第9話 貧相な暮らし
一見してわかった。
期待してはいなかったが、ログアウトできるようになった気配はない。
水袋の水を一気に煽ると、新規の情報を求めに冒険者ギルドに向かうことにした。
(だめか)
ついてみると窓口は締まり、床にはプレイヤーが所狭しと寝転がっていた。
外ほど寒くはないが、誰かの汗くさいにおいが室内に充満している。
俺はさっさとそこを出た。
違う道で戻ってみると、今度は動物臭が鼻をついた。
この時間から、ウサギの皮を剥ぎ、生肉を並べて売ろうとしているプレイヤーたちがいたのだ。
ありがたいと思って近寄ってみるが、俺はすぐに眉をひそめた。
小ぶりなウサギ肉が、銀貨25枚と普段の10倍、いや20倍以上。
見れば笑ってしまうような、ぼったくり店だ。
それでも俺は何度もその店の前を往復し、最後は唸りながら購入した。
ライ麦パンも10個購入しておいた。
巨大な下着類も買い、合わせて金貨1枚と銀貨30枚を使った。
「……シルエラさん?」
戻ってくると、シルエラが女の子座りをして、肩を震わせていた。
声をかけると驚いた様子でこちらを見たが、すぐに俯く。
「……辛くて。どうしてこんなことに」
シルエラはところどころ汚れたままの両手で顔を覆うようにして、わっと泣き出した。
彼女も寒さとひもじさで眠れなかったのかもしれない。
こんな酷い目に合えば誰でも不満の一つは出るだろう。
だがこの現状を受け入れなければ前に進めない。
「シルエラさん、しっかりして。よく聞くんだ」
俺はシルエラの両肩をつかみ、彼女の銀色の瞳を見て言う。
「このゲームにしばらく囚われるとしたら、食事なしでは死ぬ。食べて、稼いで、生きていく努力をするんだ。それからこの世界の知識も必要だ。俺が案内して教えるから覚えて」
「うぅ……」
見るとシルエラは真っ赤な顔で鼻を垂らしながら、泣いていた。
俺はすぐに運営販売のティッシュをアイテムボックスから取り出し、いくつか手に持たせる。
(デリカシーのないことをしてしまった)
泣いている女性の顔を覗き込んでしまうなど。
しばらくして、シルエラが落ち着いたころに、俺はもう一度同じ話をした。
そして、水袋と持っていたライ麦パンを5個、その手に持たせる。
「いいか、案内するからさ?」
「はい、お願いします」
食べて少し落ち着いた様子のシルエラがやっと言葉を口にした。
俺はこの世界の説明をしながら、シルエラを連れ出す。
シルエラはやはり、ずぶの素人だった。
他のMMORPGもやったことがないようで、冒険者ギルドが何かすらわかっていない。
街を案内し、彼女の疑問をひとつひとつ解消しながら、俺はゲーム特有のクエストというものも教えた。
クエストをこなせばどんなものでも必ず報酬が得られる。
繰り返し行うこともできるものもあるので、まず冒険者ギルドでシルエラの登録を済ませ、簡単なものから教えて歩いた。
午後から最初の繰り返しクエストである薪割りを一緒にやった。
初回はクエスト依頼主であるボーゲン爺さんが石斧を貸してくれるが、繰り返す場合は銀貨2枚を払って買わなくてはならない。
設定上、俺は両手鈍器が持てることから試しに石斧を持たせてもらったところ、問題なく装備できた。
俺も銀貨2枚で石斧を買い、繰り返しクエストを始めてみる。
「なんだ、案外難しいな」
やり始めてみると斧を真っ直ぐ振り下ろすこともできず、狙い通りにいかない。
うまく木材に当たっても食い込むのみで割れないことも多かった。
結局一時間弱で息を切れ、肩が上がらなくなってしまった。
それでもこの体格で、なんとか一時間弱続いたのが奇跡のように感じていた。
最初は3分でもうだめかと思ったのだ。
「うぅ……」
シルエラが目にいっぱいの涙を溜めて自分の手を見ていた。
その小さな両手には豆ができて割れ、血が流れていたのだ。
涙がポトリと落ちると、胸に何かが刺さったかのように苦しくなったが、心を鬼にして我慢してもらう。
街中で安全にレベルを上げるには、最初はどうあがいても、これしかない。
俺が持っているHP
売れる物はできるだけ使わずにいたい。
「シルエラ、最初は薪割りしかないんだ。頑張ろう」
シルエラは休み休みやりながら、夕方までかかってやっとクエスト完了した。
初回のシルエラの稼ぎは経験点とともに銅貨30枚だった。
西の空が赤く染まるようになってから、シルエラとともに野宿する場所を探した。
幸い昨日からは野宿する冒険者の数が大幅に減ったようで、大きな木の下で、街を取り囲む防壁を背にすることができる場所が空いていた。
足場は土で、石畳よりは温かい。
少し水を吸っているようだが、毛皮を敷けば大丈夫だろう。
俺たちはさっそくそこに寝床を設置する。
その後シルエラが身だしなみの関係で冒険者ギルドに寄りたいと言うのでその間少し待っていた。
壁に背中を預けて待っている間、聞くとはなしに周りの会話を聞いていると「『乙女の祈り』の救済」という言葉を頻回に耳にした。
どうやら初期プレイヤーを救済に回っている女性中心のギルドがあるらしかった。
誰かの名前か、イロ、という言葉が混ざるのに気づいた。
だがそれ以上の言葉は聞こえてこない。
そうしているうちにシルエラが濡れた銀髪を絞りながら小走りに出てきた。
左肩の上で何度も絞っている様子がとても女性的に見えた。
「食事前にお待たせして」
シルエラが頭を下げる。
ふわりと石鹸のいい香りがした。
「いいさ。で、どうだった? シャワーは」
「なんだか元の世界に戻ったような気分でした」
シルエラが初めて笑った気がした。
湯を浴びたせいか、頬に朱がさしている。
やっぱり女の子はシャワーが好きらしい。
細めた眼が小さく輝いて、こんな風に笑うのかと、どきりとした。
「だろ? このゲームな、中世の設定なんだけど衛生面のアイテムを販売したり香水や衣服を販売したりしてるんだ。これでも女性参加の多いゲームだったんだけどね」
俺たちはそのまま冒険者ギルドを後にして調理屋に行き、遅めの夕食にすることにした。
街中では火は危険なので、調理は調理屋の火を借りて行う。
調理屋の調理スペースは、畳一畳くらいの大きさの場所に赤熱する炭が置かれていて、無料で利用できる。
食材を持ち込めば安価に盛り上がれるため、晩餐にはプレイヤーたちで混み合う場所だ。
空いていた場所に陣取った俺はウサギ肉をミスリル製ナイフで捌いて鉄櫛に差し、持っていた塩を振って焼き始めた。
街中にも生えている野草を摘んで洗っておいたので、ウサギ肉の固いところを湯に入れて塩を振り、そら豆も加えてスープにした。
そういえば胡椒とローレルの葉を持っていた。
入れておこう。
これでライ麦パンも加えて三品。
この時期の夕食としては豪華だが、シルエラに元気になってもらわなくてはならない。
「ザ・ディスティニー」ではアイテムボックス内に保存効果はなく、食品などは時間とともに傷んでいく。
俺は課金によりアイテムボックスに【保冷効果】をつけているが、それでも普通のパンは5日、生肉は2日以内がいいところだ。
それ以降はあからさまに味が悪くなるし、腹も壊す。
「お、美味しいです……胡椒がきいていて、このすっきりした香りは……ローレル?」
シルエラはスープに口をつけてすぐ、気付いたようだった。
「そそ。よくわかったな」
「お料理教室、通ってましたから」
ほっこりしながらシルエラが笑う。
ともかく良かった。
食後はさっき作った寝床に二人で入る。
昨日と違うのは薪を積んで風除けにしているのと、フォレストウルフの毛皮を三枚下に敷いていること、二人でワイルドベアの毛皮とスノータイガーの毛皮をかけて、くっついて寝ることにしたことだ。
言うまでもないが、くっつくのは背中だ。
温かいし薪を積んだスペースに二人で入るほうが効率いいし。
下心でシルエラを頷かせたのではないのは、理解していただきたい。
木の下なので虫は時々落ちてくるが、雨は遮られる。
シルエラは俺の貸した黒の外套を虫除け代わりに頭から被っている。
「国語が得意だったの?」
「塾の先生が国語だけ厳しくって」
「へぇぇ」
俺たちは明るく照らす月の下で横になり、背を向けながら他愛もない話をしながら、眠りにつく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます