DAHLIA エルマとヘルマンの帰国

 フィーベル領内のとある場所。


 そこにはダリア共和国へ向けて物凄い速さで移動する馬車があった。


「お嬢様。間もなくダリア共和国へ入国いたします」


 御者の一人が小窓を開け、車内にいる女性に声をかけた。


 その女性は既に40歳を超えているのだが、いまだに「お嬢様」と呼ばれている。


「そうかい。問題なくこの忌々いまいましい国から出れそうで良かったわ」


 お嬢様と呼ばれた女性は安堵し、強張こわばらせていた顔を緩めた。


 彼女はラノア王国王妃エルマ・ド・ラノア。夫であるライオノールを殺し、ダリアへ逃亡する最中さなかである。


「母上。これからどこに行くのですか?」

「これから私の家に帰るのよ」

「母上の家ですか……」

「そうよ」


 エルマを「母上」と呼んだ少年はヘルマン・ド・ラノア。ラノア王国第一王子である。


 ヘルマンは母が言ったことを理解できず、そのまま黙り込んでしまった。


「私の家のことについてヘルマンは知っているかい?」

「いいえ。何も知りません」

「そうか。なら、仕方ないわね」


 そう言うと、一息ついて話し始めた。


「私はね、ダリアで育ったの」

「ダリア、ですか……」

「ヘルマンはダリアがどこにある国なのか分かるわよね?」

「はい。ダリアなら……」


 ヘルマンは戸惑いながらも答えた。


「それならいいわ。私はダリアで育ったのだけど、お父様にライオノールと結婚するよう指示された。所謂いわゆる、政略結婚ね。そういった経緯で、私はこの国に嫁ぐことになったの」

「そうでしたか……」

「けれど、もうあんな国に嫁ぐ必要もなくなったわ。だから、帰ることにしたの。知り合いが誰一人いない場所に居たって面白くないもの」


 ヘルマンは黙って母の話を聞いている。


「ヘルマンはあの国で生活したかったの?」

「いいえ。騎士もメイドも使えないほとんどで、それにお父様も俺を王太子に選んでくれなかったので、あの国にこれ以上留まる必要はなかったです」

「そう。それならいいわ」


 エルマは笑みを浮かべることなく、あっさりとした表情でヘルマンの言葉に応えた。



 * * *



 数日後。


 ダリア共和国首都のある屋敷。


 その屋敷は周囲と比較にならないくらい大きい。門を抜けるとそこには手入れされた前庭が広がっており、赤、黄、紫など色とりどりの花々が秩序を保って咲き誇っている。


 その奥には3階建ての大きな屋敷がある。茶色の壁と白の支柱を基調とした屋敷はとても立派で、先程の前庭はこの屋敷をより一層素晴らしいものに見せるためのものと言っても過言ではない。


 この前庭と屋敷の外観だけで住人が巨額の富を有していることが分かる。これ程の財力を持てるのは国で1、2位を争う商人か、あるいは国の最高権力者か、将又はたまた軍部の最高司令官くらいであろう。


 前庭を馬車で駆け抜けること10~20秒。ようやく馬車は止まり、扉が開かれた。


 御者の一人が扉の側で片手を出して控え、出てくるエルマに手を添え、降車を手伝った。


 その後、エルマは馬車から降りると続いて出てくるヘルマンを待ち、そろって屋敷の中へ入って行った。


「おおっ! 帰って来たか、エルマよ」

「はい。お父様。ただいま戻りました」


 エルマとヘルマンが部屋に入って早々、正面の老者ろうさが声をかけた。


 「お父様」と呼ばれた男の体は少し大きく、俗に言う中年太りの体型をしている。エルマと同じく黒髪、黒目で、目鼻立ちはとてもエルマに似ている。


 彼の名はヘロル・カシュー。ダリア共和国最高指導者である。


 彼には息子が1人、娘が2人おり、エルマは次女である。


 妻は数年前に他界し、長女アイラは他家へ嫁いだ為、この屋敷に住んでいるのは父ヘロル、長男ロマン、ロマンの妻イザベラと息子、娘の5人である。


「そこにいるのはヘルマンか」

「はっ、初めまして。ヘルマンと申します」

「ラノアに忍ばせていた者から話は聞いておったが、随分元気そうだ。健やかに育っているようで何よりじゃ」


 ヘロルは緊張しているヘルマンを見て笑うと、エルマに向かい合った。


「それで、エルマよ。予定より帰りが早いようじゃが、どうかしたのか?」

「そのことについて話があるので、部屋に向かいましょう」

「そうか」


 ここで、エルマがヘルマンを見て話し始めた。


「ヘルマンは自分の部屋を見ておいで。急な帰りだけれど、部屋は用意してあるはずだから」

「はい。母上」


 ヘルマンは屋敷で働くメイドについていき、ヘロルとエルマは執務室へと向かった。



 * * *



「それでエルマよ、何があったのじゃ?」


 執務室に着き、席について開口一番ヘロルがエルマに尋ねた。


「ライオノールと側室のナナリーの子供ランスをご存じですか?」

「あぁ。話は聞いておる。なかなか頭が切れる奴だそうじゃな」


 ヘロルは表情を変えずにエルマに答えた。


「先日、そのランスの8歳の誕生日を迎えたので、パーティーが王族だけで開かれました。そのパーティーの最中に、ライオノールがランスを王太子にすると……」

「はぁ?」


 エルマが「王太子にすると言い出して……」と言おうとしたのだが、それをヘロルがさえぎって頓狂とんきょうな声を上げた。


「それは本当なのか?」

「はい」

「長男のヘルマンを王太子にしないなんて、契約違反ではないか?! エルマはそれを止めようとしたのか?」


 ヘロルが声を荒げて尋ねた。


勿論もちろん、私はライオノールを必死に止めました。しかし、『ヘルマンに王位を継がせたら国が廃れる』、『ヘルマンを王太子にするという文言は契約書になかった』などとたわけたことを言い、私の話を聞き入れませんでした」

「そうか……」


 ヘロルが顔をしかめ、切歯扼腕せっしやくわんする。


「それでは、我らがこれまでにしてきた我慢が水の泡になってしまう。大体、お前を嫁がせたのも諜報活動が目的だったというのに……早く対策を講じねば……」

「対策は私が既に立案しました」

「ほぉ。そうか……」


 エルマの言葉を聞き、ヘロルが落ち着きを取り戻した。


「それで、対策とは?」

「武力行使です」

「正気か? 我らが立てた計画というのは元々共和国民が無駄な血を流すことなく、ラノアの城を落とす為の手立てだったというのに……」


 そう。この2人が立ててた計画の目的は、ラノア王国を植民地化、または併合することである。その計画は以下の通りである。


 ――ライオノールが崩御し、ヘルマンが戴冠した後、エルマがヘルマンに王国兵を意図的に配置するよう指示し、ダリアからの侵攻軍が速やかに王都へ到達することを可能にする。そこでダリアから侵攻し、王都を落とす。その後、王都を中心に各地へ挙兵し、対応が遅れる王国兵を各所で撃破。これにより、ダリアによる王国の植民地化が達成される。――


 ダリアが王国内フィーベル領アラ湖以東の割譲を求めたことはこの計画を進める第一歩でしかなく、アラ湖以東の豊かな自然を求めて王国と交渉したわけではない。


 そして、エルマをラノア王国国王へ嫁がせたこともこの計画の一環で、諜報活動が目的であった。王族以上に王国の情報を入手するのに有利な地位はなく、エルマは王国の地形や経済など、多くの情報をダリアにリークleakすることが可能となった。


 さらに、エルマは密かに役人達をダリアに取り込んでいた。エルマは工作員を通して大臣に多額の賄賂を渡し、王国の役人数人をダリアに取り込むことに成功したのだ。


 その為、ダリアは王国への大金貨4億枚の支払い条件をんだのだ。くは王国がダリアの植民地となるからだ。そして支払開始から十数年後、「支払いを先延ばしにしても王国はダリアに経済制裁も侵攻もしないだろう」とエルマが見立て、ダリアに「全額を支払う必要は無い」という指示を出した。そして、大臣の数人をダリアの傀儡かいらいにしたというエルマの策も功を奏し、エルマの予見通り王国は何もしなかった。


 ここまではエルマの計画通りに動いていた。


 しかし、計画も大詰めを迎えたところで大きな障害が発生したのだ。


 ライオノールがヘルマンではなく、ランスを王太子に任命したのだ。


 ライオノールはランスの誕生日に王国中の貴族を王都に集めていた。ライオノールの計画に一切気づけなかったエルマは切歯扼腕した。


 これでは、計画の最終段階に進めない。


 エルマはライオノールを必死に説得したのだが、全く聞き入れてくれなかった。


 この20年以上かけてきた計画をここにきて潰すわけにはいかない。


 そこで、エルマは計画を早めることにしたのだ。


 ライオノール、ランス、ナナリー、ソフィア4人を殺害し、王国が混乱に陥ったすきにダリアから侵攻することにした。


 この計画には、戦争に向けての準備時間を王国に与えない為に奇襲が最も効果的だ。そこで、エルマは急いで準備に取り掛かり、ランスが国民にお披露目された当日に作戦を決行した。


 しかし、またしてもエルマは失敗する。


 いや、想定外の事態に直面するという表現が正しいだろう。


 ライオノールを殺すことは容易であったのだが、その次に殺すはずであったランスが起きていたのだ。


 エルマはランスを殺すことができず、その上反撃されてしまった為、ダリアへ逃げることにしたのだ。


 エルマが本国へと帰ることになったことの顛末てんまつは以上である。


 ――閑話休題――


「こうなった以上、一刻も早く王国へ侵攻する他ないでしょう」


 エルマが悔しがる父ヘロルを見て話し始めた。


「幸い、私が帰国する前にライオノールを殺すことができました」

「本当か?!」


 先程までゆがんでいたヘロルの顔が咄嗟とっさに明るくなった。


「はい。今頃、王国は混乱に陥っているでしょう。何せ、世継ぎがランス1人だけですからね。8歳の子供が国王となると国民は動揺し、もしかすると内乱になるかもしれません」

「そうか!」


 ヘロルの顔が更に明るくなり、勝機を見出したと言わんばかりの顔をした。


「となれば、早速挙兵の準備をせねば。幸い、王国への支払いを先延ばしにした故、我が国は出兵する準備が整っておる。皆を呼んで今すぐ会議をする」

「あと少しお待ちください。お出かけの前に、話を聞いてくださいますか?」


 エルマは立ち上がらんとするヘロルに声をかけ、あと少しの間話を聞くよう促した。


「それはいいのだが、他に話があるのか?」

「はい。ただこのことを話しておきたいのです。決してランスを侮らないで下さい」


 すると、ヘロルがまた頓狂とんきょうな顔をした。


「どうしてじゃ? 唯の頭の切れる8歳の小僧じゃろ?我らは大人なのじゃ。小僧相手に警戒する必要無かろう」

「いいえ。奴はただ頭が切れるわけではありません。物凄く頭が切れます。それも30年、40年生きてきた大人と遜色そんしょくが無い程です。奴をめていると、痛い竹箆しっぺい返しを食ってしまいます」

「そっ、そうか……」


 エルマの顔が真剣そのものであった為、ヘロルが狼狽うろたえた。


「わかった。念入りな準備をすることにする」


 ヘロルがそう言った。


「それと、王国への侵攻は少しの間待っていただけますか?」

「どうしてだ? 早くに侵攻するのが良いとさっき言っていたではないか」

「王国に侵攻する前に一仕事したいのです。2カ月後に王国で面白いことが起こるので、成功したら今回の侵攻作戦でさらなるアドバンテージadvantageを得ることができます。それに、失敗したとしても私たちが痛手を負うことはありません」

「そうか……エルマが言うのなら確かであろう。しばらくの間準備を進めることにする」


 ここで話が終わり、久しぶりの親子の再開で与太話に花を咲かせた。

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