第27話 王女リフィテル



 そうこうしている間に、皇女が馬車から手を添えられ、出てこようとしている。


 皇女の視線は、幾度もこちらを向いている。

 一度だけ目が合ったが、俺の方から逸らした。


「――アルマデル!」


 今度は明らかに女だとわかる声だった。


(潮時だな)


 あたりを見回し、逃げる方向を決める。

 俺は当面、カジカがアルマデルであること、そしてカミュであることを隠すつもりでいる。


 俺にとって、何を差し置いても優先したい事柄だ。

 だから、それの障害になりそうなことはすべて避けるつもりでいる。


 どうしてそこまでするのか、不思議に思うかもしれない。

 だが同じ目に遭えばきっとわかるだろう。

 

 俺はカジカの時にいたぶられた連中に、ひそかに復讐を考えていたのだ。


 ノヴァス、エブス、リンデル。

 この三人。

 

 あれだけの目に遭わされ、すんなりと許せるほど俺は人間ができていなかった。


 そう。人間などできていない。


 アルマデルで地獄の苦しみを与え、散々いたぶった後にカジカになって、こう言うのだ。


「俺に殺される気分はどうだ?」と。


 今、鏡を見れば俺はきっとひどく歪んだ笑いを浮かべているに違いなかった。


「礼を……礼を言わせておくれよ!」


 遠くから響く女の声が、俺を現実に引き戻した。


(やれやれ。まだ当面先の話だというのに)


 俺は考えているだけで業火のように燃え上がる復讐心をなだめる。


「……ん? あれは」


 その時、チェリーガーデン側から荷馬車がこちらに向かってきているのが目に留まる。


『北斗』の旗だ。

 恐らく物資を渡してチェリーガーデンから戻ってきたものだろう。


 多少の事情は打ち明けなければならないだろうが、この王族たちを守ってくれるに違いない。

『北斗』の馬車なら信用もできるし、それなりの護衛も乗っているはずだ。


 決意した俺は即座に踵を返すと、森へ飛び込んだ。


「――なっ!? 待って! 行かないで!」


 最後に響いた皇女の澄んだ声を、俺は無視した。



 その数日後、馬車に乗っていた『北斗』の手練の冒険者が襲撃に遭っていたサカキハヤテ皇国の新王を救出し、国に送り届けたという噂を耳にした。

 俺はなんとなく、シルエラを薬草クエストに送り出したあの日のことを思い出していた。




    ◇◆◇◆◇◆◇




「姫様!」


「姫様、よくぞご無事で! まもなく『北斗』の馬車がこちらに」


 馬車から救出された女性のもとへ、生き残った兵士たちが駆け寄ってくる。

 その声は涙混じりのものもあった。


「………」


 しかし、姫と呼ばれた女性は男が去っていった森を瞬きもせずに眺めていた。


 心ここにあらずといった様子で。


「どうして……」


 吹いた風で、彼女の被っていた白い神官帽子が足元に落ちる。

 隠されていた長い鳶色の髪があらわになり、ゆらゆらとそよ風に揺れた。


「……なにか急ぐご用事でもあったのでございましょう」


 セインが重ねて声をかけると、女性はやっと気づいたように振り返る。


「済まないね。ぼさっとしちまったよ。被害は……聞くまでもないね」


 そう言って女性――サカキハヤテ皇国第二皇女リフィテル――は周りを見回し、手元にあった回復アイテムを兵士たちに配った。

 その顔は悲しみの色を隠しきれない。


 忠義を尽くしてくれた兵士たちを失ったのはもちろん、戦って死んだ彼らを不死者アンデッド化して行使してしまったことがリフィテルの心を締め付けていた。


 それゆえ、彼らの亡骸はすでに灰となってしまっているのだ。


 生き残った者たちがおのおの、戦時中の簡略化された手順で冥福を祈り始める。

 その頃には、遠くからこちらにやって来る『北斗』の荷馬車を誰もが視認して、安堵していた。


「しかし、かの御仁が窮地に通りすがるとは、我らの運も決して捨てたものではございませぬ」


 祈りを終えたセインが空を見上げたまま、まだ興奮が冷めやらぬ様子で言った。


「……かの御仁?」


 リフィテルが目を瞬かせる。


「【剪断の手】の二つ名で呼ばれる糸使いでございます。噂ではもうこの世界にはおらぬと聞いておりましたが」


「あ、アルマデルが……?」


「いかにも」


 セインが大きく頷いた。


「名は初耳でしたが、間違いないでしょう。劣勢をあっさり覆す強さ、それに裏付けられた圧倒的な自信、そして、この窮地に単身で飛び込んでくる勇気。どれをとっても一級。最強の名にふさわしい」


「………」


 リフィテルが、アルマデルの去った森にもう一度目を向ける。


「驚いたよ。途方もない強さを手にしている者が、この世界には居るんだね……」


 狭い世界に生きていたのは知っていたけれど、と言いながらリフィテルが吐息を漏らす。


「長年生きておきながら、自分も初見でございます」


「………」


 セインがそう言った後、リフィテルが黙り込んだせいで、しばらく無言の時間が流れた。


「……欲しいのでございますな?」


 セインがリフィテルの思案したような横顔に問いかける。

 リフィテルは、ややあってから頷いた。


「彼がいてくれれば、凌げるかもしれない」


 サカキハヤテ皇国の首都たるピーチメルバは、国全体の人口の約4割が集中する重要な都市だった。

 その独立に伴い、皇国は巨額の税収を失うだけではなく、東の国防の要所をも失ったのだ。


 最東となった第二の都市カドモスにて事態対応のための動きは急ピッチで進められているが、南国のミッドシューベル公国あたりに今、東周りで攻め込まれたら、カドモスとて容易に陥落することだろう。


「しかしかの御仁、不死者アンデッドと同じ空気をまとっていたとか」


 セインの表情が厳しくなる。


「そんなことはどうでもいいのさ。それより未仕官だと思うかい、彼は」


 リフィテルは自身の性格を表すように、あっさりと流した。

 ただただ、比肩する者のない圧倒的な強さに、一国を統べる者として高鳴る胸を抑えられずにいたのだ。


「旅の者のようでしたし、あの様子なら恐らくはと思いますが、はたして……」


「なら、アタシの招聘に応じてくれるかな」


 皇女の言葉を、セインはすぐに首を横に振って否定した。


「あれ程の腕前なら引く手数多。司馬が放っておかぬでしょう」


 セインは『プレイヤー』と呼ばれる強者たちを集めて独立した軍師の名を言に含めた。


「……引き抜きであろうとなんだろうと、彼がどうしても欲しい」


 リフィテルが言い切った。


「………」


 セインがふむ、と言いながらリフィテルの顔を窺う。

 セインにとっても、長年仕えてきた主人がこれほど強情になにかを欲するのは、初めてだった。


 やがて、セインが目元を緩めて小さく笑った。


「まぁ、異性に窮地を救われるなど初めてでございましたからな」


「………」


 リフィテルがぽっと頬を染めた。

 慌てたように、口が開かれる。


「そ、そんなの、関係ないだろ! それよりできるのかい」


「招聘されることを嫌ったのではなく、ただの急用で去ったのなら……金に糸目は?」


「もちろんつけないさ。言い値で招聘しよう」


 そんな会話をしている折に、向こうからやってきた荷馬車から近くで停止し、武装した者たちが降りてきた。

 都市間運送を行っているギルド『北斗』の者たちである。


「おい、大丈夫か!」


「どうしたんだ」


「ひどい……山賊にやられたのか……」


 彼らはさっそく、回復アイテムで癒えなかった傷を魔法で癒やし始めてくれた。

 生き残った兵士が謝意を述べ、皇女の護送を願い出る。


「あれ、その髪……お前もしかして……サカキハヤテ皇国の」


『北斗』の男が目を細めてリフィテルを見た。

 リフィテルは思い出したように髪をまとめると、帽子を被り直す。


「そうさ。危ないところを救世主が助けてくれてね……アルマデルってあんたたち知ってるかい」


 リフィテルは神官帽子を右手で押さえながら、言った。

 その視線が向く先は眼前の話し相手ではなく、アルマデルが去っていった森を向いていた。




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