第34話 探される男



「司馬様……いえ、司馬はピーチメルバにて『百武将』なるものをつくり、各国から強者を集めているという噂」


「戦も近々ってことかい」


 やれやれと、リフィテルがその美しい眉をひそめた時、広間の観音開きの扉がギィィ、と重々しい音を立てて開いた。

 臣下の礼をして入ってきたのは、リフィテルに長年仕えている騎士、セインだった。


 リフィテルの前に跪いて畏まると、セインが早々に口を開く。


「姫様、良い報告と悪い報告がありますが、どちらからお聞きに?」


「あぁもう……じゃあ悪い報告からにしておくれ」


 リフィテルが肩にのった鳶色の髪を後ろに送り、ため息をつきながら言う。


「サヴェンヌ様からの伝言。ミッドシューベル公国との同盟は不成立に終わる可能性が高いとのこと」


「サヴェンヌで駄目ならしょうがないね」


 まあ分かってはいたけれど、とリフィテルは伏し目になる。


 サヴェンヌはリフィテルより5歳ほど年上の、エルフのような美しさを兼ね備える女性である。

 先王の時代からサカキハヤテ皇国の執政にあり、その政治的手腕を疑う者はひとりもいない。


「……堀が埋められていきますな」


 セインが厳しい表情で言った。


 独立した司馬は用意周到であった。

 ピーチメルバ王国を誕生させると同時に、このサカキハヤテ皇国と北の軍事大国、フューマントルコ王国との同盟が破棄に至るよう仕組んでいたのである。


 南のミッドシューベル公国との協調も失われた今、サカキハヤテ皇国に味方になる国は一つもなくなったことになる。


「あぁもう。で、いい話ってなんだい?」


 リフィテルが手をひらひらさせながらセインに問うた。


「は。先日のアルマデルなる者。名前を伏せて捜索させておりましたが、どうやら初期村チェリーガーデンに……」


「――そっちだったのかい!」


 話の途中ながら、リフィテルが立ち上がって声高に言う。


「よし、兵を割いて向けよう。なんとしても確保。今度は逃さないでおくれよ!」


「そうおっしゃると思って、すでに兵を向けております。確保に協力した者に金貨200枚の報酬といたしましたがよろしいですか」


 セインがにやりとしながら言った。

 



    ◇◆◇◆◇◆◇




 夜気がきりりと肌を刺している。

 見上げると、冬の乾いた空によく似合う三日月が浮かんでいた。


 俺はいつものように狩りを終え、物陰でカジカになり、街を歩く。

 街の中ですれ違う者たちは一様に上着の襟を押さえ、酒の香りを纏っている。


 目的の店にたどり着き、古めかしい音を立てる木扉をそっと開ける。


「――おかえりなさい」


 店に入るなり、仕事を終えた詩織がいつもの席に座っていて、可憐な笑顔で迎えてくれた。


 濡れた髪を左耳の下で一本に縛って、緩やかに胸元へ流している。


 着ているのはエンジェルスリープの薄赤いブラウスに、下は白のショートパンツ。

 素足ではなく黒のストッキングを穿いているようだった。


 テーブルに着くと、ほのかな石鹸の香りがした。


「た、ただいま……」


 詩織の信者が集まる店だけに、詩織が俺を見ているというだけで、彼らの視線が突き刺さる。


 どうしてこいつなんだと言わんばかりだ。


 席に着くと、いつものようにライ麦酒で乾杯した。


 詩織は蜂蜜ミード酒を選んでいた。

 疲れている時に口にする酒だ。


「今日は団体さんが入っているから同じ料理ならすぐ出せるわ。それでもいい?」


「もちろん何でもいいよ。お腹すいたな」


 じゃあ多めに注文するわね、と微笑みながら詩織がオーダーする。


「……ところでもう知ってるのかしら。今朝、サカキハヤテ皇国から人探しの依頼が各国に入ったそうよ」


 詩織は両肘をついて手を顎の下に組み、俺の顔を覗き込む。

 どうして女の子の濡れた髪は、色っぽく映るのだろう。


「へ、へぇ……いよいよ潰れかけて英雄探しでも始めるのかな」


「あながちハズレとも言い難いわね。白い装備と仮面を身につけた黒髪の男の捜索、ですって。心当たりない?」


「ぶー」


 ライ麦酒を吹き出していた。

 俺の巻き起こした爆風は幸い、詩織をかすめた程度で済んだ。


 店員に雑巾をもらい、慌てて自分で拭く。


「……もう。やっぱりカミュのことなのね。その話は聞いてなかったから、違う人かとも思ったのだけど」


 詩織が困った顔をしながら拭くのを手伝ってくれる。


「――弱ったな。名前は?」


 アルマデルの名前が出されているとしたら、相当行動範囲が制限される。


「幸い、伏せられているわね……どういう意図で探しているのかわからないけれど。有力な情報提供者3名に計金貨200枚だって」


「そこまでするのか」


 俺は大きく溜息をついて椅子の背もたれによしかかると、椅子がギシィと悲鳴を上げた。


 だが名前が伏せられているのならまだ安心だ。

 幸いアルマデルの仮面には認知妨害効果があるので、装備品から俺を追うことはできない。


「ねぇ。どうして皇国がカミュを探しているの?」


 詩織がその無垢な顔を近づけ、訊ねてくる。


「ああ、隠していたわけじゃないんだが……」


 俺は頬をぽりぽりと掻きながら、馬車の襲撃に遭っていた時のことを説明した。


「……で、その時に第二皇女らしい人や、セインと言う名の直属の護衛に姿を見られた。忘れてくれると思ってたんだが」


 馬車から覗いていた、あの鳶色の髪と瞳をした不思議な人が目に浮かんだ。


「あたしなら絶対に忘れないわね」


 詩織が子供を叱るような顔をしている。


「そうかな」


「そうよ。今はチェリーガーデンの方で目撃情報があったらしくて、皇国の連中が大勢入りこんでいるそうよ」


 詩織がグラスに小さな唇を寄せながら言う。

 それを聞いて、初めてアルマデルになったあの日、奴隷にされかけた連中を助けて「仮面のあんちゃん」と呼ばれていたことを思い出した。


「しばらくはここに居たい。当面、人前でアルマデルになるのは避けるようにするよ」


「そうね。この噂は75日では済まない気がするけれど」


 詩織の悪戯っぽい目に見つめられ、俺は照れながらも肩を落とした。


「――お待たせしました!」


 先日地下倉庫で一緒になっていた店主の妻が、ライ麦酒と詩織の蜂蜜酒も持って来てくれた。

 ドン、と置かれた拍子に、なみなみと注がれたライ麦酒が揺れて零れそうになる。


「うぉあ」


 俺は慌ててジョッキに口を付けて液面を下げる。

 店主の妻がそれを見て小さく笑うと、忙しそうに去っていった。


「さっきも言ったけど、今日は団体さんが入ってるのよ。近々また『アルカナボス』に挑むみたいね」


 詩織が小声でそっと告げてくる。


 『アルカナボス』とは、二十二のアルカナにちなんだ、この世界最強と言っていい敵である。

 それぞれがアルカナダンジョンと呼ばれるダンジョンの最奥で、宝物とともにプレイヤーを待ちかまえている。


 ちなみにアルカナボスは各サーバー共通の敵である。

 例えば俺が倒した死神は、他サーバーからも消え、もう誰も討伐することができない。


「ダンジョンって、このあたりだったのかい?」


「うん。ここから北に行ったところ。鍵となるタンカーがやられたりして、五回とも攻略失敗してるけれど」


 アルカナボスは大規模パーティで挑む。


 このようなパーティプレイは、個の戦い方とは考え方が全く異なる。


 例えばヘイトを集めたタンカーから敵を剥がしてしまうほどの超高火力プレイヤーは、頼もしくても外される。


「最近耳にした感じでは、地下四階までは攻略できたみたいだったな」


 アルカナダンジョン地下四階の最後には単体の中ボスが控えており、下手なレイドボスの上をいく強さがある。

 

 相当な難関となり、繰り返し死んでやっと攻略法を見つけることが多い。


「デスゲーム化してからはみんな腰が引けた戦いになっているって噂。当たり前だろうけどね」


 それはそうだ。

 命懸けの戦に挑むのはもう流行っていない。


 俺がため息まじりにそれを口にしようとした時だった。

 店内に別な空気が流れ込んだように雰囲気が変わり、どっと歓声が上がった。


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