第37話 女のぶつかり合い


「いつも人を傷つけてから気づくのだ」


 ノヴァスは回って、カジカの前に再び立つと、もう一度カジカの大きな手を両手で握った。


「でもこれほどに後悔したことはなかった。どうか、許して――」


「――お止めになってくださらない? それ」


 だがノヴァスはそれ以上続けることができなかった。


 カジカの手を握っていたノヴァスの両手を、ぴしゃりと払った者がいたからである。


 詩織である。

 

 いつの間にか巨大になっている人だかりから、おおぉ、という声が上がる。


「……き、貴殿は?」


 増援に驚いたノヴァスの碧眼が、カジカと詩織を何度も往復していた。


「………」


 詩織は無言でカジカとノヴァスの間に立つ。


「………」


 ノヴァスが目を細めた。

 邪魔しようとしている詩織の意図に気づいたのである。


「……どいてくれないか。私はカジカと話したい」


「どくわけがないわね」


 詩織は冷たく言い返す。


「……おい、誰だ、あの美少女?」


「俺知ってる。詩織ちゃんだ。そこの『運命の白樺亭』の看板娘やってる」


「俺、超ファンなんだけど……なんであの子が白豚なんかかばってんの?」


 詩織の存在に気づき、野次馬は増える一方になる。

 

「ただ過去のことを謝りたいだけなのだ。貴殿がなぜ邪魔をする?」


「もう謝ったでしょう? 話は終わったはずよ」


 埒が明かないと知ってか、ノヴァスは詩織の肩越しにカジカに目を向ける。


「おい、カジカ――」


 しかし詩織はノヴァスの視線に割り込むようにして立つ。


「……ひとつ、あなたに感謝しているわ。ウルフに襲われていた時、この人を助けてくれてありがとう。そもそも余計なお世話だったでしょうけれど」


 詩織が言いながら、ノヴァスの顔を小さく指差した。


「……なに? どういう意味だ?」


 ノヴァスが訊き返した。


「そのままの意味よ」


「それは断じて違うぞ。襲われていた時、私は最初から戦えるのかどうか見ていたのだ。ぎりぎりまで待って、助けに入った時は死ぬ寸前だったのだぞ? それがどうして私の助けなく、助かるというのだ?」


 ノヴァスが疑問を吐露すると、まわりがざわざわとした。


「ただのウルフ相手に死ぬ寸前? ……ぷっ。ダメ、俺もう限界」


「ククク、しょうがねえだろ、豚族なんだから」


 広がった嘲笑。


「……っ……」


 とたんに詩織の目から涙がこぼれた。


「……あたし、ずっと悔やんでた。ここに留まり続けて、この人を探しに行かなかったことを。どうしてそんな困り果てた場面で、最初から見ていたのが、あたしじゃなかったんだろう……」


 詩織はカジカに向き直り、目元を拭う。

 そんな詩織の頭を、カジカはそっと撫でた。


「詩織は優しいな」


「……カジカ、その人とは恋人同士なのか? いや、答える必要がないな」


 その様子を見たノヴァスが質問を口にして、すぐに取り消した。


「それよりカジカ。どこかで二人で話をさせてくれ」


 ノヴァスが寒さで唇を紫にしながら、そう告げた時だった。


「――おぅおぅ、白豚ちゃん!」


 ひとりの男が野次馬を押しのけ、カジカの方へとやってきた。


「俺のこと覚えているかよ!? ガハハハハ」


 重鎧プレートメイルを鳴らすこの男の右手には巨大な斧があった。


「うわ、エブスだ……」


 近くにいた野次馬が一斉に青ざめる。


「エブスだ! ギルド『KAZU』副団長の狂戦士バーサーカー、エブスだぞ!」


 誰かが、裏返った声で叫んだ。


 狂戦士バーサーカーとは、火力職アタッカーから 武器使いウェポンディーラーを経て二次転職した、斧を武器とする最終職業である。


「ま、マジかよ……!?」


「おい、あいつはやべえって……早く下がれ! 早く!」


 それを耳にした野次馬たちが震えた声を発すると、一斉に後ずさり、その男から離れる。


 エブスは海が割れるように出来上がった道をまっすぐ闊歩し、カジカの前にやってきた。


「おい白豚、覚えてんのかってきいてんだよ」

 

「いや、存在感が薄くて忘れたよ。エブスちゃん」


「………」


 カジカの言葉に、まわりの野次馬が絶句する。


「……おい、てめぇ……」


 エブスの声が低くなる。


「天下の『KAZU』メンバーに舐めた口きくとどうなるか、わかってねぇようだな……」


 独り言のようにそう呟くと、エブスは頭上で大斧をぶんぶんと振り回し始めた。


「おらぁぁ!」


 回転する大斧によって巻き起こる音と風で驚いたのか、近くに止まって休んでいた小鳥たちが慌てたようにばさばさと飛び立っていく。

 

「……あいつ、あの『不撓の斧』を片手で振り回してるぜ……!」


「さすが『KAZU』メンバーのエブスさんだ!」


 ミハルネや彩葉が困惑した表情を浮かべる中、多くの野次馬たちが歓声を上げている。


 一方でカジカは肩をすくめていた。


「――面白い猿芸だ」


 カジカは硬貨袋から銀貨を一枚取り出し、エブスの足元に投げた。


「………」


 シーン、と静まり返った。

 巻き起こっていた風が止む。


 エブスの顔が、みるみる真っ赤になって引き攣った。

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