第14話  暴虐


「カジカ。アルドはどうしようもないクズだが、アルドなどに絡まれるお前にも問題がある。強くなろうと努力しない自分のせいなのだぞ」


「………」


 俺の脚が止まる。


 この女は、人を苛つかせるのがなかなか上手い。

 この街の中で、強さを誰より望んでいるのは、間違いなく俺だ。


(くだらん)


 もちろん、こんなところで自分の事情を大っぴらにするつもりはなかった。


 無視を決め込んだその時、背中から別な声がかかった。


「彩葉さん、ノヴァスさん、聞いてくださいよ。こいつシルエラにセクハラしてた変態ゴミ男ですよ。ハハッ」


 聞いたことのある、己に浸ったようなトーンの声。

 振り向くと、ぺったりとした薄緑の長髪の男が、ニヤニヤしながら立っている。


 リンデルだった。


「……リンデル。お前、こいつを知っているのか?」


 セクハラという言葉が響いたのだろう。 

 ノヴァスが俺から一歩離れながら、問い返した。


「初心者のシルエラを騙して軟禁していたゴミ野郎なんです。実際、僕が助けたんだ。僕の懸命な努力の結果、傷ついたシルの心は癒されつつある」


 リンデルは肩をすくめて、全く困ったやつだよというアピールをする。


「……それぐらいにしておくんだな」


 俺はリンデルに向き直り、感情をこめずに言った。


「なんだい、僕とやるってのか、え?」


 リンデルが笑いをこらえきれないといった様子を見せた。


「シルエラ? ……そうか。それでお前は我々の支援を断っているのか」


 ノヴァスが納得したような素振りを見せると、リンデルは目が隠れるほどの前髪を掻き上げてみせた。


「そういうこと。シルは僕に夢中になっているから、今うちに来たら確かに気の毒かな。ハハッ」


 ため息が出た。

 こんなナルシストな奴について行ったのだと思うと、急にシルエラが心配になってきた。


「それよりこいつ、シルに野宿を強要してたんだ。しかも薪で囲んだだけの狭い犬小屋でくっつきながら寝かされてたらしい。マジキモくね? 死ねって感じだよね」


 リンデルがこちらをちらりと見て、厭らしい笑みを浮かべた。


「………」


 もう何も言う気が起きない。

 相手にするのが馬鹿らしくなってきた。


「なんだ、なにか言いたそうな顔をしているね。男なら拳でかかってきたらどうだい? いや、君なら無理な話か」


 リンデルがファイティングポーズを取って、シュッシュッとパンチを繰り出している。


「一生そこでやってろ」


 俺は背を向けて立ち去ろうとする。

 くだらなすぎて、付き合っていられない。


「――て、てめぇ! 本気でぶち殺す!」


「あぶない!」


 背後で彩葉の澄んだ声が響いた。


 振り向いた俺に、リンデルが突っ込んできていた。

 そのまま俺の胸に蹴りを入れる。

【転倒】を強制しようとする一撃だ。


 だがレベル88の俺は難なく抵抗に成功し、全く動じなかった。

 リンデルがあれっ、という顔をしている隙に、俺はその横面を平手打ちを放つ。


 だが動作は初心者並みに遅い。

 我ながら情けなく見ていると、突然ノヴァスが割り込み、俺の手を両手で受け止めた。


「これ以上事態をややこしくするな」


 ノヴァスが俺に言う。

 俺ではなく、仕掛けてきたリンデルを止めるのが筋だと思うが。


「そりゃっ、っと」


 手を押さえられている隙に、リンデルが盾を取り出して俺へと突き出した。

 ゴン、という鈍い音がして、俺は目の前が真っ白になった。


「ぐぅ」


 そのまま、足腰が立たなくなって尻餅をつく。

盾の衝撃シールドスタン】だ。


「……リ、リンデル! お前も何をしてるんだ! やめろ」


 ノヴァスの慌てた声が耳に入った。


 続けて、スタンしたままの俺の顔面をのっぺらな何かがが強打した。

 嫌な音とともに、血が口の中に溢れた。


 どうやらリンデルが、俺の顔を蹴飛ばしたらしい。


「――やめろと言っている、、リンデル!」


「だれかゴミ収集車呼んでよ。ハハッ」


 頭を起こすと、上から俺を見下ろしながら、リンデルが髪をかき上げてフッと笑った。

 悪役を排除した正義のヒーローのような振る舞いだ。


「――リンデル!」


「あいつ、姿的にやられ役の典型だな」


「世紀末的に爆砕したらおもしろいのにな」


 ノヴァスの怒声の合間で、俺を笑う野次馬たちのあからさまな声が聞こえてきた。


(なぜこんなことになっている……)


 蹴られた鼻が熱い。

 そこから流れ落ちる血に、さすがの俺も怒りが湧いた。


 俺は血濡れた自分の手を眺めた。

 異様に太くなった、繊細さを欠く指。


(これではもう、糸も操れない……)


 だが、やられっぱなしで終わるつもりはない。

 俺は半身を起こそうとする。


「……カジカさん」


 その時、俺の両手に誰かが指を絡ませてきた。

 次の瞬間、温かいなにかが胸に流れ込んでくる。


「………」


 川辺でせせらぎを聴きながらゴロゴロしているような、穏やかな気持ちが心に広がっていた。

 眼を開けると、倒れている俺の上に乗りかかるように、膝立ちになって俺を見る人がいた。


「カジカさん」


 彩葉だった。


(なるほど……〈平静心サニティ〉か)


 彩葉は俺の怒りを鎮めようとしているのだ。


 彩葉はそのまま俺の顔を覗き込み、絡ませていた手を離すと、ハンカチで鼻血を拭いてくれた。

 黒髪が俺の顔元に落ちてきて、さらりと頬をくすぐった。


 彩葉は落ちた髪を拾い、上品なしぐさで耳にかける。


 天使のようだった。


 その清純な笑顔を見て、それだけで心が癒された気がする。

 彩葉は続けて回復魔法ヒールを唱える。


 温かい光が俺を包んだかと思うと、鼻の痛みが嘘のように消えた。


「……なんであんなヤツに彩葉さん直々に手当してんだよ」


「マジむかつく、俺の天使様に回復魔法ヒールさせやがって」


「俺の天使だよボケ」


 彩葉との関わりを見た野次馬が、苛立ちをあらわにする。


「癒えました?」


「もう大丈夫だ」


 まだ心配そうに見ている彩葉に告げて、俺は立ち上がる。


 ただの豪勢な夕食のはずが、ひどく面倒なことになってしまった。

 まあ、俺のせいではないのは確かだが。


「御無礼をお許しください」


 彩葉は真剣な表情になると、誰にも聞こえないように小さく言った。

 

「あんたには世話になった」


 礼を述べた後は背を向けた。


「カジカさん――」


 彩葉がすぐに俺を引き留めようとする。


「悪いが、もう放っておいてくれないか」


 背を向けたまま、俺はそれだけを言い、観衆どもをかき分けて歩きだした。


「……カジカさん……」


 背後で口をつぐんだ彩葉を、俺は無視した。


「待てカジカ。さっきは――」


 ノヴァスとも会話する気はない。


 街のメインストリートを抜けて、俺はやっとひとりになった。


 ひとりになると、リンデルの人を馬鹿にしたような声がすぐに耳に蘇った。


 ……ゲームに囚われて右も左もわからないシルエラを軟禁していた……マジキモくね? 死ねって感じだよ……。


 俺はシルエラを軟禁していたわけではない。

 次に会うことがあれば、リンデルにはそのあたりをじっくり教えてやらねばならない。


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