SIDE 父母とマリア

 《マリア視点》


 ランス様が生まれてから1年が経った。


 私はおよそ十年前からお城でメイドとして働いている。


 祖父が貴族で、父の兄上が家督を継ぐことになったため、父は平民に降格し、母と妹と4人で幸せに暮らしていた。


 父が貴族であったこともあり、私も妹も礼儀作法や教養を学んでいた。


 そのため、私はお城でのメイド採用試験は1度で合格し、働くことができた。


 それから数年間は裏方の仕事が主だった。食器洗いや洗濯、ベッドメイキングなど、王族の給仕の仕事に携わったことは一度もなかった。


 けれど、8年前、大きな仕事を任された。


 エルマ様が妊娠し、そのお子様の専属メイドチームの一員になることになった。


 はじめての王族の給仕ということで、とてもうれしかった。そして、生まれてくるお子様に誠心誠意尽くそうと思った。


 そして、生まれてきたお子様はヘルマンと名付けられ、国中が歓喜に満ち溢れた。


 しかし、生まれてくるお子様への忠誠心は徐々に失せた。


 生後1,2年まではとても可愛らしい子供で、ライオノール様もエルマ様も可愛がって育てられました。


 けれど、3歳の頃になると、言葉を話すことができるようになり、その頃からとても傲慢な3歳児になってしまいました。


 気に入らないメイドは専属メイドチームから外し、出される食事に文句をつけては、作った料理人に罵詈雑言を浴びせた。王族に仕えるメイドは城で雇っているメイドの中でも選ばれた者たちであり、王族の料理を作る人たちもまた城内でも選りすぐりの者たちなのにも関わらずだ。


 それに加え、4歳からヘルマン様への教育が始まったが、ヘルマン様の集中力が全くなかったのだ。


 ヘルマン様の専属講師が文字を教えるために椅子に座らせようとしてもヘルマン様は私室を出ていき、城内を逃げ回った。


 専属講師を雇うことにも税金が支払われているというのに、それを受けないで逃げ回るとは、王族としての資質がまったくありませんでした。ヘルマン様には”国のために懸命に働く”という王族として持つべき精神が欠けていたのです。


 メイド、料理人、講師に感謝もせず、罵倒を浴びせ、逃げ回る様を見て、次代の王に相応しいか疑問に思いました。


 共に働いていたメイドや料理人も同じようなことを話していた。


 休憩時間には、「今日のヘルマン様はいつも以上に機嫌が悪い」だの、「今日は新鮮な肉を仕入れたので腕を振るったのだが、『美味しくない』と言われた」だの、ヘルマン様への悪口だけが休憩室を飛び交っていた。


 しかし、私はそれでもヘルマン様を信じた。3~4歳児特有の反抗期だと信じ、いつか傲慢な態度が改まる日を待ち望んだ。


 それから3年が過ぎたが、ヘルマン様の態度は一向に変わらなかった。6歳になってもこの態度をとり続けるようでは、今後もこの性格なのだろうと諦めました。陛下のお子様はヘルマン様ただお一人なので、陛下が退位された後、この国は破滅の一途をたどるだろうと覚悟しました。


 そんな中、朗報が城内を巡りました。


 ナナリー様の妊娠。


 この知らせに、城内の使用人は歓喜しました。もし、男の子が生まれてきたら、この国に希望があると。


 ナナリー様の妊娠の際、私はヘルマン様の専属メイドを務めていたことと、ナナリー様の2か月前に出産予定だったことからその実力が見込まれ、生まれてくるお子様の専属メイド長に決まりました。


 お城の近くにはお城の使用人たちのための育児施設があるため、二つ返事で専属メイド長の任を拝命した。


 ヘルマン様の専属メイドに決まった時と同様に、私はまたも「ランス様に誠心誠意仕えよう」と思いました。


 それと同時に、生まれてくるお子様がヘルマン様と同じように傲慢で癇癪持ちだったらどうしようかと不安に襲われました。


 ナナリー様の出産は無事に終わり、男の子が生まれてきました。


 名前はランス。


 ヘルマン様が生まれた後、陛下はナナリー様とのお子を望み、これまでずっと頑張ってこられたので、出産に立ち会った私もその場で涙してしまいました。


 城内の使用人は「この国にまだ希望はある」だの、「ランス様の教育は成功させてみせる」だのと、エルマ様とヘルマン様に大変失礼なことを話していたが、その会話を止めるものは誰もいなかった。


 ランス様に仕え始め、ヘルマン様の時と同様に、子育ての大変さを覚悟した。


 子供が泣く際は、下着が汚れていないか確認し、お腹が空いていないのか確認をするがそのどちらでもないときがある。子育ての大変さの1つはここにある。子供が何に対して不満を感じているのかわからなく、心身ともに疲れてしまうものだ。


 特に、ヘルマン様の子育ては大変だった。下着が汚れていないのに、また空腹でもないのに泣くことが一日に何十回もあった。それも、そのうちの数回はなかなか泣き止んでくれず、泣き止むまで数十分かかったこともあった。


 しかし、ランス様にそのようなことはなかった。


 ランス様が泣くときはきまって、下着が汚れているときと空腹のときだった。それ以外で泣かれることは全くない。手間が全くかからないので、驚いた。


 このことを同僚に話すと、「いいな~。私の子育てもそれくらい手間が省けていたらよかった」だの、「ランス様は我慢強い」だのと、ランス様に対して良い評価ばかりが返ってくる。


 これで未来の王国は安泰だと安心したかった。けれど、ヘルマン様は3歳の時に傲慢になり、王族に相応しくない人に成長してしまったので、ランス様も同じ道を歩んでしまわないか不安だった。


 ランス様に仕え始めてから1年と少しが経つ頃、私はランス様の部屋に本を1冊持ち込んだ。夜、ナナリー様がランス様の部屋に寝かしつけるために来るときに本でもあればいいかと思って持ち込んだのだ。


 すると、ランス様は両手を私の方に向けてきた。もとい、私が持っている本に向けてきたのだ。


「この本を読みたいのですか?」

「うん」


 ランス様が本に興味を持たれたのだ。もしかしたら、聡明な大人に育つかもしれない。


 そう思ったとき、私は顔をほころばせずにはいられなかった。


 この国の未来に日が差し込んだのだ。嬉しくないはずが無い。


 そういうわけで、本の読み聞かせを始めた。


 ランス様が椅子に座り、私もその向かいに座った。


 読むのは勇者が魔王と戦うお話。この国で育つ誰もが子供のときに聞くお話だ。


 「昔々、~~」と読み始めた。ランス様が本に興味を持たれたということでとても気分が良く、顔を綻ばせながら本を読み進めた。


 しかし、本を2ページほど読み進めて、ランス様から何も反応が無いのだ。


 普通、「マンウルフってなに?」だのと子供が興味を持ち、語り手に話しかけてくるのだが、ランス様からの反応が全くないのだ。


 心配になり、ランス様の方を見ると、とても不満そうな表情を浮かべていた。


 もしかして、本に対する興味はもう無くなったのかな? 子供の興味は気まぐれなことが多いからそうかもしれない。そう思うと、不安になった。


 けれど、ランス様の表情から見るに、私に対して何かを求めているようだった。もしかして、本を読みたいのかな?


「ランス様は文字を読みたいのですか?」

「うん!」


 それを聞いた瞬間、私はこれまでに感じたことの無いほどの喜びを感じた。


 ヘルマン様は4歳の時に文字の勉強を始めてもなかなか学んでくれなかったが、ランス様はまだ1歳だというのに文字に興味を持たれたのだ。これ程聡明な子供が生まれてきたと思うと、私は嬉し涙を流さずにはいられなかった。


 私が泣き、ランス様の興味を削いでしまってはいけないのですぐに涙を拭い、ランス様を膝の上に乗せた。


 指で追いながら本を読み進めていると、ランス様は時折私の語りを止めて質問をしてきた。その質問一つ一つに丁寧に答えるとランス様はすぐに納得してくれた。


 本を読み終え、ランス様に「面白かったですか?」と尋ねた。


「うん! ありがとう」


 ヘルマン様に仕えているときに聞きたくても聞くことがなかった言葉だ。


 ――ありがとう。


 その言葉を聞いて、私はまたも涙が溢れてきたが、何とかこらえることができた。


「実は、この話実話なのですよ。今から百年以上前、魔王が現れ、大陸の西側で領土をどんどん広げ、罪のない人々が沢山殺されてしまったのです。しかし、そこで勇者が現れ、魔王を退かせたのです」

「ん? 魔王は生きているの?」

「今も生きているかはわかりませんが、魔王を大陸の端に追い詰めたのです」


 本を閉じ、左側にある机に本を置こうとした。


 しかし、机が思いの外遠くにあり、腰を上げてしまった。


 すると、ランス様は前方に滑り落ち、頭から床にぶつかってしまった。


 大きな鈍い音が部屋に響いた。


「ランス様!」


 これでもかというくらい大きな声を出した。


 それを聞いた外に控えているメイドが扉をなりふり構わず開け、私とランス様の状況を見ると、皆パニックに陥った。


 結局、外に控えていたメイドの数人が魔法師を呼んできてくださり、大事には至らなかった。


 ランス様が文字に興味を持たれたということで気が浮ついてしまった。同じ失敗をしないよう気を付けようと自らを律することにした。



 * * *



 それから数日後の夜。私は陛下とナナリー様に寝室に来るよう言われた。


 ドアをノックし、「マリアです」と話すと「入ってくれ」と返事が来た。


 「失礼します」と告げ、部屋に入ると、陛下とナナリー様がソファーに並んで座って、紅茶を嗜んでいた。陛下とナナリー様はどちらも美形で、とても画になっている。2人の後ろのガラスからは月明かりが差し込み、言葉では形容できないほどの美しい景色がそこにはあった。


「来てくれてありがとう。ランスの成長を聞きたくて呼んだんだ」


 どうやら、ランス様のことを気にかけているようだ。ヘルマン様の子育ての失敗を繰り返したくはないらしく、2人とも慎重な様子が伺えた。


「はい。ランス様は本と文字にご興味を持たれています。先日、ランス様の部屋に本を持ち込むと読み聞かせるようお願いされました。また、本日の出来事ですが、ランス様から文字を教えてくれるようお願いされました」

「本当か! ランスが本に興味を持っているとは、我々の子は聡明な大人に育つかもしれないな!」

「えぇ、積年の思いがようやく叶って生まれてきた子供が本に興味を持つなんて、なんて素晴らしいのでしょう!」


 そのように陛下とナナリー様は話し、微笑みあった。


 はぁ。なんて美しいお二方なのでしょう。


 私がここにいるのは場違いのように思え、すぐにでもこの場を去りたい気持ちと、少しでも長くお二方を見ていたいという気持ちが葛藤してしまい、私の心は荒れ狂ってしまう。


 その後もランス様がどのような生活をされているのか詳しい話を尋ねられ、お二方のご尊顔をおがみ続けたのだった。

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