第4話 巨大蟻の王3



「し、信じられない……〈暗闇ダークネス〉より深い闇……しかも作用時間も長くない?」


 カオリンが見たことのないほどの深い闇に嘆息を漏らす。


「ねぇ、あの暗闇、ありえない……頭にくっついて回ってるよ? エリア固定の〈暗闇ダークネス〉じゃない……」


 回復職ヒーラーの女性の顔には驚愕が張り付いている。


【漆黒の闇】は闇の精霊シェードの王、闇精霊の君主シェードロードのみが発現できる状態異常である。


文字通り見通すことのできない闇をもたらし、光だけでなく音や匂いまで屈折させる空間を作り出すのだ。


 カミュはここで糸を変更し、攻撃力の高い『死神の薙糸なぎいと』を手に取る。

 

 ■  死神の薙糸

 拘束確率 1%  攻撃力 80

 拘束時状態異常 この戦闘で受けた総ダメージを与える


 アルカナボス『死神』から紡いだ、10本しかない貴重な魔法糸である。

 拘束確率が極端に低いが、切り刻む能力に優れ、一撃一撃の攻撃力が通常の糸の倍近くに設定されている。


 10本すべて装備すれば、なんと武器中最大の攻撃力と言われる両手剣グレートソード以上の攻撃力になる。


 なお、アルカナボスとは二十二のアルカナにちなんだ、この世界最強の敵である。


 アルカナボスはサーバー共通で、一つのサーバーで攻略されると、他のサーバーでも出現しなくなる特徴がある。


 現在までで、アルカナボスは4体が討伐されている。


 カミュが倒した「死神」、第一サーバーのギルド『北斗』が攻略した「恋人」、そして第六サーバーのギルド『アルキメデス』が攻略した「運命の輪」、そして四体の魔物【四凶の罪獣】により討伐されてしまった「女帝」である。

 これによりギルド『北斗』は驚異的な移動速度を誇るレア騎獣「ペガサスクィーン」を複数手に入れ、ギルド『アルキメデス』は城すら浮かせると言われる飛行石を手にしたと言われている。


 ちなみにカミュは死神を倒して、「アルマデルの仮面」と「アルマデルの経典」という呪いのアイテムを手に入れている。

 その禍々しい副作用ゆえに、彼は身につけたことはなかったが。


「ギィィ!?」


 頭部に絡みつく【漆黒の闇】で敵を見失い、がむしゃらに牙をむく巨大蟻の王アントオブアント

 噛まれると即死しそうな攻撃を丁寧に躱しながら、カミュは『死神の薙糸』で切り刻んでいく。


 状態異常【漆黒の闇】が切れれば、すぐさま闇精霊の君主シェードロードの弦糸を放ち、状態異常を追加する。

 

 死神の薙糸は、繰り返し蟻の硬い甲殻を切り裂き続けた。

 

 それでもさすがというべきか。

 巨大蟻の王アントオブアントは体液をまき散らしながらも、牙をガチガチ鳴らし、見る者を竦ませるほどの殺気を放ち続けた。


(……そろそろ、おっと)


 と、そこで【漆黒の闇】が晴れた巨大蟻の王アントオブアントがすぐさま【蟻酸】を吐き出す事前モーションに入る。


 カミュは背後に誰もいない位置へ移動し、それを引きつけた。


「ギャアアァァ!」


 吐き出される蟻酸。

 緑色の液体が狙いを違わず、カミュの方へと放たれた。


「うあ、また【蟻酸】だァァァ!」


「危ないわ!」


 ササミーたちがちょうど巨大蟻の王アントオブアントを挟んだ反対側で叫んでいる。

 カミュは地を這うような体勢で降ってくる蟻酸の下をくぐり、躱した。


 そのまま距離を詰める。


「躱したぁぁ!」


「きゃーかっこいい~~!」


「ちょっと! あの人マジヤバくない!?」


 【蟻酸】放出後で硬直中となっている巨大蟻の王アントオブアントに、カミュが最後の攻撃を仕掛ける。


「終いだ。【死の十字架デッドリィクロス】」


 カミュが持っているのはもちろん状態異常だけではない。


死の十字架デッドリィクロス】。


 糸による必殺の切り刻み攻撃である。


 中距離攻撃アビリティ【死の十字架デッドリィクロス】は二段階あるものの高位のもので、発動後硬直が短い上に、糸がまれに見せる「剪断」の確率を大きく上昇させるものであった。


 先ほどの巨大蟻ジャイアントアント三匹を屠ったのもこれである。


 運営が設定した本来の【死の十字架デッドリィクロス】は片手に標準的な糸を五本装備し、反対の手に盾を持った状態で放つことを想定している。

 これでちょうど、同レベル帯の他の火力系職業の攻撃技に並ぶ威力になる。


 しかし、カミュの場合はその想定の斜め上をいく。

 上級魔法糸という、並外れた攻撃力を持つ糸を使う上に、腕四本をすべて攻撃に使うからである。


 さすがの巨大蟻の王アントオブアントもこれには耐えられず、乾いた音を立ててバラバラと崩れ落ちた。


 亡骸のそばに、ドロップ品が出現する。


「す、すごい……ひとりで全部倒しちゃったわ」


「……あたしたち、あれ一匹でも無理だったのに」


 命拾いした女性二人が、まだ信じられない様子で俺を見てくる。


「……あの人、噂のあの人よね……」


「どうしよう、ヤバいちょっと、カッコよくない!? あたしなんかドキドキしてきちゃった!」


 ササミーに背を向けて盛り上がる二人の女性。


「いや、俺が守ったから君に【蟻酸】がかからずに……」


 付加価値を示すササミーの言葉は、独り言にされた。


「……やったな。さすがはアビリティ全覚醒の【剪断の手】だな」


 一瞬で切り替えたササミーが拍手しながら、カミュに声をかけてくる。

 見習いたいぐらいの速さだと、カミュは感じた。


 ――【剪断の手】。


 それは圧倒的な強さを持つ、第二サーバーの謎の糸使いを畏怖して付けられた名。

 アルカナボス「死神」を単独討伐した者。


 二ヶ月前の全サーバー統合PVP対人戦大会の優勝者。

 そして紛れもない、カミュのことである。


 カミュは近寄ってくるササミーを軽く無視する形で巨大蟻の王アントオブアントに駆け寄ると、一秒を惜しむ様子でその亡骸に【上級魔法糸生成】を行った。


 カミュはすでに巨大蟻の王アントオブアントを四匹倒しており、生成カウントは残り1であった。

 今回の生成も成功し、『巨大蟻の王アントオブアントの蟻酸糸』が10本生成される。


 この魔物の糸を手にするのはカミュ自身初めてだったので、糸を手にしたとたん、手が震えてしまっていた。


(うわ……これはあくどい)


 『巨大蟻の王アントオブアントの蟻酸糸』の状態異常効果は、ミスリルを含む金属を腐食し、装備品耐久度を傷害するものだった。





     ◇◆◇◆◇◆◇





「【剪断の手】ってやっぱり……! あの人、カミュ様なのね!」


 糸合成で屈んだ俺の背後で、ササミーが質問攻めに遭っていた。

 ササミーはなぜか照れて頭をかくと、仕方ないといった様子で口を開いた。


「そそ、別格だろ? 俺の親友、カミュだよ」


 親友のところを強調する男がいた。


(おい、いちいちバラすな)


 カミュが振り返ってササミーに口パクするが、もう遅かった。


「カミュ様……」


「カミュ様って、こないだの全サーバー統合PVP対人戦大会で――」


「――そそそ。優勝者。で、俺の親友」


 しつこい人がいる。


「やだマジで本物なの!? 信じられない! あたしすごい応援してた! 決勝たった26秒で勝った時、マジ震えたもん! 同じサーバーだって聞いてたからお会いできたらと思ってたの! ちょっとマジヤバい! 漏れそう! てか漏れた!」


 最後の一言が気になる。


  「……あ、あの、た、たたた、助けて頂いてありがとうございましたぁ! カッコ良かったですぅ!」


「いやいや、ちょうど狙ってた敵だったんだ」


 礼を言う二人に、カミュは分け前とドロップ品を渡す。


「ちゅ、中級精錬石じゃないですかぁ!? あ、あの、頂いちゃっていいんですか!」


 回復職ヒーラーの女性が目を白黒させてたじろいでいる。


「ああ、俺もササミーも中級は終わってるからどうぞ。ササミーってあいつね」


「きゃー!? マジヤバい! カオリン、あたしもらっていい?」


「えーなんでよー!? 麻沙美なんか、ただ座ってヤバいヤバい言ってただけじゃん! 私欲しい!」


 各職業にはそれぞれ第十二位階まで、戦闘を有利にすすめるための個性的なアビリティが存在している。

 もう知っての通り、この世界でプレイヤーの強さを大きく左右するのは、アビリティをいくつ覚醒しているかである。

 

 このゲームではモンスターがドロップする「精錬石」と呼ばれる石を取得し、それを使用することでアビリティを覚醒していくシステムをとっている。精錬石の等級には、下級(第一位階~第三位階)、中級(第四位階~第六位階)、上級(第七位階~第九位階)、世界(第十位階~第十一位階)、始原(第十二位階)と分かれている。


 先日、とあるパーティに上級精錬石ドロップがあり、誰が拾うか半日揉めたという話を聞いた。

 精錬石は高位のものほどドロップ率が低いためだ。


 例えば上級精練石は、1000回に一回のドロップと言われている。

 その上の精錬石などは、さらにレアだ。


 成長させるアイテムがそんなレアドロップなものだから、先日公表されたプレイヤーの平均取得アビリティ位階は、なんと、たった5.2。

 オープンして二年以上経過した現在でもそれだけであり、未知のアビリティが多いことを覗わせる数値だ。

 

 精錬石はこのように、皆が喉から手が出るほど欲しがるアイテムなのだが、俺自身はもう興味がなかった。

 すべてのアビリティを覚醒し終わっているから。

 

「助けていただいた上に、精錬石まで、本当にありがとうございました!」


「あ、ああ、あの……彼女いるんですか……!」


 ぺこぺこ頭を下げる魔術師の女性は耳が大きく上に向けて尖っており、エルフだった。


「ザ・ディスティニー」に住んでいる種族は多岐に渡るので、特に驚かない。


「俺、いないよ」


 ササミーが回復職の女性の質問に答えて、ぱちんとウィンクする。

 二人はもはや、ササミ―を完全スルーした。


 最後に二人の女性はカミュだけに握手を求めると、移動アイテム「帰還リコール」で、最寄りの街へ帰還していった。



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