第40話 近づく距離



「嘘じゃない」


「説得力がないな」


「あのな、ノヴァス」


 そこでぽつ、ぽつと冷たいものが頬を叩き始めた。

 ノヴァスが空を見上げ、少し離れている広めの空き家を指さした。


「あそこへ行こう」


   二人で走る。

 いや、俺は走ったうちに入らないが。


 家に入るころには、パラパラとした雨は叩きつけるような豪雨になっていた。


「ふぅ。ついてないな」


 室内に入り、小さな溜息をついたノヴァスがハンカチを取り出すと、女らしい仕草で目元、口元、首筋と拭いていく。

 露出している二の腕を拭いたかと思うと、赤いフレアスカートの中まで、丁寧に拭いていった。

 

「使うか?」


 ノヴァスは自分を拭いた後のハンカチを丁寧にたたみ直して差し出してきた。


「使うわけがない」


 あまりにぶっきらぼうな返答に自分でも驚いた。


 ノヴァスはそうか、というと背を向けて両手で水を吸った髪を振り払って落ち着かせようとしている。

 急にすっきりとした柑橘系の香りが部屋に広がった。

 

 俺は壁に背を預けて床に腰を落ち着け、ノヴァスは目の前にあったベッドに腰かけた。

 ベッドはシーツが敷かれ、丁寧に整えられたものだ。


「……ちょうどいいな」


「どうした」


「カジカ。雨も降っているし、マップ散策は後にしていいだろうか」


「他になにかすることが?」


「お前に謝りたい」


 向き合ったノヴァスは、まっすぐに蒼穹の瞳を俺に合わせてきた。


「なにをだ」


 言いながらも、もちろん俺は察しがついている。


「シルエラのことで、その……お前を笑って済まなかった。馬鹿にするつもりではなくて、その……エブスの言い方がおかしくて……」


 ノヴァスが言い淀むのを、俺は初めて見た気がした。


「もういい」


「お前を傷つけてしまって、ずっと……え?」


 ノヴァスがきょとんとする。


「『もういい』と言ったんだ」


「……許してくれるということか」


「ああ。だからもう過去のことを掘り返すのはやめにしないか。思い出すのもうざくてな」 


 ノヴァスが大きく息を吐くと、その顔に小さな笑みを灯した。


「……お前は私を罵らないんだな。あれだけ笑った私に、言いたかったことはないのか」


 ノヴァスがじっと俺を見ている。

 

 もちろん、なかったわけではない。

 だがあの日、冷え切った身体で必死に謝罪する様子に、俺はすっかり毒気を抜かれてしまっていた。


「一つ言うとすれば、あんな……ネジが取れたように笑うお前が新鮮だった」


「なっ」


 俺はもう、こんなことを言えるまでノヴァスを許していた。

 ノヴァスが苺のように顔を真っ赤にする。


「――むしろ感謝しなければならない。あの時、ウルフの群れから命を助けてもらったのは間違いのない事実だからな」


 それを聞いたノヴァスが、やっと頬を緩めた。


「まったく……あの時は運が良かったよ。お前を観察している時でよかった」


「……観察?」


 俺は眼をしばたたかせた。


「街を出る姿を初めて見かけたから、どれだけ戦えるか見ておこうと後をつけたのだ」


「ただのデブな乞食だったろう」


 ノヴァスは苦笑すると、すっと立ち上がってゆっくり俺のそばに歩いてきた。


「確かにお前は飼料とそのあたりの野草を食べて暮らしていた。『稼ぎは薪割り、街から出ずに暮らす有名な奴』と聞いたが、まさに寸分違わぬ生活だったな。あんな最低辺の生活で、どうして体が小さくならないのか、見るたび不思議だったよ。そのくせ我々の支援はかたくなに断るしな」


 ノヴァスが何を言おうとしているのか、わからない。


 だが、俺の正体に気づいているようにも感じられなかったので、口を挟まずに聞くことにした。

 ノヴァスは俺の目の前まで来ると、足を崩して横坐りし、俺と視線の高さを合わせた。


 果物の爽やかな香りがふっと漂った。


「『乙女の祈り』に加入したシルエラから、お前のことを詳しく聞いた。リンデルのセクハラ話と違って、紳士でとても親切な人だったそうだ」


「あいつは人をいい人のように言うのがうまいだけだ」


 ノヴァスはくすっと笑った。


「あんな生活をしていたくせに、お前はシルエラに金貨を3枚も渡したそうだな」


「………」


 俺は予想外の話の流れに、無言になる。


「不思議なことに、シルエラは初心者のくせに習得していない古代語魔法の性能や使い方を事細かに知っていた」


 ノヴァスは俺の顔を覗き込むようにしながら、話を続けた。


「『乙女の祈り』にも一次転職を済ませた魔術師系職業の者が4人いたが、シルエラ以上に知っている者はいなかった。誰にそんなことを教わったのかと問えば、なんとお前だというじゃないか」


「………」


 俺は心の中で小さく舌打ちした。


 確かにその通りだった。

 デスゲーム化した時期だったのもあり、知識一つが生死に関わると思っていた俺は、彼女にはばかることなく伝えた。


「まさか高位のプレイヤーなのかと思って見ていれば、ウルフたちと戦うのを見てもいまいちぱっとしない。斧を使っていたから火力職アタッカーなのだろう? 前も言ったが【斬撃】すら使えないようだった。いや、お前の場合は使わないと言った方が正しいのか? 本当は高位の魔術師なのかもしれない」


 ノヴァスは微笑を浮かべながら、俺の顔をまっすぐ覗き込んだ。

 真っ青な二つの碧眼が俺を捉える。


「魔術の知識は、街の図書館に行けば誰でも得られる」


 俺はごまかしを図る。

 だがノヴァスは笑みを浮かべた。


「家畜用の飼料を食べている奴が、銀貨を払って街の図書館に入るのか?」


「………」


 俺は閉口させられる。


「まあお前を買いかぶり過ぎていたのは、あのウルフたちの一戦でよくわかったよ。それは認めよう。大方、別のキャラクターが高レベルだったとか、そういう話だろう? 作っていた新キャラクターに入っている間に、デスゲーム化したのだろう?」


 ウルフとの一戦はさすがのノヴァスも演技には見えなかったのだろう。

 俺が疑いなく雑魚なのだと決めつける根拠になっている。


「そうそう、忘れていた」


 俺が無言でいると、ノヴァスが思い出したように言って、アイテムボックスから何かを取り出す。


「これを返そう。あの時は済まなかったな」


 そう言ってノヴァスが差し出したのは、予想もしていない物だった。


 ひどく使い古された、黒ずんでいる石斧。


「なっ……」


 胸の奥が熱くなった。


 一見しただけでわかった。

 これは、俺が使っていた薪割り用の斧だった。


 エブスに投げ捨てられ、背の高い木の上に突き刺さったのが見えた、あれだった。


「あのあとすぐにこの石斧を探しに行ったのだが、手間取ってな。見つけた頃には1週間近く経っていた」


「まさか……あの木の上まで?」


 言葉が、呆然とする俺の口を勝手について出ていた。


「あはは、知っていたのか。木登りなんて小さいころ以来だったから怖かったよ。間違って落ちた時に、みんなになんて言い訳しようか、そればかり考えてた」


 ぽかんとしている俺に、ノヴァスはまるで夏の月のように微笑んだ。


「だが、やっと石斧を持ってお前の寝床に行ったら、夜なのにがらんどうだった。寝床はそのまま残っているのに、だ。何日待っても同じまま。もう頭が真っ白になったよ」


 ノヴァスの目に、涙が盛り上がった。


「お前の行きそうな所をくまなく探し回ったのだが、いなかった」


 ノヴァスが胸に手を当てて一旦言葉を区切った。

 そして、言った。


「もともと金がなかったところに石斧を奪われたのだ。私が死なせてしまったのだと思った」


 ノヴァスは早くなりつつある呼吸を整えているようだった。


 ちょうど俺が奴隷狩りに遭って初期村を去った頃の話だろう。

 確かにあの時は戻る気になれず、寝床は放置した。


「餓死したのかもしれないし、石斧を探しに行って、ウルフに喰われてしまったのかもしれない。いずれにしろ、エブスを止められなかった私が殺したようなものだ。あの時、無理やりにでも、金貨をもたせればよかった。あんなに悔やんだことなど、なかったよ。人助けをするためにこのギルドに入ったのに……」


 ノヴァスが顔を紅潮させたかと思うと、とうとう涙をこぼした。


「だから、生きていたお前をこの街で見かけて、心底嬉しかった」


 ノヴァスは涙を拭くことなく、赤い眼をしたまま笑った。

 なぜかそれが、すごく大人っぽく見えた。


(……そういうことだったのか)


 だから詩織の店で会ったあの日、俺に駆け寄って発した第一声が「弱いから死んだかと思っていたぞ」だったのか。

 その言葉の裏に、どれだけ心配してくれていたのか、欠片も気付かなかった。


 俺はただ、ノヴァスを見て怒りを再燃させていただけだったというのに。

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