第8話 5歳 その3
舞踏会が始まった。
このパーティーは子供のために開かれた社交会なので、ホール中央で踊るのは子供たち。親は周囲で子供たちがダンスする様を見守り、踊るとしても1,2回だけだ。
そして、初めは参加者の中で一番位の高い者がホール中央で踊るのが定石。
というわけで、王位継承権第一位のヘルマン兄様がホール中央に立つ。隣には、公爵令嬢であるフレア・ド・カナート。
身長差が30cm以上あり、さぞ、踊りにくいことだろうと2人を憐れんだ。
曲が流れ、ダンスが始まった。
踊りだしは2人ともよかった。2人とも相手のテンポに合わせ、いい雰囲気が出ている。
フレアの踊りは5歳児のそれとは違い、とても素晴らしい。
けれど、ヘルマン兄様はなんとか相手のテンポに合わせているようで、余裕のない表情をしている。
はっきり言って、ヘルマン兄様がフレアにリードされているようにも見える。一国の王子がダンスで女性に、それも7つも年下の女性にリードされているようでは、話にならない。
周囲の大人たちは「王子様は今年も体調が優れないのかしら」だの、「王子様おつきの礼儀作法の先生は授業しているのだろうか」だのと、失礼極まりない言葉を吐き続けている。
きっと、7年前からこの有様だったのだろう。5歳、6歳といった幼い頃ならまだしも、12歳にもなってまともにダンスができるようになっていないのだ。貴族に陰口を叩かれて当然だ。
いつになったらまともな王子として振る舞ってくれるのだろうか? 俺に嫉妬しては八つ当たりしてくるので、全然王子らしくない。お父様もどうしてあんなことになるまでほっといたのだろうか?
ダンスも終盤になった。はっきり言って、ヘルマン兄様のダンスはボロボロだ。
キョロキョロと周囲を見回し、足を
フレアはそんなヘルマン兄様を落ち着かせようと小さく声をかけているが、全く効果がない。今のヘルマン兄様はパニックに陥っている。足を強く踏むなどして外傷を与えないと振り向いてはくれないだろう。
曲も終わり、最後のポーズとなった。この曲の最後は、体を反らす女性を男性が右腕で抱え、女性の右手に左手を添えるのだ。
これで、ヘルマン兄様も緊張から解放され、一息つけるだろう。
しかし、ここで最大のハプニングが起きてしまった。
ドンッ!
鈍い大きな音が場内に響いた。
フレアが尻もちをついたのだ。
ヘルマン兄様はフレアを支えきれず、フレアを手放してしまったようだ。
こんなことはあってはいけない。
ダンスで相手に怪我をさせてしまった。
それも、相手は公爵令嬢だ。
これ以上の失態はないだろう。
周囲の貴族は「やってしまったわね」だの、「公爵令嬢に対してやってはいけないことだわ」だのと囁いている。
お父様もお婆様も青ざめ、不安と焦りの表情をしている。
今、この会場にいるすべての者がヘルマン兄様を見ている。
その為、ヘルマン兄様はますます焦り、顔から血の気が引いていく。
フレアもしばらくお尻を痛がっていたが、「早く自分が経たないと殿下の居心地が益々悪くなる」と思ってのことか、すぐに立ち上がり、ヘルマン兄様にダンス終わりの一礼を促した。
おそらく、この中でこの状況を一番達観できているのは俺だと思う。
まぁ、30cmも身長に差がありながらも踊ったので、頑張った方だと思う。
けれど、周囲の貴族はヘルマン兄様の悪口を囁いてばかりでいて、この後どう行動したらいいのか全然考えていない。
お父様とお婆様は言うまでもないだろう。
お父様が動き出したのはフレアたちが一礼をしてから10秒以上が経ってのことで、その間に貴族たちの口数はどんどん増え、場内はすでに騒がしくなっていた。
「ヘルマンが抱きとめることができなかったが、幼い子供の社交場なのだ。許して欲しい。そして、フレア。転ばせてしまい、申し訳ない。後ほど改めて謝罪をするが、今はこの言葉だけでも言わせてくれ」
そう言うと、貴族たちは大人しくなった。
けれど、ヘルマン兄様の居心地は悪くなる一方だった。
その後、何事もなかったように舞踏会は進んだ。
最初に第一王子のヘルマン兄様が踊ったのだ。あとはそれ以外の子供たちが何回か踊るだけだ。
まず俺はフレアに声をかけ、ヘルマン兄様はサリーに声をかけた。
「私と踊ってくれませんか?」
「えぇ、喜んで」
定石の問答をし、踊り始めた。
フレアは本当にダンスが上手だ。
それに、身長差が30cmもあるヘルマン兄様と踊った後だ。身長がほとんど変わらない同年代の男と踊ると、フレアの美しさがさらに際立った。
「殿下、ダンスがお上手ですのね」
「それを言うなら、フレアこそだ」
フレアに話しかけられたときはびっくりした。初めての社交場で初めてのダンスだというのに、話しかける余裕があるなんて。
俺は馬車の中からかなり緊張していた。
ヘルマン兄様がダンスしているときは落ち着いていたが、いざ自分が踊らないといけないとなると、やはり緊張するものだ。
変な汗が出ていないことに安堵しつつも、やはり緊張が途切れることはなかった。
そんなこんなでフレアとのダンスも終わった。次はサリーと踊る。
「私と踊ってくれませんか?」
「えぇ、喜んで」
先ほどと同じ問答をし、踊り始めた。
フレアと踊っている間はフレアに集中していたため、サリーのダンスがどのようなものか気になっていた。
踊り始めると、サリーはあまり余裕がない表情をし始めた。
初めてのパーティーで初めてのダンスだ。これがごく普通の態度なのだ。
けれど、サリーは慌てふためくようなことはせず、ダンスに集中していた。まぁ、楽しそうなそぶりを見れなかったのは残念ではあるが。
サリーとのダンスでも失敗することはなく、無事にダンスを終えた。
公爵令嬢2人と踊った後は、近くにいた伯爵令嬢2人と適当に踊った。
2人とも、かなり焦っていた。2人にとって何回目のパーティーなのかは分からないが、見るからに8歳に満たない女の子だったので、これまで踏んできた場数は少ないだろう。まぁ、こういう経験をさせるのもこのパーティーの目的なのだから、8歳に満たないこの時期ならこのような態度をとっても問題はないが。
年下のくせにかなり生意気なことを言ったが、伯爵令嬢2人とのダンスも
ヘルマン兄様も踊っていたが、周りの雰囲気からして大きなミスはしなかったようだ。
けれど、何度か視界に入ったお兄様の様子は落ち着きがなく、キョロキョロと周囲を見渡していたのだ。
ダンスの最中、「ランス殿下の踊りは素晴らしい」だの、「ヘルマン殿下のダンスは
これでは外聞が悪い。
ヘルマン兄様の
お兄様の汚名がいつか拭えることを願った。
舞踏会が終わり、会談の時間になった。
今風に言うなら、フリートークの時間となった。
「ランス、儂ら大人だけで話したいこともあるから行ってきなさい」
そういうわけで、俺は踏み台から降りてホールに向かった。
ホールに降りると、すでにいくつかの内輪ができていた。それも、大人は大人同士で、子供は子供同士で集まっていた。
これだと、このパーティーの意味はありそうだ。親が子供につきっきりで、挙句の果てに親が他家の親に子供を紹介する、お見合いパーティーのようになってしまっては意味が無いからな。子供は子供同士で話に花を咲かせている。貴族の子供は数が少なく、その上会いに行くには領外にでないといけないから、皆とても楽しそうだ。
というわけで、俺は近くに誰かいないかあたりを見渡した。
すると、離れにいたジークと目が合った。ジークは何人かの男子と話していたが、彼らに断りを入れ、俺のところにやって来た。
「初めまして、殿下。ジーク・ド・カナートと申します」
「初めまして、ジーク」
「……」
「……」
ヤバい。会話が続かない。同年代の人と業務連絡以外で話すのって、何十年ぶりだろう。
俺のコミュ力ってこんなにも拙かったのか。何とかしないと……。
「ジークはカナート領の生まれだよね?カナート領には何があるの?」
「カナート領には国境沿いに大河あり、領内の各所からその大河に向かって川が伸びています。そのため、領内は自然であふれ、麦の栽培が盛んにおこなわれています」
まぁ、それくらいのことなら地理の授業で習ったので知っていた。
「また、隣国のメリス教国とは貿易が盛んに行われております。なかでも、魚が取引されており、カナート領に来る者はよく魚を食べます」
へぇ。魚が取引されているのか。
ラノア王国は海に面していないが、メリス教国との国境には大河が、ダリア共和国との国境にはアラ湖があるので淡水魚を食することはできるのだが、海に生息する魚はなかなか食べることができない。
俺も、転生してから今日まで魚を食べる機会はかなり少なかった。肉が10回出されるのに対し、魚は1回程しか出されなかったのだ。それも、淡水魚だったので、小さい魚だった。
まぁ、子供の俺が食べる魚なので、小さくても十分腹は膨れるのだが、数年後には不満に感じてしまうだろう。海水魚をどのようにして確保するのかは今からでも考えておく必要がありそうだ。
すると、今度はハイドがやってきた。
「初めまして、殿下。ハイド・ド・アウルムと申します」
「初めまして、ハイド。今、ジークにカナート領の見どころを聞いていたんだけど、アウルム領には何かある?」
「はい。アウルム領は森の恵みに富んでいます。エルフの森が隣接していますので、彼らの森の恩恵を浴しております」
へぇ。そんなことがあるんだ。
「ハイドはエルフに会ったことあるの?」
「いえ、そのような機会はございません。なんでも、エルフは排他的な民族ですので、エルフの森に立ち入る事さえも憚られてしまいます」
「そうなのか。エルフが排他的な民族っていうのは本当なんだ。それより、森の恵みに富んでいるって言ったけど、どんなものがあるの?」
「野菜や果物、木の実の栽培が主な産業になっています。とくに、領内でとれるナッシュの実は甘味が強く、国内ではとても有名です」
ナッシュの実か。ナッツに似ていたりするのかな?
そんなことを考えていると、今度はフレアとサリーがやって来た。
「初めまして、殿下。フレア・ド・カナートと申します」
「初めまして、殿下。サリー・ド・アウルムと申します」
「初めまして、2人とも」
すると、気を利かせてのことか、ジークとハイドがこの場を退こうとした。
「それでは、殿下。私はこれで失礼させていただきます」
「私も、これにて失礼させていただきます」
うん。なんとなくわかった気がする。
2人は俺と婚姻を結ぶ駒としてこの場に来たようだ。きっと、2人の親である公爵の差し金だろう。
はぁ。王族だとこんなことがあるのか。これからの人生、こういうことがずっと続くのか。
顔には出さないが、これからの人生でつきまとう心労を思うと気落ちしてしまった。
「殿下。ダンスがとてもお上手でした。いつから練習されていたのですか?」
「3歳の時から練習していたよ」
「3歳の時にダンスを習い始めたのですか?それで、殿下のダンスがあれほどまで上手だったのですね」
「私がダンスを習い始めたのは数ヶ月前だというのに、殿下は礼儀作法の勉強に熱心に取り組んでいらっしゃるのですね」
いや、フレア。今、聞き捨てならないことを聞いてしまったよ。
ダンスを習い始めたのは数か月前だって? こんな短期間であれほどまでの完成度に仕上げるなんて、どれだけ素質があるの?
「いや、フレアこそ数ヶ月であれほどまでの完成度に仕上げるって、さすがだよ」
「そんなことはありません。私のダンスもまだ改善の余地があるので、今後もダンスに磨きをかけていきたいと思います」
何だか、堅苦しい会話が続いていて疲れるなぁ。俺にフレンドリーに接してくれる友達はできるのだろうか。
* * *
フレアとサリーとはあの後も他愛ない話をした。他人行儀な会話だったので、全然面白みがなかった。
それに、彼女たちと婚姻させられたとして、こんな関係が続くようでは生きづらいし、まして彼女たちの本性が〝国民より自分の利益を優先して当然〟などといった典型的な悪役令嬢のようなものだったら結婚相手として恥ずかしい限りだ。
そういった不安を抱えながら2人と会話をしていると、お父様とカナート公爵、アウルム公爵、ジーク、ハイドがやってきた。
「ランス、はじめてのパーティーはどうかね?」
「はい。楽しんでおります」
「それはよかった。同年代の知り合いを作るいい機会だから、楽しんでくれて何よりだ」
公衆の面前なのでこういった他人行儀な会話をしたのだ。
その後、お父様と一緒に正面の踏み台に行き、お開きを宣言し、退場することになった。
すると、お母様がすぐに踏み台に赴き、お婆様とヘルマン兄様の合流を待った。
退場の際も入場の時と同じように、お父様が先頭を歩き、その両側にお婆様とヘルマン兄様が、3人の後方に俺とお母様が付いていく形で退場する予定だ。
しかし、ここで問題が生じた。
お婆様とヘルマン兄様がいないのだ。
お父様が近くにいた騎士に声をかけた。
「エルマとヘルマンはどうした?」
「それが……」
騎士は発言を
「早よ申すのだ」
「はい。王妃様と殿下は先に城へとお帰りになられました」
騎士が言葉を詰まらせながら答えた。
はぁ?
帰った?
お父様がお開きを宣言する前に?
非常識にもほどがある。せめて、ホールの端っこで大人しくしとけばいいものを。
自らの首を絞めてしまったヘルマン兄様にもはや同情できなかった。ダンスの時は身長差により踊りずらく失態を犯してしまったので少しばかり憐れんだが、先に帰るとは……。言葉にならない。
「そうか。それならしょうがない。ナナリー、ランス。儂の側を歩くように」
お父様は悩ましい顔をすると同時に、踏ん切りがついたような顔をしてそのように言った。
何を決心したのかは疑問だが、何も聞かなかった。
その後、お父様の半歩後ろに立ち、3人で退場した。
退場する俺たちを見て周囲の貴族はやはり慌てていた。うん。俺だって慌てているのだ。彼らが慌てるのも無理はない。
お婆様とヘルマン兄様が1台の馬車を使って帰って行ったので、お父様とお母様と3人で馬車に乗った。
「ランス。今日は友達出来たかね?」
「カナート家とアウルム家の方々としかお話ができず、それに他人行儀な会話だったので今日一日だけでは親しくなれませんでした」
「そうか。カナート公爵とアウルム公爵は儂の古い友人でね。子供のころから仲良くしてもらってきたよ。2人とも信頼できるから、これから仲良くするといい」
どうやら、カナート家とアウルム家の人格はお父様お墨付きのようだ。今度会ったときは腹を割って話せるといいな。
「そうですか。ジークやハイドが王都に来る機会があれば城に招待してみたいと思います」
「そうするといい。カナート公爵とアウルム公爵を城に呼ぶときは子供たちも来るよう言っておこう」
すると、一呼吸置いてお父様が話し始めた。
「それにしても、カナート公爵の長女は傑物だったな」
「そうですはね。ヘルマンがとんでもない失態を犯したというのに、すぐに状況を理解してダンスを終わらせるなんて、素晴らしかったですね」
2人のお眼鏡にも適ったようだ。
お父様とお母様も慌てふためいていたのだから、フレアに感嘆するのは当然だろう。
「ランスの相手にはいいだろうな」
「そうですはね。
うん。2人とも俺の婚約相手を会ったその日に決めたようだ。まったく、この世界の貴族は子供を政治の道具としか思っていないんだから。
「お父様とお母様はいつ婚約されたのですか?」
「儂らは15のときに婚約したな。本当ならもっと早くにするはずだったのだが、エルマとの婚約があるとかないとかであの時の城内はかなり忙しかったよ」
そんなことがあったのか。
「儂は5歳の時に開かれたこのパーティーでナナリーに一目惚れしてな。その時からずっとナナリー一筋だったのだ。けれど、父上がエルマと婚約するかもしれないということで、ナナリーへの正式な婚約の申し込みが何年も先伸ばされたのさ」
「どうして、お婆様との婚約にそれほどの時間がかかったのですか?」
「ランスには言っていなかったっけ? エルマはダリア共和国最高指導者の次女なのだ。それ故、婚約まで年単位の時間がかかったのだ」
はぁ?
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