第8話 シルエラという少女
上半身だけを起こした姿勢で、俺は頭上の木を眺めた。
木々の合間から星が瞬いているのが見える。
(モンスターに襲われないだけでもありがたい、か)
街には高レベル衛兵が幾人も見張りをしており、侵入してきたモンスターは一刀両断される。
それゆえ、街にいれば襲われることはない。
「ひどいなホント」
俺は隣に腰を下ろしていた新人プレイヤーらしき女性に話しかける。
体育座りをした女性は初心者のローブを身にまとい、手元に初心者の杖を置いていた。
髪は銀髪で、肩甲骨の下ぐらいまでのストレートロング。
前髪を分けておでこを出した小さな顔は愛らしい。
背は標準よりやや小さく線も細めだが、ローブの下の柔らかそうな体型が見てとれた。
瞳孔のわからない銀色の虹彩を持った眼は、ほかの女性より大きめの設定のようだ。
「ザ・ディスティニー」では最初の職業は
ちなみにこの女性のような、杖を武器とする初期職業は
女性は俺の巨体にはっと驚いたようだったが、小さく笑って頷き、会釈をすると、白い手で最安の『フォレストウルフの皮』を手繰り寄せた。
『フォレストウルフの皮』は初期村周辺で手に入れることができるだけに小さく、薄っぺらい。
防寒効果は弱いくせに、鼻をつく特有の動物臭がきついため、ゲーム開始序盤は通称『毛皮クエスト』と呼ばれる伝言ゲームに似たクエストをこなして、さっさと『水辺オオリスの毛皮』を手に入れるのが定石だ。
(その毛皮で、ここで一晩か)
災害は貧富の差なく不幸をもたらすというが、やはりこういうところでの差は大きいと思う。
寒さに耐えかねているのか、女性は必死で上半身を毛皮でくるもうとしており、どうしても出てしまう女性の白い素足は血色が悪くなってしまっていた。
「これ、使っていいぜ」
そう言って俺は余っていた『ワイルドベアの毛皮』を差し出した。
これは体調二メートル弱の熊の毛皮を用いたもので、フォレストウルフのものより倍以上に大きい。
ランクとしては、彼女のものより三段階ほど上になり、【保温効果(小)】が付属する。
厚手になるため若干重いのが難点だが、今の彼女には重さより温かさだ。
ちなみに、俺が使っているのはその二階級上の『スノータイガーの毛皮』だ。
この毛皮は【保温効果(中)】が付属する。
「あ、あの……いいんですか?」
「俺はカジカっていう。余ってるからいい。二枚使えば石畳も少しはいいはずだ」
「あ……ありがとうございます」
消え入りそうな声でお礼を言った後はすぐに包まり、温かさに目を見開いていた。
しばらく無言だったその女性は、なにか言いたそうにちらちらと俺を見ている。
「俺で良ければ何でも答えるけど」
俺の言葉で、彼女はおずおずと口を開く。
「あ、あの……こういうことってよくあるんですか?」
「囚われの事? 俺もたくさんやってきたけど、さすがに出れなくなるのは初めてだな」
「そ、そうですよね……」
「
しかし、訊ねられた女性はきょとんとして俺を見ていた。
「精錬石って……なんですか?」
「うわ、そんな状態か」
なんと、女性はこのゲームの常識すら知らないようだった。
精錬石は、職業特有の能力、アビリティを取得するためのアイテムで、モンスタードロップでしか手に入れることができない。
言うまでもなくアビリティは一つ多く覚醒しているだけで戦闘において明確な差が出るほど、プレイヤーに大きな力を与える。
アビリティは第十二位階まで存在し、必要とされる精錬石の等級も異なる。
具体的には、下級(第一位階~第三位階)、中級(第四位階~第六位階)、上級(第七位階~第九位階)、世界(第十位階~第十一位階)、始原(第十二位階)と分かれている。
なお、第三位階までのアビリティを全て覚醒すると一次転職、第六位階までを覚醒すると二次転職をして最終職業に就くことができる。
「すみません、全然知識がなくて」
謝る彼女の名はシルエラと言った。
聞くとログイン特典のアイテムを友人に渡すためだけに、昨日初めてこのゲームにINしたそうだった。
「で、友人には会えた?」
「……いえ、最初に会ったきりで、こうなってからはまだ」
シルエラは下を向いてぽつりと言う。
「暮らしていくだけのお金はあるのか?」
「銀貨100枚だけ……」
「それはログイン時にもらった金だろうが」
俺は小さくため息をついた。
自分とは、まるで比較にならない。
右も左もわからないこの世界で銀貨100枚だけとは……。
聞けば、一番カネになるであろうログイン特典の各種
本来誕生したばかりのプレイヤーは、ここグリンガム王国の各種族の村――生誕の地――でNPCからゲーム説明を受け、レベル5程度まで成長したのちに、初期村と呼ばれるこの街、チェリーガーデンに移動するのが普通である。
だが彼女はアイテムを渡すためだけにINしたので、そこをスルーして友人に初期村に連れられたのだという。
(おいおい……)
何の知識もない状態でこの世界から出られなくなるなど、あまりに過酷すぎる。
俺は金貨を3枚渡して、大事に使うように言った。
「ここでは一日銀貨3枚あれば食べていける。無駄遣いするなよ」
「あの……ありがとうございます!」
シルエラの声は今回だけ、消え入るような声ではなく、はっきりと聞こえた。
金貨3枚。
今の俺にとっては手持ちの半分なのだが、俺よりもひどいシルエラの状況を考えると、みんなでも渡すと思う。
「明日、ログアウトできるようになってればいいんだけどな。じゃあそろそろ寝るから」
「はい。カジカさんお休みなさい」
その後、スノータイガーの毛皮にくるまり寝転がったが、石畳は硬い上に冷たく、予想以上に毛皮越しに熱がどんどん奪われていく。
同じ姿勢では石畳に当たっている部分が痛くなってくる。
かといって転がるとせっかく馴染んだところからずれて氷のように冷たい石畳に再び体温を奪われる。
(思った以上にきついな……)
今は10度以下まで冷えていることだろう。
現実世界でキャンプなどしたことのなかった俺は、外で寝るなどありえないレベルだったことをここで知った。
なかなか寝付けなかった上に、冷たい風が体を吹き付けていくと凍えて何度も目が覚めた。
歯をガチガチ鳴らしているシルエラに気づいた俺は、見ていられず持っていた黒の外套を出して着せた。
それからシルエラは静かになり、規則的な呼吸になった。
◇◆◇◆◇◆◇
長く苦しい夜が明けようとしていた。
いつの間にか朝、というのを期待していたが、もちろんそんな幸せは訪れなかった。
東の空が明るくなり、すぐそばの木で小鳥が最初は控えめに、そのうちに容赦なくさえずり始めた。
この世界も太陽と月が元の世界と同じように設定されている。
俺たちにとってはこんな朝でも、小鳥たちは至福の時が来たと言わんばかりに歌っている。
起きようかと体を動かすと、ズキンと体中の関節が痛んだ。
「しんどいな」
寝返りを打てずにいたため、石畳に長時間当たっていた体の部分が一斉に不満をもらしたのだ。
食いしばって痛みを堪えながら起き上がり、体をほぐす。
四肢はまるで冷蔵庫に入れていたかのように冷え切っていたが、幸い頭はすっきりしていた。
ステータス画面で時刻を確認すると、今は朝の五時すぎだった。
動いていると、異様に邪魔な腹部に腹が立つ。
隣にいたシルエラは猫のように丸くなっていた。
眠っているようだった。
念のために生きているか確認したが、一定のリズムで着込んでいる黒い外套が持ち上がっていた。
俺は自分が使っていた毛皮をシルエラにかけて立ち上がる。
霞んだ眼をこすり、街中を見渡す。
一見してわかった。
期待してはいなかったが、ログアウトできるようになった気配はない。
水袋の水を一気に煽ると、新規の情報を求めに冒険者ギルドに向かうことにした。
(だめか)
ついてみると窓口は締まり、床にはプレイヤーが所狭しと寝転がっていた。
外ほど寒くはないが、誰かの汗くさいにおいが室内に充満している。
俺はさっさとそこを出た。
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