第28話 パーティーに向けて

  翌朝。


 朝はゆっくりと目が覚めた。外は曇っており、部屋に朝日が差し込むことは無かったが自然と目が覚めた。先日の夜と同様、いやそれ以上浅い眠りで、昨日以上に眠気を感じながら朝を迎えた。


 それに加え、曇天によるものなのかわからないが頭痛、発熱さえもする。発熱とはいえ微熱なのだが、体温は38℃程ありそうだ。さらに、昨日のバルマとの手合わせで体のあちこちを痛めつけられたのだが、そこがズキズキする。戴冠して5日。早くも体が悲鳴を上げている。


 俺は眠気だけでも打破するためにバルコニーに出た。しかし、外はジメジメしており、風が吹いても生暖かい湿った空気が体を吹き抜けるだけで、生憎あいにく俺の目を十分に冴えさせてくれない。


 この忌々いまいましい雨季にうんざりしながら部屋に戻り、ベッドに座って一息つこうとするとそこにマリアが来て、朝の支度をすることになった。



 * * *



 朝の支度を終えると食卓へと向かった。


 食卓にはお母様が既に座っている。ソフィアはだ来ていないようだ。


「おはようございます。お母様」

「おはよう、ランス。あまり顔色が優れないけれど、大丈夫?」


 お母様が心配そうな表情をして俺に尋ねてきた。


「はい。眠りが浅かっただけですので……」

「それは大丈夫と言わないわよ。昨日・今日であまり眠れていないのね?そろそろ体にさわるわよ」

「そうですね……けれど、今日は問題なさそうですので、いつも通り政務に励みたいと思います」

「けれど……」

「大丈夫ですよ。自分自身に治癒魔法をかけますので」


 俺はそう言うと詠唱を始めた。


治癒ヒール


 すると、淡い光が俺の周りに浮かび上がり、数秒すると元に戻った。


「これで、俺の体調は元通りですよ」

「けれど……」


 お母様が何か言いたい素振りをしていたが、俺はそれを遮って話し始めた。


「それに、今夜も寝付けないようでしたら明日はお休みにしますので」

「ん~っ」


 けれど、お母様はすぐに納得してくれなかった。


 実は、先程の魔法はあまり意味のないものなのだ。


 治癒魔法は病気や怪我を治す魔法であるが、俺は病気を患っているわけではない。


 昨日の剣の練習でできた打撲が治癒されはしたのだが、それだけでしかない。


 俺の体調不良の主な原因は過度のストレスによる精神の疲弊で、それと同時に睡眠不足に陥っていることだ。


 治癒魔法では疲弊した精神を癒すことも、睡眠不足を補うこともできない。


 すなわち、先程の治癒魔法はほとんど意味が無いのだ。


 このことをきっとお母様も薄々気づいているのであろう。


「わかったわ。今夜寝付けなかったら、明日は休むのよ?」


 お母様はついに妥協した。


「はい。お母様」


 すると、ソフィアも食卓へやって来た。


「おはようございます。お母様。お兄様」

「「おはよう、ソフィア」」


 ソフィアの、眠気をふとばしてくれるほがらかな挨拶に笑った応えた。


 いつもはこの微笑で一日の始まりを実感し、ソフィアの挨拶に心からの笑みで応え、気合が入るのだ。


 しかし、今日は違った。昨日・今日の疲れが溜まりに溜まっている為、ソフィアの快活な挨拶でもやる気スイッチが入らない。


 俺はソフィアの挨拶を無下にしないよう渾身こんしんの笑みを浮かべ、ソフィアに朝の挨拶をした。


 すると、ソフィアは俺の顔を覗き込み、顔が徐々に曇っていった。


「お兄様。昨日より顔色が悪いようですが……無理はしていませんか?」

「そんなことないよ。俺はいたって元気だ」


 俺は先程と同じ作り笑いを浮かべ、腰に手を当て、胸を張ってソフィアに応えた。


「そのようなことを仰らないで下さい! 私にはお兄様が無理をされていることがわかります!」


 ソフィアは怒った口調でそう言った。


 やはり、ソフィアをだますことはできなかった。俺とソフィアが家族ということもあるのか、俺の渾身の作り笑いを見破って見せた。


「実は昨日の夜、あまり眠れなかったんだ」

「初めからそう仰ってください。私はお兄様の容体が心配なのですから……」

「心配してくれてありがとう。けれど、今日一日は大丈夫だと思う。今夜も寝付けないようだったら明日一日休むことにするよ」

「そういうことでしたら……けれど、決して無理をなさらないで下さい!」

「俺のことを心配してくれてありがとう。ソフィア」


 ソフィアの顔には依然として不安が浮かんでいる。昨日の朝食ではソフィアの不安を払拭することができたのだが、今日はそうともいかなかった。ソフィアをこれ程まで心配させてしまった自分が情けない。これ以上お母様とソフィアに心配かけない為に一刻も早く体調を回復させると心に誓った。


「それでは、いただきましょう」


 お母様の一言で朝食を食べ始めた。



 * * *



 朝食はやはり昨日の朝と同様、喉をなかなか通らなかった。


 実は、昨日のお昼は抜いていたのだ。どうしても食事が喉を通りそうになかったので、マリアに昼食は準備しないようお願いしたのだ。当然、マリアが俺の体を心配したのだが、そこはどうにか誤魔化した。


 昨日の夕食はお母様とソフィアと一緒に食べたので何とか完食した。


 昨日のお昼を抜き、朝起きると体調が悪化していた。十分な栄養を摂っていないのだから当然だ。これ以上の体調悪化を懸念した俺は朝食を無理矢理喉に押し込んだ。


 何とか朝食を完食できたことに安堵し、これを見たお母様とソフィアも安心した表情を浮かべたのでよかった。


 俺とお母様は朝食を食べ終え、俺はお母様に話しかけた。


「お母様。貴族向けの戴冠パーティーのことですが、日取りは決まっているのでしょうか?」


 すると、お母様はあっけらかんとした表情を浮かべた。


「あっ! 忘れていたわ。早く準備しないと……」

「今日はその準備をしたいと思うのですが、手伝っていただけますか?」

「もちろん! 一生に一度のパーティーですもの。手伝うに決まっているわ!」

「ありがとうございます。お母様」


 ここで、ソフィアが話しかけてきた。


「お母様。私もそのパーティーに出席するのでしょうか?」

「子供のパーティーの後に開くのであればソフィアも出席しなければいけないわね。その前となると、ソフィアの意思で決めていいわよ」

「私もパーティーに出席したいです!」

「わかったわ。ソフィアも出席するということで準備を進めるわね」


 ソフィアが俺に顔を向けて笑いかけた。


 パーティーのとき、ソフィアはいつも一人で城にお留守番だった為、さびしさを感じていたのかもしれない。今のソフィアの笑顔を見ているとパーティーが楽しみになってくる。


「一緒にパーティーに行こうね」

「はい! お兄様」


 朝食を食べ終えるとソフィアは勉強のため部屋に戻って行った。


「それでは、ランス。行きましょう」

「はい」


 俺はお母様と一緒に執務室へと向かった。



 * * *



 執務室に着き、今はお母様と一緒に戴冠パーティーの準備をしている。


「日程はグリーンパーティーの翌日でどうでしょうか?」

「そうね。その方が貴族たちも無駄な移動をしなくて済むものね。パーティー会場の準備の手間も省けるし、そうするわね」

「はい」

「それじゃあ、ランスは招待状を書いておいて。私はエリスにこのことを伝えてくるわね。そのまま打ち合わせをする予定だから、1~2時間戻ってこないかも」


 エリスはメイド長である。身長165cm程で、年齢はおそらく50歳くらいであろう。お父様の専属メイド長で、最近はメイドの教育に勤めている。そして、彼女はとにかく仕事ができる人だ。すべての所作が洗練されており、年相応の風格がある。彼女がメイド長だと言われて素直に納得できる。


「はい」

「それと、招待状を書き終えたら少しの間横になること。今、相当無理しているよね?」

「そのようなことは……」

「見ていれば分かるわよ」


 お母様が俺の言葉をさえぎって断言した。


「招待状を書き終えたら休むこと。いい?」

「はい」


 俺はお母様の圧に押され、弱弱しく返事をした。


「それでいいわ。それじゃあ、行ってくるわね」

「はい。行ってらっしゃいませ」


 お母様は執務室を後にし、部屋には俺一人が残った。


 ふぅ~。


 やっと一人になれた。


 俺の体調不良でお母様に心配させないよう、いつも通りに振る舞っていたのだ。俺が朝食のときに心配しないよう強く言ったからであろう。けれど、やはりお母様は俺の体調不良に既に気づいており、部屋を出ていく前に休むようさとされた。


 俺はお母様の言葉に従い、招待状を書いた後は休もうと心に誓った。


 しかし、今回のパーティーの参加者は貴族全員だ。すなわち、グリーンパーティーのときよりも多くの招待状を書かなければならない。その数およそ40通。1時間弱かかるであろう。


 俺は椅子に座り、気合を入れ直すとペンを持って招待状を書き始めた。




 どのくらい時間が経っただろうか。


 手紙を一枚一枚書いていき、そろそろ20枚ほど書いたであろう。


 そう思って顔を上げ、右奥に積んだ書き終えた手紙の山を見た。


 ん?


 視界がぼやけてしまっている。


 7~8枚しか見えないが、見間違えであろうか?


 目をこすり、もう一度見直す為に、ペンを机上に置き、右手を上げた。


 すると、突如体が揺さぶられるような感覚に襲われた。


 あれ?


 俺、どうなっているんだ?


 揺さぶられる感覚に耐え切れず、頭に右手を添え、頭を支えた。


 突如起きたいつもとは違う感覚に驚きを感じるが、次第に意識が遠くなる。


 左頬に何か固いものが衝突する感覚を最後に、俺は意識を失った。



 * * *



 徐々に意識が覚醒し、目が覚めると見慣れた天井が見えた。


 体をゆっくりと起こし、周りを見回すとここが私室であることがわかった。


「ランス様! お目覚めになられましたか?」


 マリアが俺の側に駆け寄り、左手を握ってきた。


「あぁ。心配かけてごめんね」

「本当です。けれど、ご無事で何よりです。すぐに王太合殿下とソフィア様をお呼びして参ります」


 そう言うと、マリアは部屋を出て行った。


 それにしても、マリアに「ランス」と呼ばれたのは久しぶりだなぁ。


 俺が戴冠してから、ずっと「陛下」と呼んでいた為、久しぶりに下の名前で呼ばれると距離感が縮まったように感じ、嬉しかった。


 窓を見ると、そこには闇夜が広がっていた。どうやら、俺は半日の間意識を失っていたようだ。


 きっと、お母様とソフィアに心配をかけてしまっただろう。


 俺はこの容易にできる想像にさいなまれ、これからここに来るお母様とソフィアにどんな顔をしたらいいのか分からなくなった。


 外に上る薄月うすづきを眺めた。ぼんやりとした月明かりではあるが、俺はお母様とソフィアからのお叱りを、誠意をもってしっかり受けようと思った。




 マリアが部屋を出てから1分もしないうちにお母様とソフィアがやって来た。


「ランス!」

「お兄様!」


 扉が開かれると、お母様とソフィアがそろって俺を呼んだ。


「はい。お母様、ソフィア。ご心配をおかけしました」


 俺は2人の挨拶に応えるた。すると、お母様とソフィアは俺の左隣に駆け寄った。


「ランス、体の具合は?」


 お母様がいつになく慌てていて、早口で俺に尋ねてきた。


「問題ありません。半日も寝ていましたので、とても調子がいいです」

「半日じゃないわよ! 3日よ! 3日も寝ていたのよ!」


 嘘……。


 3日だと……。


「本当ですか?」


 俺はボソッと尋ねた。


「そうよ。全然目を覚まさないのだから、どれだけ心配したと思っているの?!」


 お母様の強い口調で我に返り、事の深刻さを理解した。


「本当にごめんなさい」

「そうですよ! お兄様が倒れたと聞いてお兄様の執務室に向かうと、そこからウィリアムに抱えられたお兄様が出てきて……その時の私の気持ちが分かりますか?!」


 俺が謝ったところにソフィアが間髪入れずに責め立てた。


「私はもう、家族を失いたくありません!」


 ソフィアが泣きじゃくりながら言ったが、はっきりと聞こえた。


「本当に申し訳ありません」

「けれど、ランスが無事でよかったわ」


 お母様はそう言うとベッドに座り、俺を自身のもとに引き寄せ、俺のお腹に左手を回して右手で頭を撫でた。


「私もごめんなさい。ランスがこんなにも苦しんでいるのに力になれなくて……ランスの体調が優れないことは見てわかるのだけれど、騎士やメイドから沢山の助言を受けていたの。『ランスの元気がない』とか、『ランスの剣筋が弱くなっている』ってね。本当はもっと早くにランスに寄り添うべきだったのに……本当にごめんなさい」


 お母様が自身の右手を俺の頭の前方で止め、頭を俺の頭にくっつけるとそう言った。


 お母様の右の蟀谷こめかみから俺の頭皮に冷たい液体が垂れてくる。ここまで自身を責め立てさせてしまい、俺は自分が仕出しでかしたことを悔いた。


 すると、今度は空いている俺の左手をソフィアが小さな両手で包み込んで話し始めた。


「お兄様。私からも謝らせてください。お兄様に休息を無理にでもとってもらう手段なら沢山ありましたのに……朝食のとき、私は自分の我儘わがままでお兄様に休息をとってもらおうと考えていたのですが、お兄様の言葉に気圧けおされて……ごめんなさい」

「ソフィアは何も悪くないよ。心配してくれただけで嬉しいよ」


 俺はソフィアの顔を見て行った。


 ソフィアは既に破顔している。両目から涙が溢れ、口元もかなりゆがんでしまっている。あの可愛らしいソフィアがどこにもなく、こんな顔をさせてしまった自分が情けなく思える。


 俺が倒れただけでこんなにもお母様とソフィアを心配させてしまった。体調管理が如何いかに大切なことなのか、そして倒れる前に休息を取ることが如何いかに大切なことなのか身に染みてわかった。


 その後、夜も深いということでお母様とソフィアは部屋を出て行った。


 すると、俺は空腹感に襲われた。お母様とソフィアのおかげか、今なら食事が喉を通りそうだ。そういうわけで、マリアに食事を頼むことにした。


「マリア。軽い食事をもらえるかな?」

かしこまりました。陛下」

「そういえば、さっき俺のこと『ランス』って呼んでいたよね?」

「それは……大変申し訳ございません」

「そうじゃなくて、これからも『ランス』って呼んで欲しいな」

「陛下がそう仰るのでしたら……」

「ありがとう」

「それでは軽食をとってまいります」


 マリアは一礼して部屋を出て行った。


 部屋には俺一人だけが残った。


 今回の一件で大切なことを学べた。


 それは体調管理をしっかりとすること。


 前世では――風邪や熱、インフルエンザなどノンフェータルnonfatalな病気にかからないくらいには――体は丈夫だった。その為、欠席や欠勤は殆ど無く、学校・大学での授業でも、また会社への出勤も年に1日休むかどうかの出席率・出勤率だった。まぁ、最期は心筋梗塞だったのだが……。


 今世の体は前世のように丈夫ではなさそうだ。そういうわけで、体調管理をしっかりする必要があることがわかった。


 それと、人の死に慣れる必要があるということが分かった。慣れるということは人が死んでも悲しまないような人でなしの心を身につけるという意味ではなく、人が無惨な最期を迎えたとしてもそれを見て気分を悪くすることなく、その人をとぶらうことができるという意味である。今後、王命により国民が戦地に駆り出され、多くの国民が命を落とすことになるであろう。その光景を目にしたとしてもそれから目をそむけず、気分を悪くせず、弔うことができるようにならなければならない。


 今後の課題をしっかりと胸に刻み、前向きな気持ちになったことろでマリアが軽食を持ってきてくれた。



 * * *



 戴冠パーティーの日取りが決定してから数日後の夜。


 王都内のとある建物内部で10人以上の人が集まっていた。


「おい。本当にやるのか?」

「あぁ。そうでなきゃ、俺たちが恵まれねぇ」

「でも、これって反乱だよな?」

「いや、革命だ。あのクソ国王が死んだと思ったら、今度はその子供が国王だ。それも8歳のわっぱときた。まともに政治できるはずがない。その童が玉座にり返っていていいはずがない」

「「「「「そうだ!」」」」」


 リーダーらしき人が「革命」だと断言すると数人が声を張り上げた。(夜中に秘密裏に行っているのに声を張り上げるとは無神経極まりないのだが)


 といっても、全員が盛り上がっているわけではない。盛り上がっている者と躊躇ためらっている者が約2:1の割合でいる。


「おい! 静かにしろ!」

「「「「「ぉ!」」」」」


 リーダーが適度な声量で注意すると静かに返事をした。


「決行するならこの日しかないだろ」

「あぁ。この日は国中の貴族が集まる。奴らを一網打尽にするこれ以上の機会わねぇ」

「どうやって兵を送るんだ? 現場は近衛兵と王国兵が警備しているんだろ?」

「それなら大丈夫だ。あの方が我々の味方についてくれたからな」

「あの方とは……?」


 リーダーらしき人が言った「あの方」という言葉に一同が疑問符を浮かべた。


「我らの主人あるじだ。時期が来たら合わせてやる」


 一同は多少の不安を感じたが、リーダーが言うなら問題ないだろうと考え、その不安はぐに消えていった。


「それじゃあ、皆は支持者を集めてくれ。作戦はこちらで練っていく。それでいいか?」

「「「「「おっ!」」」」」


 またしても大きな声で返事をしたのだった。


「おい!」

「「「「「ぉ!」」」」」


 仲間の低能っぷりにリーダーは顔をしかめたが、仕事だけはやり切る連中なのでこれ以上の注意はしなかった。

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