第33話 酔った勢いで



「おまたせ」


「ああ」


 着替えた詩織は白地にボーダーの入ったバスクシャツに、足首までの緑のマキシスカートを穿いていた。

 以前はあまり穿かなかったもので、なんだかそれだけで大人びて見える。


「二人で街の状況を見てきます」


「気をつけてなぁ!」


 詩織の言葉に、店主が返す。


 俺たちは地下から出て、久しぶりに外の空気を吸った。


 街は西側にある建物を中心に襲撃を受けていたが、今回へ兵士たちの対応が早く、中央と東側は無事だった。

 幸か不幸か、聞けば今回の襲撃でスキュラが出たのは、俺たちの所だけだったようだ。


 俺たちは近くに居た兵士に救命の手伝いを申し出たが、すでに街は魔物の掃討を終え、清掃作業に入っている。


「もう大丈夫そうだな」


 俺はあたりを見回しながら言った。


「……じゃあちょっとどこかで話さない」


「そうだね」


 俺たちは被害のなかった店を探して入り、軽食を口にしながらお互いのことを話し始める。


「倉庫は相変わらず使えないままなの?」


「この街でも試したけど、駄目だったな」


 わかり合っている人と語り合えたことで、俺は心から幸せを感じていた。

 文字通り、淀んだ日陰から日の当たる場所に出たような気分だった。


 最初はこんな状況だからと控えるつもりだったが、酒に手が伸びたのもそうかからなかった。

 

 帰ろうかと店を出た時には、詩織も頬をほんのり染めて笑い上戸になっていたから、酔っていたのだと思う。


 あぁ、いい忘れていた。


 2年前から、酒を飲むのに年齢の制限はなくなっている。

 アルコールよりも代謝が早く、有害作用の少ない『ナルコール』という化合物が発見され、取って代わられたからだ。

 ゲームだった頃の影響で、この世界でもナルコールが流通しているらしい。


 それでもやはり、酔っぱらいはするんだけどな。


「冷えるな」


「うん」


 外に出ると、ひんやりとした夜気が肌をさすった。


「ねぇカミュ……」


 店を出てすぐ、詩織が俺の胸に飛び込んできた。

 そのまま顔を上げ、俺にくちびるを寄せる。


「……ごめん」


 しかし詩織は直前でその動きを止めると、甘い息を吐きかけるようにして言った。


 詩織のくちびるはまだ、俺から10センチもないところにある。


「いいさ」


「ふふ、勢いで行っちゃえばよかった」


 顔を離した詩織が、愛らしく微笑む。


 俺たちは、とあるジレンマに囚われている。


 今まで俺たちは、異性でありながらも唯一無二の親友として、いろんなことを分かり合っていた。

 それができたのは、俺たちの間には線があり、その一線は越えない、というルールがあったからだと思う。

 

 そんな線が生じたのは、もちろん詩織の年齢を意識してのことである。


 何から何まで素晴らしいこの少女は、残念ながらリアルも十四歳の中学生なのである。

 詩織は年頃なのだから、俺のように四捨五入したら三十になるような男ではなく、同年代の異性と恋に落ちて、青春らしいことをしてほしいと思っていた。


 若々しいがたどたどしく真っ直ぐな恋愛を、同年代で楽しんでもらいたいと心底思っていた。

 そんな理由もあって、俺は詩織をそう言う目では見ないように努めてきた。


 詩織のためにも自分のためにも、互いに恋人は別で作らなければならないと考えていたし、詩織もそれに関しては同意してくれている。


 これはもちろん、デスゲーム化する前までの話だ。


 今の俺は高額課金アイテムで若返って18歳の姿だし、住む世界も変わっているのだが、この考えを改めようとは思っていなかった。


 中身は隠しようもない、26歳なのだから。


 ただ今日は違った。

 一晩一緒に居たらそんなことも吹っ飛んでしまって、一線を越えてしまう気さえする。

 

「……会えなかった寂しさに、惑わされているのかもしれないね」


 詩織がぽつりと言った。


「そうかもな」


 俺もいっときの気持ちで、今までの詩織との関係を壊したくない。


「ふふふ。じゃあそろそろ帰ろっかな」


 詩織がこちらを見て微笑んだ。


「送っていくよ。夜も遅いし。家はどっちかな」


「大丈夫よ。今日は本当にありがとう。明日から楽しみが増えたわ。また明日会えるんでしょ」


「もちろんさ。明日だけじゃない。ずっとさ」


「ねぇカミュ。今日は本当に素敵な日だったわ」


 詩織は俺の手をきゅ、と軽く握ると、背を向けて歩き出す。

 詩織はいつもと違って、一度も振り向かなかった。




     ◇◆◇◆◇◆◇




 翌朝、俺は昨日のドロップアイテムを売りに歩いた。

 スキュラが落とした宝石が金貨5枚で売れ、ラミアが持っていた「カガラの弓」は金貨15枚で売れた。


 他のドロップと合わせ、昨晩の戦いで20金貨と80銀貨を手に入れることができた。

 カジカの頃なら信じられない儲けだ。


 詩織はドロップを断固として受け取らなかったので、金貨20枚を世話になった詩織の店に寄付し、残りは懐に入れた。

 色々壊されてしまっていたしな。


 アルマデルになれば、こうやって元通りに狩りをすることができる。

 金貨もすぐ溜まり、解呪のための魂の宝珠も買えるようになるだろう。


(魂の宝珠か……)


 考えてみて気付いた。

 それほど興味がなくなっていた自分に。


 もちろん、すでに力を取り戻したということもある。

 しかしそれ以上に、今の俺はカジカの姿がむしろ必要に感じていたのだ。

 



     ◇◆◇◆◇◆◇



 

 あの蛇の襲来から4週間が経ち、俺や詩織のいるルミナレスカカオは本来の姿を取り戻しつつあった。

 最近の俺はこの周辺で狩りをして金貨を稼ぎ、夜はほぼ毎日のように詩織と雑談をする日々になっている。


 今の稼ぎは以前と全く桁違いで、一日で金貨10-20枚となっているので、生活にも当然のようにゆとりができた。

 資金を得た俺が買い替えたものも含め、ここで装備を改めて確認する。 


 ■頭部 【也唯一】アルマデルの仮面

  姿隠しハイド看破 

 

 ■小手 S級 糸使いセファルの小手

 糸用リング5個付属

 

 ■体幹 A級 祝福ブレスドガイアローブ (買い替え)

 魔力+11%

 

 ■靴 B級 アルダンテの靴

 移動速度+5%

 

 ■アクセサリー

 召喚の指輪 9

 召喚のネックレス 1

 


 体幹装備を買い替え、布鎧クロスアーマーからローブにして魔力の値を上げてみたところ、なんと糸の状態異常攻撃が入りやすくなった。

 

 魔力依存だとわかった俺はさっそく上級のローブに買い替え祝福ブレスドガイアローブにした。

 同級でも一番魔力上昇値が高いものだ。


 そして亡骸草という、アンデッドを回復させる回復薬ポーションを調合できるアイテムをいくつか買っておいた。

 アルマデルの仮面をつけた状態では、普通の回復魔法ヒールは無効になるためだ。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 サカキハヤテ皇国グラフェリア・グラフェリア城内二階・大広間。


「兄上の様子はどうだい」


 玉座に腰掛け、赤いドレスローブのスリットから組んだ白い太ももを覗かせるリフィテルが、臣下に問うた。

 彼女の言う兄上とは新王、そして元第一皇子たるルモンド・ハル・ピセアス・クリスナオールのことである。


「……食事も召し上がらず、ただただ狂ったように笑い、叫んでおります」


 臣下はその光景を思い出したのか、目を伏せて苛立ちを隠すようにして口上した。


「困ったね。まあ牢に閉じ込めたのはアタシだけどさ」


 リフィテルがため息をつき、広間の片隅に置かれた金の牢屋に目をやった。

 先王が崩御し、即位した第一皇子ルモンドが最初に行ったことといえば、取り乱した王宮の統率でもなく、晴れやかな即位の儀式でもない。


 ただ、先王のやり残した拷問虐殺の続きだった。


 即位式にて新たに『拷問祭』なるものを設け、予算を割くと言い放った頃から新王は次々と味方を失った。

 そして今、新王は投獄され、新王代理として第二皇女リフィテルが立っている。


「フリークヒール平原に動きは」


「今の所は全くないとのことですが……」


 訊ねられた別の臣下が頭を下げたまま答え、そのまま口ごもる。

 フリークヒール平原はここグラフェリアと東のピーチメルバのほぼ中間に位置する、都市カドモス近傍の緑豊かな平野である。


 ここに動きがあるということは、独立したピーチメルバ王国が侵略の手を伸ばしてきた、という意味にほかならない。


 カドモスはピーチメルバに次ぐ第二の都市であり、次に狙われる要所はここだった。


「煮え切らない言い方だね。なにか言いたいことがあるなら、はっきり言いな」


 リフィテルに叱責された兵士が、鞭で打たれたように背を伸ばし、口を開いた。


「司馬様……いえ、司馬はピーチメルバにて『百武将』なるものをつくり、各国から強者を集めているという噂」


「戦も近々ってことかい」


 やれやれと、リフィテルがその美しい眉をひそめた時、広間の観音開きの扉がギィィ、と重々しい音を立てて開いた。

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