第41話 思いついた約束



(……そういうことだったのか)


 だから詩織の店で会ったあの日、俺に駆け寄って発した第一声が「弱いから死んだかと思っていたぞ」だったのか。

 その言葉の裏に、どれだけ心配してくれていたのか、欠片も気付かなかった。


 俺はただ、ノヴァスを見て怒りを再燃させていただけだったというのに。


「わかっただろう? そういう訳で、せっかく生きていたお前を死なせたくないのだ。お前の気持ちは痛いほどわかるが、死んでは何もかも終わりだぞ? 明日の決闘なんてやめてどこかへ逃げたらどうだ? ミッドシューベルの方とかなら小さな村はいっぱいある。ひっそり暮らすことなんて簡単にできるさ」


 ノヴァスが頬にかかる髪を押さえながら、潤んだままの目で俺を覗き込んだ。

 俺はその目を見つめ返す。


「それは『乙女の祈り』の仕事の延長として言っているのか? それともお前個人の感情からか」

 

「……どっちだっていいだろう」


 ノヴァスは急に目を泳がせると、髪を揺らして俯いた。


「よくないから聞いてる」


「いい」


「よくない」


「………」


 ノヴァスが口を閉ざす。

 その様子を見て、俺は大きく息を吐いた。


「負けると決まったわけじゃない」


「ここまで言っても戦うと言うのだな」


「ああ」


「お前のことだ。そう言うとは思っていた」


 だから隠れる場所も教えたのだがな、とノヴァスは独り言のように呟くと、すっと立ち上がった。


「聞いてくれ。お前を守るのに、もっと確実な方法を見つけた」


「確実?」


「そうだ」


 そしてすらりと片手半剣バスタードソードを抜いた。

 以前見たものとは違い、B級武器のミスリル性になっている。


「もうわかるな? 私が何をしようとしているか」


 ノヴァスがさっきまでと変わらない、優しい笑みを浮かべていた。


「そういうことか」


 俺は座ったまま、動かない。


「エブスは強いぞ。『KAZU』にいるだけのことはある。まして逃げ足の遅いお前は、見るも無残に惨殺されてしまうに違いない。私もお前の気持ちを聞いて何度も考え直そうとしたが、これ以外に方法がない」


 ノヴァスが座っている俺の鼻先に向かって、ぴたりと片手半剣バスタードソードを突きつけた。


「今日、私がお前を半殺しにする。明日参加できないほどにな。その姿を見せればミハルネの奴が止めてくれるだろうから、適当に約束を延期しろ。その後は他国に発つ馬車でも何でも、私が手配してやろう」


「……それで決闘の前日に俺と会う約束をしたんだな」


 ノヴァスはふふ、と笑うのみだった。


「心配するな。今度こそ、私がお前を守ってやろう。代わりと言ってはなんだが、さっきの斧ででも、私を斬るがいい。お前はさぞかし私が憎いだろうからな。躱さないから好きにしろ」


 ノヴァスがこんな時なのに穏やかに笑った。

 心が澄んでいる人しかできない、優しい笑みだった。


(好きにしろ、だと)


 なんなのだ、と思っていた。


 どうしてそこまで思いやることができるのだろう。

 どうしてこの女は、俺なんかに必死に関わろうとしてくれるのだろう。


 出会った当初からだ。 


 自分が恨まれていることも厭わずに、その身一つを目一杯に使って助けようとする姿。

 あの高笑いしていたノヴァスが、殺してやりたいほど憎んでいたノヴァスが、こんなに温かい人だったとは。


 いつのまにか、視界が滲んでいた。


「さあ、最後の餞別だ。受け取るがいい」




      ◇◆◇◆◇◆◇




 さっきまでノヴァスが座っていたベッドに俺の血が飛び、ところどころ斑点状になっている。

 だが、凄惨に見えるのはそのベッドだけだった。


 あれから10分ほどが過ぎている。

 俺はあぐらをかいて座ったままだった。


 それにしてもノヴァスの剣は、殺意が皆無でいちいち優しすぎた。


 急所をことごとく外れ、出血だけが目立っている。

 見る者が見ればすぐそうとわかる傷ばかりだ。


 実はまだ、俺のHPは 8割以上を残している。


「なぜ動かない?」


 ノヴァスが再び剣を突き付けながら、俺を見ている。


「――必要がない」


「武器ぐらい持て。私が憎いのだろう?」


「俺のために斬ってくれているんじゃなかったのか」


 俺はノヴァスをまっすぐに見た。

 ノヴァスは耐えられず、すぐに視線を逸らす。


「一方的に斬るのは、実に気分が悪い」


 頬を染めたノヴァスが勢いよく剣を振り上げる。

 しかし、ふいに振り下ろそうとしていたそれが、宙でぴたりと止まった。


 何かに気付いたようだった。


「――カジカ、そういえばお前、黒の外套が好きなのだな」


 ノヴァスは俺が斬られる前に脱ぎ捨てた、ビッグサイズの黒い外套を眼で示した。


「別に好きというわけじゃないがな」


「斬られる前に脱いでおくとは、相当大事にしているようだ」


「そりゃ買ったばかりだからな」


 正直に言った。

 外套はローブと違って耐久度が低い。

 また買いに行くのはごめんだった。


「そうか。それを見て、たった今思い出したよ。お前に会ったら聞こうと思っていたのだ」


「なんだ?」


「以前、お前はシルエラに黒い外套を貸したことがあったそうだな」


「……ああ、そう言えば貸したままだったな。忘れていた」


 随分と古い話を持ち出すな、と思っていた。


「やはりあれは、お前のものなんだな?」


 ノヴァスの眼に確信が宿ったのを見て、ふいに嫌な予感がした。

 その割に、話の意図が見えない。


 今の言い方、直接見せてもらったということだろうか。


(……まさかポケットに上級アイテムでも入りっぱなしになっていたか)


 あの外套はシルエラが寝る時に木の上から降ってくる虫除けに使っていた。


 ただそれだけのものだ。


 だがいくらなんでもそれだけで、俺の正体を探るような話にはならないだろう。

 

 もし高レベルアイテムが入ったままだったとしても、後から入ることはいくらでも考えられる。

 俺が知らないと言い切れば、それまでのこと。


 この会話は恐れるほどの内容ではないと踏んだ。


「……そうだよ」


 俺はできるだけ平然と答えた。


「盗んだり拾ったりしたものではなく、お前のものなのだな?」


「くどいな。そんなに念押ししなくても俺の……」


 その瞬間、背中を冷たいものがすっと流れた。

 ここでやっと、俺はノヴァスが何を言いたいのか気付いた。


 一瞬前に口をついて出た言葉を、引っ張ってでもひきずり戻したいと思ったのは、初めてだった。


 ノヴァスはくすりとも笑わずに俺を凝視している。


「そうか。あれを見て不思議に思っていたのだ。……それで、お前にあれが着れるのか?」


「………」


 頭がしびれてしまい、言葉が出なかった。


「どうした? 盗んだものでも、拾ったものでもないと、たった今、自分の口で否定したばかりだぞ」


 ノヴァスの言葉は短刀のようにひらめいていた。


 あとで考えればいくらでも言い訳できたのだが、この時はノヴァスが一枚上手だった。

 そう。あの黒い外套は、カミュだった頃に羽織っていたもの。


 サイズがまったく異なっているのだ。


「私をいらなかったと言っていた詩織殿の件といい、ちゃんと言い訳できていないな。お前、何かとんでもないことを隠しているな」


 柔らかかった空気が、急に張り詰めていく。

 ノヴァスは僅かな変化も見逃すまいと、俺を見ている。


「どうした? 言えないことでもあるのか?」


 研ぎ澄まされたような静けさの中、カタカタと窓が風に揺られて音を立てている。


「……気にするな。どうせ明日で終わりの身だ」


 言うに事欠いた俺は、結局それを否定できなかった。

 ノヴァスは剣をしまい、また大きな溜息をつく。


「そうか。その自覚はあるのだな。私は終わらせるつもりはなかったのだが。しかし今の質問ははぐらかすな。説明しろ」


「………」


 俺はちらりと、メニュー画面の時刻を確認する。

 もう終了まで3分もない。


「ノヴァス。その話の前に、俺が勝った時の約束をしないか」


「……勝つ? お前まだそんなことを言っているのか」


 ノヴァスが疲れたように言った。


「一つ、約束をしたい」


「これで明日は戦わなくても済むはずだ。もし決闘があったとしても、お前がエブスに勝つことはない。無駄な約束はしない主義だ」


「だから、万が一さ」


「お前は相当めでたい男だな……」


 ため息をつく姿が、さっきまでと違って温かく感じた。


「お前、キスはしたことあるか?」


 俺は頬を流れる血をぬぐいながら、笑った。


「……こんな時に何を言っているのだ、お前は」


 ノヴァスがその美しい眉をひそめた。


「情けないな。あるのかないのかぐらい、はっきり言えないのか」


 ノヴァスがこういう言い方に弱いのは、もうわかっていた。


「そ、そんなもの、ないに決まってる!」


 あからさまに動揺しながらも答えるノヴァス。

 嘘ではなさそうだ。


「よし。じゃあ俺が明日戦うことになって、勝って出てきたら、褒美にお前のファーストキスを頂く。約束しろ」


 高笑いされた仕返しにはちょうど良いと思った。


 ノヴァスにとって、俺のような奴にファーストキスを奪われることは相当な屈辱に違いないからだ。


 まあ本当に俺が実行するかどうかは、別として。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る