第26話 討伐
「糸使い? マジ? あたい初めてみたわあ!」
サントが被っていたフードをかきあげ、目を細めて仮面の男をじろじろと見た。
見れば50代くらいの、ガリガリに痩せ細った男で、頭頂部が禿げ上がっている。
「小僧、援護はありがたいのだが……糸使いでは……」
セインですら、その顔に苦々しい表情を浮かべている。
「なんだよ、せっかく楽しめる奴かと思ったのに……格好つけて登場しただけかよ。とんだ拍子抜けだ」
トロンゾが頭上でミスリルスピアを持ち直して言った。
「俺は糸使いじゃない。試すがいい」
周りの見下げる空気にもかかわらず、仮面の男は飄々と構える。
「……ひゃ? どうみても糸使いだべさ? まさかオメエ、転職すらしてねぇ
チョギルべが奥歯まで見えるほど大笑いした。
「――逆だよ」
氷のように冷たく言い放った男の言葉に続いたのは、天へ向かうように伸び出る【死神の腕】。
放たれる上位魔法糸。
この糸は魅惑の姫『サッキュバスクィーンの愛糸』というものであった。
■ サッキュバスクィーンの愛糸
拘束確率 20% 攻撃力 40
状態異常【魅惑系混乱】
20本の糸が絡みつき、チョギルべを状態異常に陥れる。
拘束確率が比して高い糸である。
【魅惑系混乱】とは女性に無効であるが、サッキュバスに抱かれたように甘美な陶酔に陥り、戦闘意欲を削ぐ。
今は拘束を発揮した糸が4本。
チョギルべは抵抗できず、【魅惑系混乱】が付与される。
「……あふ……」
チョギルベは切り刻まれながらも、口をぽかんと開け、恍惚の表情で棒立ちになっている。
切断された腕が落ちたが、チョギルベは
(部分抵抗すらできずか。……見た目通りだが、弱すぎる)
仮面の男は冷静に戦いの記憶を呼び覚ましていく。
「よ、よよよ、四本腕の糸使い……? そして【也唯一】……まさかこの男……」
隣にいたセインが口を大きく開け、ガシャリと盾を落とした。
「――チョギ! あんたどうしたのよ!」
オネエが駆け寄ってチョギルべの肩をゆするが、チョギルべは口角から涎を垂らし続けながら、ニヤニヤと宙を見つめている。
「てめぇ――!」
トロンゾが駆け、仮面の男にミスリルスピアを突き出す。
「喰らえ! 【連撃】――!」
槍が連続で突き出される。
(――遅い)
しかし仮面の男の【認知加速】は、その速度をはるかに超えていた。
すべてを躱し、糸をそのスピアに向かって放つ。
糸は違わず、ミスリルスピアに巻き付き、拘束する。
「――うぇ!?」
トロンゾが眼を見開いた。
自分では、槍を押すことも引くこともできなくなっているのだ。
【傀儡師】第九位階のアビリティ【武器拘束】である。
成功した場合、10秒間相手よりも強い力で武器を操ることができる。
「おぁ!?」
仮面の男が糸を引くと、トロンゾはあっさりとミスリルスピアを奪われた。
トロンゾは飴玉を取られた子供のような顔をしている。
「調子こいてんじゃないわよ! ――燃え死ね!」
その横でサントが詠唱を終え、仮面の男の不意をつく。
炎が生き物のようにのたうち、一直線に仮面の男に向かって走った。
〈
魔力やアビリティ覚醒によって攻撃力が増える割合が高いため、上級者では侮れない威力を持つのだ。
仮面の男は両腕を顔の前にクロスした。
炎はその腕に直撃するが、何も焼かず、あっさりと霧散した。
アルマデルの経典の効果、85%で発動する【完全魔法防御】である。
「む……霧散……? な、なんでよ?」
サントの禿げ上がった頭頂までが青白くなっていた。
仮面の男は、即座に「死神の薙糸」を放つ。
10本の研ぎ澄まされた糸が、前にいたチョギルベとトロンゾの隙間を抜けてサントを襲う。
戦闘において最初に排除すべきは魔術師である。
仮面の男は数の劣勢に置かれていても、状況を的確に判断し、行動していた。
サントは体を切り裂かれ、ぐぇ、と悲鳴を上げて倒れた。
「な、なな、なんだその強さは……。お前、糸使いじゃねえのか……?」
トロンゾは予備の槍を取り出して構えているが、完全に腰が引けていた。
「説明してやる理由がないな」
仮面の男はチョギルべをやすやすと倒した後、トロンゾに向き直る。
「ひっ……!」
トロンゾはたまらず、尻餅をついた。
仮面の男はもう一度トロンゾの槍を【武器拘束】して取り上げると、隣にいるセインをちらりと見た。
まだ棒立ちの白髪の騎士は、盾すら拾っていない。
「もう一度言うぞ、セイン。馬車を守れ」
「ま、まさかあなた様は……剪――」
「盾を」
仮面の男が、顎で落ちている盾を示す。
「……は? うお! わ、わかり申した。救援感謝申し上げる!」
セインは慌てて盾を拾い、仲間の兵を助けに向かった。
◇◆◇◆◇◆◇
トロンゾを倒した後、戦闘は五分とかからずに終了した。
馬車を守っていた兵士たちは騎兵2と合わせて7名にまで減ってしまっていたが、かろうじて全滅を免れることができていた。
「――ご無事でございますか!? 姫!」
セインが横倒しになったままの馬車の上に乗り、中を覗く。
「……姫だと? 皇子ではないのか」
俺は芝居がかったように訊ねたが、内心わかってはいた。
セインは無事を確認したのか、安堵した表情を浮かべた後、俺に向かって頷いた。
「他言無用に願うが、新王は今、外出できない事態になっておりましてな。代わりに皇女が行幸しておるのです」
予想した通りの答えだった。
そもそもあの時受け取ったハンカチや馬車の中の香りは、男性がつける香りではなかった。
そして噂とは似ても似つかぬ、高貴な雰囲気。
サカキハヤテ皇国で高位の能力を持つ女性NPCは2人いる。
知らぬものなどいない、執政の女性と第二皇女であるが、
第二皇女、リフィテルその人だ。
これはただの直感だが、新王はすでにこの世にいないのかもしれない。
(新王の不在を周囲に知られるのはまずいということか)
健在を印象付けるために、他国まで来て彩葉に求婚を申し込む芝居を打ち、ああやって、通りすがりの民に名前入りのハンカチまで渡している。
逆に言えば、皇女を使ってそこまでしなければならないほど、サカキハヤテ皇国は追い詰められているのかもしれない。
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