚』とも言われたな」
「そ、それは……!」
エブスが腰を抜かして、尻もちをついた。
「そ……そんな馬鹿なことが……」
「自分が死ぬことになるとは思わなかったか」
仮面の男の言葉に、エブスは一気に蒼白になった。
「ひぃぃ――!」
エブスは四つん這いで仮面の男から必死に離れると、建物の陰に逃げこもうと走り出す。
「……うぇっ」
しかし、その体にはすでに、数多の糸が絡みついていた。
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