第12話 冒険者たち(12)

 ハーミアはイセリアに連れられて、再び海中を移動していた。

 “おばさま”は、海中深くにある古代遺跡に住んでいるという。

 『古代遺跡』という言葉にレシーリアが過敏な反応を示したが、どう考えても探索する余裕がないため、口惜しそうにしながらあきらめていた。

 移動手段は、イセリアが契約する水の精霊オケアニデスの力を借りることになった。

 方法としては、サイの時と同じである。

 サイ曰く、オケアニデスはサイの契約するネレイデスよりも上位の精霊らしい。

 純粋な精霊魔法使いにして、自身もまた水の中で生きるマーメイドだからこそ、あれほどの高位な精霊を使役できるのだろう……と、少し羨ましそうに語っていた。

 イセリアによると、水中で呼吸ができる“空気の泡”での移動だけなら、相当長い時間でも使用でき、レーナへの帰還でもオケアニデスの力を多く借りることになるそうだ。


 マーメイドは水の申し子らしく、召喚中も特に行動の制限がない。

 普通は精霊の制御に集中をしなければいけないのだが、イセリアは制御しながらでも会話ができていた。

「うふふ~、これで人間になれるんですね」

 イセリアは歌うようにして、嬉しそうに笑う。

「……どうして、人間になりたいのですか?」

 思わずハーミアは、質問をしてしまった。

 聞かずには、いられなかったのだ。

「だって私、人間の男の人を好きになってしまったんですもの。人間になるしかないじゃないですか?」

 何を当然なことを……と、イセリアは不思議そうに答える。

 イセリアは、2年前に見かけた人間の男性に一目惚れをし、人間になることへの憧れを抱いていた。

 そして、いつの間にか海底の遺跡に住み着いていた“おばさま”に、そのことを話したら、ある交換条件で人間にしてくれると約束してくれたと言うのだ。


「そのことも、そうなんですが……そんな簡単に、人間になんてなれないと思うのですが?」

 イセリアの話を聞いた時、誰もが騙されているのではと思っていた。

 ただでさえ、簡単にその純粋さが窺い知れるイセリアである。

 普段から精霊語で会話をし、心の中をすべて見せて生きている種族だからこそ、疑うという概念自体を持ち合わせていないのだろう。

 ましてや彼女は、まだ若い。

「なれますよ。おばさまは、プラティーンとかいう神様の信者さんですから。おばさまの夢が叶うために、私が人間になる必要性さえあれば、神様も力を貸してくれるとかで……」


 ……たしかに……教義に反してはいない。

 プラティーン様ならば、それは可能だろう。


「だってあなたも、おばさまと同じなんでしょ?」

 その言葉に、一瞬だけ返事を詰まらせる。

 私がプラティーンの神官であると、知っていたのだろう。

「それはあなたの言う、おばさまの……プラティーン様の啓示で知ったのですか?」

「そうですよ。代表者としてやって来るのは、同じプラティーンを信仰している女の人だって言ってました」

「そう……どうやら本当に、プラティーン様の信仰者なんですね」

 それも、間違いなく司祭クラスの力を持っている。

 自分ではまだ、プラティーン様の啓示すらまともに見れていないというのに。

 それほど多くの、明確な啓示が得られるとは少し恐ろしくもある。

 それは、プラティーン信仰特有の問題でもある。

 同じ神様を信仰しているにもかかわらず、信仰者の考え方が違うと敵対しかねない。

 危険な相手になる可能性があるというものだった。

「あと……あなたも私と同じで、人間になって幸せになりたいんですよね?」

 満面の笑みを浮かべるイセリアに、ハーミアは少し驚いたが、やがて何かあきらめたかの表情で力なく頷いてみせた。


 そう……それがハーミアの旅の目的に違いなかった。


 その途方もない……実現できるかどうかもわからない願いを、目の前の人魚は叶えようとしている。

 それもプラティーン様の力を借りて。

 だからこそハーミアは、そのおばさまと話をしてみたかった。



 殆どの時間を真っ暗な闇の中で移動していたため、どれくらい移動したのかさっぱり見当もつかない。

 それでも20分ほどすると、海底から薄い明かりが見え始めていた。

 遠目で見ても、それが建物だとわかる。

 やがて白い石の建造物が立ち並ぶ都市の全景が、うっすらと浮かび上がってきた。

 建物の材質が魔法的な作用を起こしてるのか、都市全体が発光しているようだ。

 さらに、都市自体が大きな空気の幕で覆われている。

 この古代文明の遺跡は、もともと地上にあったものが沈んだのではなく、最初から海中で存続するために作られたのかもしれない。

 そして遺跡の美しさから見ても、まだ誰の手もついていない。

 冒険者なら、気持ちの高ぶりを抑えることなど出来ない代物だろう。

 ハーミアは冒険者としての心得など持ち合わせていなかったが、ここに自分の夢をかなえるための何かがあってもおかしくはない……そう期待させるほどのものはあった。

 イセリアは都市の入り口と思われる場所まで来ると、空気の幕の中に入り精霊を送還する。


「私はここで休んでます。おばさまはこの通りを真っすぐ行って、2つめの十字路を右にいった先の建物に住んでます。この辺は他の生き物とかいませんので、安心してくださいね」

 疲労感をそれほど見せずに、イセリアは笑顔で見送ってきた。

 もともとこの古代遺跡は、イセリア達の部族しか知らないらしく、これを地上で公表すれば世紀の発見として、さぞや世を賑わすことになるだろう。

 もちろんレシーリアが“いつか必ず来る”ために、箝口令を敷いたのは言うまでもない。

 イセリアの言う通りに歩き、2つめの十字路で右に曲がる。

 しばらく歩くと、明らかに人が住んでいる気配のする建物が現れた。

 なんて言っていいのかわからずに、とりあえず小さくノックを2回してみる。


「……すみません」

 しかし返事はない。

 もう一度ノックをしようとしたところで、扉が開かれた。

 中から現れたのは灰色のローブを身にまとった、20代後半から30代前半の女性だった。

 イセリアが言っていた、“おばさま”で間違いないだろう。

 ひと目で月魔法使いだとわかる風体だ。

 真っ黒な髪の毛は海のように波打っていて、腰までかかる長さまで伸びている。

 何よりも特徴的なのはその瞳の色だ。


 彼女の右目は赤く、左目は蒼かった。


 彼女は何も語らずに奥にあるテーブルまで行き、椅子に座る。

 テーブルには15センチほどの大きさの水晶球が、高価そうな厚手の布の上に乗せられていた。

 無意識にその水晶球を注視していると、彼女は黙って水晶球に手を当てた。


“ようやく来たわね…プラティーン様の信徒”


 水晶玉に共通語の文字が浮かび上がっり、塵のように消える。

 はっとして、彼女の目を見つめる。

「声が……?」


“そう、声が出ないのよ。私はザナ。質問は手短にお願い”


「……どうして……いつからここに?」

 その質問にザナは、あまりいい顔をしない。


“あまり長話をするつもりはないわ。あなたが本当に知りたいのはそんなこと?”


「私……私はハーミア・スティロワといいます。あの……イセリアは本当に人間になれるんですか?」


“なれるわ。プラティーン様の力でね”


「どうして……どうなったら、人間になんてなれるんですか?」


“色々な要因が、あるにはあるんだけど。私がプラティーン様に願っているのは声を取り戻すこと。そしてイセリアは、人間になる代償として声を失う”


 まだ少し話が呑み込めず、首をかしげる。


“プラティーン様の啓示に従った結果よ。イセリアが人間になるために必要な薬は、もうあるわ。彼女が赤の満月の夜にこれを飲めば、人間になれるし、私は声を得られる。でも彼女はまずレーナに行かなくてはならないし、彼女が薬を飲むのはきっとその後よ。だから、あなた達がちゃんとレーナまで案内するのよ”


「その薬は、どうやって手に入れたのですか?」


“それも、プラティーン様のお導きによって手に入れた物。残念ながら、あなたに効果はないわ”


 私のことをどこまで知っているのか、恐ろしくも感じる。

「ザナさん。あなたは、私たちの何を……どこまで見たのですか?」


“私が、声を取り戻すために必要な情報は全てよ。何度も言うようだけど、イセリアはレーナに行って意中の男を見つけ、人間になって会わなければならない。でも1人でレーナまで行くことも、意中の男を見つけることもできない。あなた達がイセリアを、レーナまで連れていき意中の男を探すのよ”


「そして……イセリアは人間になり、あなたは声を取り戻す。声を失うことについて、イセリアは知っているのですか?」


“当然よ”


 イセリアが納得しているのならあえて言うことはない……けど……

「私達があなたの歯車として、踊らされるメリットがありません」


“ここから生きて還すだけでも、あなた達にはメリットになるのだけどね。それだけでは、あなたも納得いかないでしょう。プラティーン様の神官ハーミア。あなたが、仲間をうまく説得できるのなら、今あなたの知りえない、あなたの知りたい情報を、私の願いをかなえるための代価として、プラティーン様にお伺いを立ててもいいのよ?”


 悪魔のささやきのようだった。

 確かにあの仲間たちなら、生きて帰れるってだけでも納得してくれるだろうし、多少ザナの情報をぼかしたところで、さほど大きな問題もないように思える。

 しかし、ザナに対する不信感はまったく拭えてなかった。


“残念ながら、あなたの願いのひとつである、人間になることについてはわからないけどね。まだプラティーン様に願いを届けていない内容なら、私のほうから啓示をもらえるかもしれないわ”


 プラティーン様の神官として、もはや隠し立てなどできないほどの力の差だ。

 それならば、とダメ元で疑問を……知りたいことをぶつけてみる。


「……では……船で一緒だった、リア・ランファーストは……生きていますか?」

 ザナが両目を閉じる。

 祈りの言葉はもちろん出せないが、信託は心の中で行われるのだから問題ないのだろう。

 そう言えば声が出ないということは、月魔法はおろか、神聖魔法も使えないということになる。

 その状態で、どうやってここまで来たのか、さらに疑問が深まる。

 しばらくしてザナがその両目を開く。

 少し考える素振りを見せ、やがてゆっくりと水晶球に手をかざした。


“まず、あなたの言う男の名前。それは、偽名ね”


 ……え? っと思わず聞き返す。


“生きてるわ。そう、彼があのリア・ランファーストだったのね”


「どういうことですか?」


“イセリアの仲間が、座礁した船から1人だけ変わった奴を助けて、ここに連れてきたのよ。彼についてプラティーン様に啓示を得たんだけど……私は本名の方を知らされていたのね”


「助けて? ここにいるのですか?」


“えぇ、今はまだ昏睡状態よ。私の声がもどれば、彼を神聖魔法で助けられるし、転移の魔法でレーナまで連れていけるわ。なるほど、彼を助けることが、あなたへの報酬となるのね”


「やはりそれが、私のメリットになると思えませんが。そもそも偽名って……」


“やっぱり、知らないのね。彼の本名は、リード・フィックス。ここに運ばれてきた時は、銀色の毛並みをした人狼の姿をしていたわ。そう……彼はシェイプチェンジャーよ。あなたと同じ……ね”

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