第32話 詩織の前で



 ◇◆◇◆◇◆◇




「――俺が先に出るよ」


「え?  ちょ、ちょっと待ってカジカさん!  自殺行為よ!」


 詩織が困惑した表情を浮かべた。


「まぁ任せてみて」


 カジカと呼ばれた巨漢の男は冒険者のローブを振り、詩織の前に立った。


 その顔に恐怖の色は微塵もなかった。

 むしろ戦いに愉悦を感じてか、笑みすら浮かんでいる。


「――ね、ねえダメよ! スキュラにラミアーまでいるの!」


「詩織」


 カジカは振り返り、詩織の揺れた瞳を見つめた。

 その顔に、銀色の仮面を重ねながら。


「……え……?」


 その瞬間、詩織がなにかに気付いたように、目を見開いた。


 そう、カジカの姿が変わっていくのだった。


「……えっ……」


 言葉が続かなくなる詩織。


「――シャアァァ!」


 無防備そうに見えるカジカと詩織を、スキュラたちが見逃すはずもなかった。

 ミローンという名のゴーレムの横をすり抜けて、大蛇が何匹も地を這う。


 しかし大蛇はカジカに近づくや、ぎょっとしたようにその動きを止めた。

 後戻りし、牙を剥いて威嚇を始める。


「助けに来たぜ、詩織」


 カジカだった男は、仮面の奥から詩織に笑いかけると、着ていたローブを一気に剥ぎ取った。

 同時に異形の双腕が、肩から天井に向かって突き出る。


「――え!?」


 詩織が驚愕した声を発した。


 男はゆっくりとした動作で、スキュラたちを振り返る。


「………!」


 目が合ったスキュラたちが、一斉に後ずさった。


「相手が悪い」


 言いながら、仮面の男は4本の腕で糸を放った。


 手前までやってきていた吸血大蛇ブラッディパイソンはズタズタに引き裂かれ、その形のまま横倒しになって動かなくなった。


「これは……【シヴァの毛髪】……!?」


 詩織が目を疑う。


「キキキ……!」


 直後、離れた位置にいるラミアがその手を突き出した。


 ひそかに詠唱していた魔法が完成したのである。 


 つららの形をした大きな氷結塊が放たれた。

 古代語魔法〈鋭い氷柱弾アイシーニードル〉であった。


 〈鋭い氷柱弾アイシーニードル〉は物理攻撃扱いで回避可能であるが、接触すると物理ダメージのほか、移動速度10%低下を受ける。


「くっ」


 詩織がちらりと後ろに視線を向ける。

 そこには戦いなど知らぬ宿の主たちが、慄いた表情で身を寄せ合うように固まっていた。


 そう、回避すれば、彼らに当たる。


「くだらん」


 しかし詩織の心配は杞憂に終わる。

 仮面の男がそれを片手で難なく掴み、あっさりと叩き折ってみせたのだ。


「……カ……」


 詩織がその姿に目を奪われる。


「相手が悪い、と言った」


 仮面の男が、ラミアーに向き合い、糸を放つ。

 再び数多の糸がキュィィン、と音を立ててラミアーに絡みついた。


「イヒィィー!?」


 ラミアーは甲高い叫び声をあげながら床に転がり、皮膚を掻きむしり始めた。


 

 ■ スポアロードの菌糸


 拘束確率 25%

 拘束時 HPドレインおよび【掻痒】



【スポアロードの菌糸】は、糸による斬撃以外に絡みついた対象からHPをドレインし、毒の花を咲かせる。

 さらに花が成長中は耐え難い【掻痒】を与え、魔法詠唱成立にペナルティを負わせる効果もある。


「………うそ、あなた……」 


 詩織は驚きのあまり、言葉が続かない。


 その時、ふいにギィィィ……という金属のたわむ音がした。

 続けて、仮面の男の右手で、指輪が1つ砕け散る。


 先ほどカジカに召喚されたアイアンゴーレムがスキュラに破壊された音であった。


「ヒッヒッヒッヒ!」


 スキュラは見せつけるように亡骸となったアイアンゴーレムの上に乗ると、仮面の男に向けて下半身の大蛇を放つ。


「【防御の蜘蛛糸ディフェンスネット】」


 仮面の男の眼の前に、白い蜘蛛の巣が一瞬で展開される。


 大蛇たちは次々とその柔らかい網に捕らわれ、どうにもできずに足掻いた。


 傀儡師の第八位階アビリティ【防御の蜘蛛糸ディフェンスネット】は、物理攻撃を3秒間無効化、再使用3秒という強力な防御アビリティである。


 糸系職業は布装備しかできないため、「ペラペラアーマー」と揶揄されるほどに脆弱であったが、第八位階にいたり、この能力を手にすることで防御能力が飛躍的に向上するのであった。


「キィアアァァ!」


 スキュラが思い通りに事が運ばないことに怒り狂う。

 

「――終わりだ。【死の十字架デッドリィクロス】」


 様々に交差した20本の糸がスキュラに襲いかかり、剪断が始まる。

 スキュラの断末魔の悲鳴が狭い食糧庫に響き渡った。




   ◇◆◇◆◇◆◇




 

「ふぅ……」


 久しぶりの命のやり取りに、ずいぶんと汗をかいた気がする。

 だがおかげで、勘が戻ってきた気がした。


「――カミュ!」


 一息ついた俺の背後から、詩織の澄んだ声がした。

 見ると詩織が野営結界から出て駆けてくる。


 だが俺の目の前まで来ると、急に照れた様子で立ち止まった。

 俯いて髪で隠しているが、そのあどけない顔を赤くしているのがわかる。


「カミュ……」


「詩織。ごめんな。いろいろあって初期村から出られくなっててさ。やっとこの街に辿り着いて……」


「………」


 詩織は俯いたまま、無言で俺の胸に頭を預けた。

 そしてそのまま肩を震わせ始めた。


 ふんわりと石鹸のいい香りが香る。

 くっついてみて初めて気づいたが、詩織は背が少しだけ伸びていた。


「詩織……」


 その震える肩に手を添えて、俺は今までの事をかいつまんで話した。

 

 詩織は小さく頷きながら、無言で耳を傾けていた。

 聞けば詩織は俺と過ごしていたこの街を離れず、俺が行きそうな場所を探していたそうだ。


「……お店ですぐ言ってくれたらよかったのに」


 口を尖らせているのが見なくてもわかる。


「済まなかった。リブロース、最高だったよ」


 詩織がくすっ、と笑う。


「……馬鹿」


 すぐそばで聞く少女の笑い声は、懐かしかった。

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