第7話 冒険者たち(7)
2日目の昼過ぎ、レシーリアたちは2度目の護衛を始めていた。
あいも変わらず、海は時折小さいうねりを見せるだけで、見渡す限り変わり映えのしない景色だった。
それでも夜中よりはマシだろうと、レシーリアは自分を納得させる。
数回とはいえ冒険の経験があるハーミアやサイはともかく、これが初めての冒険となるルーの疲労は相当なもので、昼食もろくにとれずに寝室に向かっていた。
3交代制にしようかとも考えたが、リアとの話し合いで、もう1日様子を見ようという結論に達した。
カーリャはすっかり元気になっており、船首で船が海を掻き分ける様子をいまだ飽きずに見入っている。
ユーンは船尾に陣取り皮のコートで日陰を作って海を眺めていた。土の精霊使いにとって、海の上は心細い限りだろう。時折、触媒であろう綺麗な鉱石のようなものを取り出して精霊語で話しかけていた。
精霊語は知識のない者が聞いても、ただの雑音にしか聞こえないのだが、以前組んでいたパーティにも精霊使いがいたので、レシーリアにはなんとなくそれが精霊語なんだろうと理解できた。
しかし、どうしたものか……
リアの話によると、すでに謎の海難事故が起きている海域に差し掛かっているそうだ。
事が起こるとしたら、今から明日の昼にかけてのどこかだろうと予測していた。
場合によっては、自分と新米冒険者だけで行動しなくてはいけない。
「あーー、もう!」
面倒に巻き込まれたことに少し苛立ちを覚え、とりあえず手頃な樽にけりを入れる。
中身が空っぽだった木の樽は、ガツンっと大げさな音を立てて転がり、思わずユーンが畏怖の目をレシーリアに向けてきた。
レシーリアは引きつった笑顔でユーンに軽く頭を下げ、そそくさと船の右側の通路に逃げ込んだ。
あぁ……あの臆病な精霊使いに、絶対怖い女だと思われたぞ。
こんな目にあったのも全部リアのせいだ。
「だいたい、こんな物まで渡してきて……本気で私に託すつもりなのかしら」
肩からだらしなく提げているカバンに視線を落とすと、中から何枚かの羊皮紙が飛び出ていた。
それはリアから渡された、他の護衛士たちの情報だ。
自分はリーダーなんぞになる気は更々ないが、これから彼らとともに行動するようなことがあるのなら、この情報は確かに有用だった。
「あ……」
視線の先でハーミアがいた。
食事の後、風にでもあたり落ち着いたら眠るつもりだったのだろう。
そう、彼女が神官であることもここに書かれていた。
隠している理由もだ。
ただ、それ以上の情報は記されていなかった。
他のメンバーもそうだが、リアなりの配慮で、要らぬ過去の経歴や事件は省いているのだろう。
「や、ハーミア。疲れたでしょ?」
陽気に声をかけてみる。
「えぇ……少し。すぐに休みます」
相変わらず必要以上の会話をしない。
冷たい雰囲気で、人を遠ざけようとしている。
「そうしたほうがいいわ。まだ船旅は続くんだしね……あ、そうだ、ひとついいかしら?」
レシーリアは、さも今思いついたかのように質問を投げかける。
「あなたから見て、みなはどんな印象かしら?」
カーリャの時と目的は同じである。
常に人との距離をとり、誰に対しても冷たい彼女の目にはどう映っているのか、とても興味があった。
……そもそも、答えてくれるのかどうかも解らないけど……
答えてくれても、カーリャのように心のうちを見せてくれると思えない。
「みな……というほど、お話をしていません」
……まぁ、そうでしょうね。
「でも、リアさんとは少し……」
思わず、お?……と、乗り出しそうになる
「彼はどんな?」
「どんな……最初は、信用していいのか判断が難しい方でしたが、今は少しは信用しています。たぶん、あの人は過酷な経験をいくつも乗り越えているから……とても強い。強いから、だから優しい……そう思えます」
ハーミア自身も辛い過去を持っているつもりだが、リアのように前向きになるにはまだ時間がかかりそうだった。
「そう……うん、そうね。私もそれは同感よ。でも、秘密を持ちすぎね。隠すのも下手なくせに」
苦笑するレシーリアに、ハーミアが目を見開いて何度も首を縦に振る。
「そう、そうなんです! やっぱり下手ですよね?」
よほど同調できて嬉しかったのだろうか、ハーミアのその様子に思わず吹き出してしまう。
もしかしたら、本来の彼女の素顔は、こっちなのかもしれない。
「えぇ、ほんと。たぶん、不器用なんでしょ。あなたみたいに……」
悪戯っぽい笑みを見せると、ハーミアは少し頬を赤らめて「もう、休みます」と告げ、足早に船内へ向かって行った。
……かの神を信仰する神官だから、注意が必要だと思っていたけど、どうやらそれも杞憂に終わりそうだ。
リアの言う通り、このメンバーには、とりあえず悪い人はいないと思えた。
そしてそのリアが気にかける彼女。
「……酒の肴。ちょっと、楽しみになってきたわよ、リア」
レシーリアはつぶやいて、彼女の背中を見送った。
事件が起きたのは、その夜のことだった。
2日目の夜。
夕食を終えたレシーリアたちは、再び船外で見回りを行っていた。
さすがに夜の海も二度目なので、少しだけ慣れ始めていた。
今日は赤い月明りで、幾分まわりが見えている。
とはいえ海は恐ろしくなるほどに何処までも黒いうねりを見せていて、油断をしていると一瞬でその奥底まで飲み込まれてしまうような感覚に陥っていた。
陸での護衛とは違う、独特の「何もなさ」が、退屈を超えて苦痛でしかなかった。
こうなるとむしろ何か起こればいいのにと不謹慎なことを考えていた時だった。
「レシーリア。あの辺、なんか変じゃないかな?」
逆側を見ていたカーリャが、レシーリアを呼んだ。
レシーリアも、変の意味が分からずにカーリャの見ている方向を見る。
見れば何やら、赤い靄というか、霧というか……そういったものが、漂っていた。
「……霧? じゃなわいわね」
それなりに冒険をこなしているレシーリアの知識の中にも、該当するようなものはなかった。
「でしょ? なんか、だんだん広がってるし。なんていうか、生きてるみたいに動いて見える」
生きている……という言葉に、思わずゾッとする。
ミストに分類される霧状のモンスターは多種にわたり存在しているが、あの大きさは尋常じゃない。
加えて言うなら、ミスト系は魔法の武器や、魔法そのものでなければ攻撃が通じない厄介な相手だ。
広がって見えているのは、船か霧のどちらかが近づいていると考えるほうが自然だが、それでもじわりじわりと視界の中でその大きさが広がっていく様は不気味としか言いようがない。
「ユーン! ちょっとおいで!」
こうなると、精霊使いの目でも確認してもらったほうが早いと判断しユーンを呼ぶ。
ユーンは揺れる船上を頼りなさげな足取りで近づき、カーリャの袖口を掴むようにしてなんとか静止した。
「どう? 精霊使いの目でなにか見える?」
ユーンはやはり黙ったまま、目を細めるようにして赤い霧を見つめる。
「……不自然です。精霊が、ほとんど存在してません。あの霧は生きていないです」
そこまで言って、ユーンは言葉を失ってしまったようだ。
ユーンが発した、“生きていない”という言葉の意味は、あそこには精霊がいないということだ。
神羅万象、生きとし生ける者すべてに精霊は宿る。
自然に発生する霧にも精霊は宿るし、むろんミスト系の魔物にも何らかの精霊は感知できる。
「つまり、ただ事じゃない存在ってわけね。カーリャは船員にこのことを伝えて。ユーンはみんなを呼んできて」
レシーリアはそう言って、黙ってうなずく2人を確認すると、赤い霧を睨むように凝視する。
赤い霧は、今もじわりじわりと広がっていた。
アレは赤い月の周期に関係するのだろうか。
もしそうなら、9日後の満月には何かが変わるのだろうか。
そもそもリアが言う「海難事故の原因」が、あの巨大な霧の化け物だとしたらお手上げではないのか。
やがて、慌ただしい足音が重なり合って聞こえてきた。
最初に出てきたのは船員で、リアの指示なのか全員武装をし、船の制御をし始めていた。
ほどなく、ほかの冒険者たちも全員そろったようだ。
その中でもリアは緊張した面持ちで、赤い霧を見つめている。
昼間見せていた、のほほんとした表情からのギャップが事態の悪さを物語っていた。
「……どう? お目当てのものかしら?」
ややあって、リアがゆっくりとうなずいた。
「じゃあ、指示を頂戴。すべてを説明する時間はなさそうだしね」
いよいよ覚悟を決めたレシーリアに、リアもまた覚悟を固めたようだ。
「……あぁ、そうだな。細かい説明は、ある程度レシーリアにしてあるから、みなはあとで聞いてくれ。これからみなには、ラウンジで脱出に備えて荷物をまとめてもらう」
一行はただならぬ空気を読み取ってか、一様に黙っていたが、驚きは隠せないようだった。
護衛なのだから戦うのだろうと思っていたのに、いきなり脱出の準備と言われれば当然だろう。
「指示はしばらくレシーリアがしてくれ。船は近くの無人島に向けて動かす。最悪、外は全滅するから、座礁したら海に飛び込んで島に向かえ」
全滅という言葉にさすがにざわつくが、レシーリアはそんなことよりも気になることがあった。
「ちょっと! この暗闇で海に飛び込んで島に行けとか自殺行為よ?」
「大丈夫だ、そのためにサイを入れた。サイは水の精霊と契約をしていたよな? できることを、手短に説明してくれ」
無口なハーフエルフが、愛用の銀製の槍を肩に乗せたまま顔上げた。
「今言っていた状況で、俺にできることだな? 護衛士全員を水中で呼吸できるようにし、波の影響を受けなくすることだけなら3分は可能だ。さらに、精霊に引っ張ってもらうとしたら1分が限界だ」
レシーリアは唖然とした。そこまで考えていたとは……なるほど、この男は確かに“生還する者”だ。
こうなってくると、このメンバーの人選は確かなものだと信じたほうがよさそうだ。
「ちょ……ちょっと待ってください! リアさん、全滅って? 何が起きようとしてるんですか?」
至極当然の反応を示したのは、カーリャだった。
カーリャだけではない、ルー、ユーン、ハーミアも同じだろう。
サイは思ったよりも現実的で、レシーリアと同じようにすでに次のことを考え始めているようだ。
「そのまんまだ、あれはおそらくヨグと呼ばれた存在だ。俺達が戦って、どうにかなる相手じゃない」
「じゃあ、リアさんは!」
問い詰めるカーリャを制するように、リアが二本の刀を鞘ごと抜く。
「ここにある1本は、赤月の鍛冶師ユングが鍛えた刀。これでなくては、あいつに傷はつけられない」
赤月の鍛冶師ユングは、レシーリアでも知っている。
有名なブレードマスターだ。
たしか赤い満月の夜にしか刀を鍛えない鍛冶師で、その刀身は常に赤い光を帯びているという。
少なくともあの1本で、王都に屋敷を1ダースは建てられるくらいの価値があるはずだ。
「じゃあ、最初からリアさん一人で戦うつもりだったんですか!」
なおも食いついてくるカーリャを、今度はレシーリアが止めに入る。
「今はやめなさい、話はあとよ」
「だって……だって、弟子にしてくれるって!」
子供じゃないんだから、とたしなめようとするがどうにも納得してくれそうにない。
やれやれとリアは苦笑をし、カーリャにもう一振りの刀を差しだす。
「これはザイルブレード、青き月の鍛冶師ザイルが鍛えた刀だ。これを預けるから、しっかり持ってろ。必ず取りに行く。それでいいな?」
……おいおい、でかい屋敷が10こほど手渡されたぞ……と、思わずレシーリアの頭の中で金額を勘定してしまう。
そしてリアに渡された宝石のことを思い出し、こっちのがはるかに安いじゃないと思わず文句を言いたくなる。
「ほら、あんまり困らせないの。私達のやれることをやるわよ。みんな、とりあえず船内に移動して」
レシーリアはそう言うと、一度リアの目を見つめ“生きなさいよ”と伝え、不安げな仲間たちを押すようにして船内に向かわせた。
ハーミアだけが、みなと少し間を開けて残ろうとしていたので、そこは察してすれ違う時に「すぐに来るのよ」とだけ言った。
「そら、仕事だ。先に言った島に向けて操舵を固定したら戦るぞ! 普通の武器は通用しないから、支給した
リアの檄に船員たちが野太い声で、おうっ!と応えた。
「リアさん!」
もう船内にみなが向かったと思っていたため、その声に驚きを見せる。
「ハーミア、何してるんだ、早く船内に……」
「私は……」
ハーミアは一瞬言葉を切り、強い口調で続けた。
「私はまだ、ちゃんと聞けてません!」
その頑固とも呼べるほどの意志の強さには、もはや感心せざるをえなかった。
「あなたは、誰! ここで死ぬつもりなら……せめて教えてください!」
リアは肩をすくめるようにして、あきらめにも似た表情で笑った。
「死ぬつもりなんかないよ。これでも、生還する者って呼ばれているんだ。ハーミア、君こそ気を付けろ。エヴェラードは君を追って村を出ている」
その名前を聞き、ハーミアは思わず言葉を詰まらせた。
そして忘れられない事件を思い出し、恐怖のあまり思わず涙をこぼす。
「エヴェラードのことも含めて、俺が何とかするよ。だから君は、自由に……思うがままに生きるんだ」
ハーミアの頭にやさしく手を置き、リアはいつものようにまた笑顔をみせる。
「泣き虫だな、ハーミアは……」
その言葉と、置かれた手の重みが、ハーミアにはなぜか懐かしく感じられていた。
「……子供扱いしないで」
自然にでたその言葉に自分でも驚く。
その昔、このやり取りを何度もした気がするのだ。
しかしリアはそれ以上の反応は示さなかった。
「ハーミアは今から起きる困難を乗り越えるんだ。話の続きはいつか、必ず……」
リアはそこまで話すと、腰に差す赤い刀を抜いて背を向けた。
ハーミアは聞きたいことが山のように積もっていたが、それを飲み込み、涙をぬぐうと船内に向かって足早で向かった。
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