第39話 決闘場へ
現実世界の建物でいう 四階ぐらいはゆうにあるだろうか。
街の隅にある古めかしい石造りの塔の上に、
今日はエブスとの決闘前日。
ある人物と約束していた日でもある。
久しぶりに入った塔の中は陽を通さず、まるで別世界のように冷えていた。
俺は蝋燭の灯りだけを頼りに、壁沿いの螺旋階段を慎重に上り、塔の屋上部分に向かっている。
そして俺の少し前には、赤いスカートの裾をふくらはぎの上で揺らめかせながら、軽快に登っていく女性がいる。
「先に、行っていい」
無言で背を向けているその女性に、息を切らしながら俺は声をかけた。
女性は登るたびに上下していたブロンドの髪を片手で押さえながら振り向く。
彼女は返事をしないかわりに、 憮然としながら俺を睨んだ。
そう。ノヴァスである。
そもそも、今日は最初から嫌な予感がしていた。
早めに入ってノヴァスに見つからないうちに階段を登ってしまおうとしたのだが、ちょうど入り口でノヴァスに会ってしまった。
会った時は信じられないほど優しげな表情を浮かべていたノヴァス。
しかたなく一緒に登ることにしたのだが、登り始めると予想通り、あまりの鈍足ぶりにノヴァスの顔色が変わっていった。
そして今の状況に至っている。
「……お前、決闘に入る前に、階段で疲弊しきってるんじゃないのか」
「まあな」
「『まあな』じゃないだろう! この馬鹿!」
俺の態度や話し方が軟化していることに、驚くかもしれない。
この4日で、俺もいろいろ考えるところがあった。
先日必死で俺に謝罪してくれた彼女を見て、俺はノヴァスという人を誤解していたかもしれないと感じ始めていた。
エブスに決闘を申し込んだ時もそうだ。
あんな、俺を庇うようなことを言い出すとは思わなかった。
(意外に思いやりのある人なのかもしれない)
そういう人は、嫌いじゃない。
俺がノヴァスを今まで憎らしく思っていたのは、エブスの言った『リンデルに寝取られた発情白豚』という言葉をエブスと一緒に笑ったことが原因だ。
逆に言えば、それだけのことだった。
ノヴァスは俺が弱かった頃、何度も助けてくれている。
こんな性格だから助けられてもイライラするのが玉に
そう考えた俺は、ひとまず今日はノヴァスの言う通りに付き合うことにした。
わざわざ俺を
「ふぅ」
やっと石の塔の屋上に辿り着き、ゲートの前に立った。
俺は例によって息が切れ、会話するどころではなかった。
「……決闘以前の問題だろう」
ノヴァスは俺を睨みながら不満を漏らすと、ゲートに触れて設定画面を出す。
俺もそれに習うと、視界に設定画面がポップアップした。
「ところでお前、決闘場に入ったことはあるんだろうな」
「あるような、ないような」
「――馬鹿かお前は! 自分で死に場所決めておいて、入ったことないのか!」
声が耳にキーンときた。
前言撤回。やはりこいつは、一番嫌いなタイプだ。
「……いいか、ステージは『無人の村』を選べ。あそこは唯一、お前の図体でも隠れられる場所がいくつもある」
決闘場のステージは3種類から選ぶことができる。
『岩山』ステージ、『無人の村』ステージ、『ゾーン9』ステージがあり、もっとも隠れやすいのは今ノヴァスが言った、がらんどうの家々が立ち並ぶ『無人の村』ステージだ。
「制限時間は一番短い15分。HPバーは可視にして、当日は絶対に観戦許可にしろ」
「わかった」
ステージ以外の設定項目はパーティ人数、制限時間、相手HPバーの可視/不可視、観戦許可/禁止がある。
HPバーを可視にすると、俺の頭の上にHPバーが出現し、高いHPが相手にばれるので、ノヴァスの言に反して不可視にする。
続いて観戦設定だが、ノヴァス達は離れた場所にある水晶球を通して、明日の戦いを観戦するつもりなのだろう。
俺が
「さあ、一緒に入るぞ。作戦を教えてやる」
ノヴァスが俺の手を掴み、強引にゲートに侵入していく。
「そんなこと頼んでないぞ」
手を握られて、俺は頬が紅潮してくるのを感じた。
女とはいえ、なんでこんな奴に俺はいちいち反応しているのか、腹立たしくなる。
「うるさい。いいから来い」
俺は引っ張られつつも設定された項目を最後にいじりながら、侵入した。
温かい水の中を抜けるような感触の中、数秒のうちに俺たちは人の気配がまったくない村に降り立った。
平坦な地形に背の低い建物が立ち並び、周辺は開けている。
村の通り沿いに植えられた痩せた木々は、高い梢にのみ冠のように葉をつけており、日が差せば建物に細い影を落とすのだろう。
建物の扉はすべて開け放たれており、それが余計にこの村の寂しさを漂わせている。
(ふむ)
温かさからして、季節は夏のようだ。
見上げると空は灰色の分厚い雲が覆い、太陽がどこにあるかわからない。
ひとまず、設定された条件を確認した。
制限時間60分。
最後に俺がいじったので、HPバーは不可視になっている。
観戦は禁止。
「……お前、設定変えたのか」
ノヴァスがまた俺を睨んでいる。
「今日はHPバーが見える意味はないはずだが? それともHPを見ながら俺をなぶり殺すつもりか?」
ノヴァスが小さく溜息をつく。
「……まあいいだろう。こっちにこい」
「何をするんだ」
「入ったこともないバカに、マップを教えてやるのだ」
その後は言葉通り、ノヴァスが足の遅い俺に罵声を浴びせつつ、隠れやすい場所をいくつも教えてくれた。
屋根裏、地下倉庫、そして地に掘られた溝。
ここでは隠れるのも立派な作戦で、運営もわかっていてか、そのような場所が用意されている。
優勢側は相手にこれ以上キル数を稼がせないために、最後は隠れて逃げ切りに出るためだ。
「いいか、逃げ回って引き分けになれば、それで終わりだ。エブスは二度とお前を狙うこともない。15分だ。どんな卑怯な手を使ってもいい。生き残れ。わかったか?」
「あんな奴が後の約束を守るとは思えないがな」
約束とは、ノヴァスが『引き分けたら俺に一切手を出さない』と誓わせた、あれのことだ。
そうやって鼻で笑った俺を、ノヴァスは真顔で否定した。
「……あいつは守るさ。必ずな」
ノヴァスは遠くを見つめるようにしながら、クスリとも笑わずに言った。
「必ず?」
俺は首を傾げる。
「そうだ、私の余っている下級精錬石をくれてやろう。どうせ、たいしたアビリティ覚醒もしていないのだろう?」
訊ねた俺を遮るように、ノヴァスは下級精錬石を三つも取り出すと俺に差し出した。
『下級精錬石』は 10回の戦闘につき一回手に入れることができる、比較的手に入れやすいアイテムだ。
第三位階までのアビリティを覚醒することができる。
「いらないぜ」
「いいから使え。どうせ捨てるだけのアイテムだ」
ノヴァスが俺の腹に当てるようにして、精錬石を突き出した。
俺は仕方なく受け取ることにする。
「『上級』にして返すよ」
「面白い冗談だ」
俺はノヴァスの背後で肩をすくめ、渇いた喉を潤そうと水袋を取り出す。
が、ふとした拍子に指からすり抜け、ぽちゃりと落ちてしまった。
「それからお前、装備品はさすがにそれではまずいと思うぞ?」
振り返ったノヴァスがちらりと落ちた水袋をみて、関心がなさそうにまた背を向けた。
「心配ない。街中で着る必要がないから、着ていないだけだ」
幸い、水はほとんど溢れていなかった。
答えながらも俺は安堵して落とした水袋を拾った。
「そうか。もう一つ聞いていいか?」
ノヴァスは背を向けたまま俺に訊ねた。
「ん?」
「初期村でのウルフの一戦で、詩織殿は私の介入が要らなかったようなことを言っていた。どういうことなのだ」
「ああ、あの時は詩織も酔っていたし、ただの言葉のあやだろう。俺も意味がよくわからなかった」
俺は適当にお茶を濁す。
今日、この質問がくるのは予想していた。
返答も適当に答えたように見せかけるようにして、実は考えてあったものだ。
「……そうか」
一旦は背を向けたまま歩き出そうとしたノヴァスだったが、突然振り向くと、立ち止まった。
「嘘をついているな」
ノヴァスが俺の手元を指差す。
それで、はっと気付いた。
俺の手は、水袋を逆さに持っていて、自分の足に、どぼどぼと水をこぼしていたのだった。
冷たさすら、感じていなかった。
「嘘じゃない」
「説得力がないな」
「あのな、ノヴァス」
そこでぽつ、ぽつと冷たいものが頬を叩き始めた。
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