第6話 『北斗』のミハルネ
「――おい、そろそろやめてやんな」
三回目の水が降ってきた頃、どこかから声がかかったのが聞こえ、俺を蹴る足がなくなった。
囲んでいた男達は去り際に皮肉な笑いを残していく。
凍えている俺の歯は楽器のようになり続けている。
まだ冬が終わったばかりの時期で、水浴びはさすがに堪えた。
白くなった手で上半身を起こして座ると、目の前にひとり、男が立っていた。
「――痴漢はいけねえな。気持ちはわかるがな」
中肉中背で黒い瞳。
20代後半だろうか。
太い眉もそうだったが、突き出て二つに割れた顎が目を引いた。
脂っ気のないブロンドの髪を前髪ごと無造作に束ね、首の後ろで縛っている。
男は蒼穹の
剣二刀流は
それだけで二次転職を済ませ最終職業に至っている
彼の
金で縁取りされたその精巧な作りが目を引く。
【部分重量無視】の魔法がかかっている上にセット装備で防御力が15%上昇するという、
なお、鎧には
最も防御力の高い
俺は蒼い
マウスで言うダブルクリック操作だ。
それに伴い、相手のプレイヤー情報(名前、所属ギルド名)がポップアップして視界に表示された。
名をミハルネ、ギルド『北斗』に所属していることまで表示された。
(北斗か……)
『北斗』は全サーバーを通して最大と言っていい、巨大ギルドだ。この男は装備からその幹部クラスなのだろうと推測した。
「バグが起きていて困ってるんだ」
「――あんた名前は?」
俺の名前が見えなくなっていることに気づく。
福笑いの袴に備わっていた認知妨害効果のため、???になっているのだ。
「……カジカ」
俺はやや自暴自棄になりながら別の名前を名乗った。
名前設定で偽の名前をカジカと入力する。
近くの港でよく釣れる、鍋にすると旨い魚の名だ。
ミハルネは聞かない名だな、と呟くと先を続けた。
「俺はミハルネ。第一サーバーのギルド『北斗』の団長だ。バグはあんただけじゃないぜ。さっきからおかしなことが続いている。みんな神経質になっているところで、あんたがちょうどよくやっちまった。ついてなかったな」
ミハルネは俺が言ったバグの意味を誤解したようだった。
「痴漢なんかしていない。知り合いの女性がいたから状況を聞きたかっただけだ」
「誰だって痴漢すれば、シラを切るさ」
「度し難いことを」
俺は背を向けて立ち上がり、立ち去ろうとした。
「まあ待て」
それを見たミハルネが、俺を引き留める。
振り返った俺を見て、ミハルネが額の汗を拭った。
「……カジカさんとやら、単刀直入に聞こうか」
「なんだ」
「――あんた、何者なんだ?」
ちょうどその時、近くの木にとまっていた鳥がバサバサと一斉に飛び立っていった。
「………」
睨んでいるミハルネが、ちらりと俺の手元に視線を動かしたのが見えた。
それで俺は全てを悟った。
「やめておけ」
俺の不穏な動きに気づいたのか、ミハルネが静かな動きで腕を前でクロスし、双剣の柄を掴む。
場に似つかわしくない、肌に突き刺さるほど張り詰めた空気。
「どうかしたか」
「それ、運営が販売停止した召喚アクセサリーだろ? 貴重過ぎて、いったいいくらで取引されているのかも知らん。なのにそこまで随所に身につけている奴は初めて見た。あの状況で召喚獣を出さなかったのは賢明だったがな」
ミハルネは俺の全ての指で黒光りする指輪を顎で示す。
その通り、召喚アクセサリーである。
運営が以前、一回9800円という超高額課金ガチャイベントを開催した時に、手に入れたものだ。
予想以上にゲームバランスを崩すと気づいたらしく、その後の販売が無期延期となったレアアイテムである。
モンスターを調教師同様封じ込めて一日一回のみ召喚できる。
指だけではない。俺が身につけているイヤリングも、ネックレスも実は召喚アクセサリーである。
これだけ集めるのに、俺が幾ら投資したかは推して知るべしだ。
もちろん指輪を装備できるよう全ての指を解放したのも課金だ。
「
帰属アイテムとは、手に入れたプレイヤーのみが使用でき、販売、譲渡できないアイテムのことである。
多くは運営が課金販売したものが当てはまる。
「……なるほど帰属なのか」
納得したような言葉とは裏腹に、ミハルネは一層厳しい表情になった。
「――だが後半は嘘だな。あんた、とても笑えないような大物飼ってるだろう」
ミハルネの額にあった大粒の汗が、すっと流れた。
これが、こいつがわざわざ俺に話しかけてきた理由に違いなかった。
この歴戦の男は一部の超級モンスターだけが纏う異質な空気を知っているのだ。
そして確かに、俺の指輪にはそういう奴が眠っていた。
「大物過ぎる。人に従うこと自体が信じられんレベルだ」
ミハルネがもう一度繰り返した。
俺はすぐに首を横に降る。
「……買いかぶりすぎだ。確かにポイズンサンドウォームは閉じ込めている。でかいし、毒を撒き散らすからここでは見せられないが、あんたが気配を感じているのはこいつだと思う」
嘘である。
ポイズンサンドウォームはレベル四〇程度と、それほど強くないモンスターだ。東にある砂漠、ザサハラの入り口の段階で出会う相手である。
ミハルネは再び眉を動かすが、まだ油断なく俺を見ている。
白々しい嘘を、とでも思っているのだろう。
それはそうだ。
俺が封じ込めているのは、そんな生ぬるいものではない。
ここで出したら、それこそ大惨事になる。
「……今までのサーバーは?」
ミハルネが両手を剣の柄から離さず、質問を口にする。
「第二だ」
「それなら俺たちとも初見だな。あんた、名もわざと変えているな? 雰囲気でわかるぞ。かなり高レベルなんじゃないのか?」
なかなか鋭い。
「今の、見てたんだろ?」
「すぐばれる嘘は止めたほうがいいぜ。俺の勘はそうそう外れないんだ。――おい!」
ミハルネの呼び声が裏返ったが、近くにいたプレイヤーが数人、気づいてこちらに歩いてきた。
巻き起こるざわめきとともに、周囲の目が、彼らに引きつけられる。
彼らは一目で
彼らが俺の前に来ると、人垣も分厚いものになる。
「ミハルネさん、やっちまいますか?」
この職業は格闘系最終職業で、武闘でダメージを与える職業だ。
特殊な攻撃方法として、空中に跳ね上げて連続攻撃を入れる「空中コンボ」が実装されている。
ミハルネは
「なぁ、なんでミハルネさんたち、集まってんだ?」
「お、おい! あれ『北斗』の最強パーティじゃね? キッゾさんにルキーニ……ミルセイアもいる!」
「ていうか、なにあの相手。豚じゃん、豚族じゃん! アハハハ」
完全武装のミハルネパーティの登場に、にわかに盛り上がり始める倉庫前。
「立てや」
200kgを立たせてくれるとは、さすが高レベルプレイヤーだが、俺を雑魚だと確信しているせいか、少々アホっぽく見える。
名前はルキーニと言うようだった。
「勘弁してほしいな」
俺は怯えたふりをしながら言い返した。
「団長の質問に答えねぇと、怪我するぞ」
ルキーニが凄むと、ミハルネがなだめるようにその肩に手を乗せた。
「おいカジカさん、どうしても言うつもりはないか?」
「絡むのはやめてくれ」
濡れた衣服が体温を奪い、奥歯が再び音を立て始めた。
そんな俺を見て、ミハルネはやっとフッと笑った。
「……まあいいさ。話していてそれなりの良心の持ち主らしいことはわかった」
ミハルネは小さく溜息をつき、放してやれ、と声をかける。
「俺たちはこれからこの街を去るが、それだけの腕ならまた会う機会もあるだろう。街中では出さないと約束してくれ。ポイズンサンドウォームじゃない奴のことだぞ」
「……ミハルネさん、よろしいので?」
「いい。放っておけ。何かあれば連絡するよう『乙女の祈り』の連中には言っておく」
ミハルネはそう言って背を向け、他の仲間たちも無言で去っていく。
「おいデブ、命拾いしたな」
俺はドスンと尻餅をつき、それが面白かったのか、あたりから嘲笑を買った。
それを最後に、厚かった人垣も散って行く。
◇◆◇◆◇◆◇
「さて」
やれやれと思いつつも、俺は当初の目的を達するべく、視界の隅にあるアイコンをタッチして自分の倉庫にアクセスした。
ひとまず持っているアイテム類を移してみて重量ペナルティが改善するかやってみよう。
それから以心伝心の石だ。
ギギギと聞き慣れた音を立てて、倉庫が開く。
しかし。
「……は?」
俺は瞬きを忘れ、食い入るように開いた自分の倉庫を眺める。
その時の俺は、目を疑うとかそんなレベルのリアクションじゃなかったと思う。
全部なくなっていたのだ。
倉庫の中身が。
「……嘘だろ」
もう一度開き直す。
呆然としながら、それを5回繰り返していた。
変わらなかった。
ふと、自分が呼吸を忘れていることに気づく。
(自分の倉庫にアクセスできていない?)
認知妨害アイテムで名前変更したためだろうか。
いや、今までは名前くらいでは、倉庫とのリンクが切れることはなかった。
「弱ったな……」
知っての通り、俺の倉庫には貴重なアイテムがぎっしり詰め込まれていた。
「以心伝心の石」だけではない。アルカナボス死神を討伐した際に得た【遺物】級の軽鎧や【伝説】級の斧も含まれている。
金貨も2万枚以上はあったと思う。
違反行為により運営に倉庫を凍結されることがあることは知っているが、そんなのは身に覚えがない。
俺は倉庫番の女性に詳細を訊ねるが「開く倉庫がご自分の倉庫です」の一点張りだった。
まるで、新車の鍵を他人に紛失されたような気分だった。
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