第168話吉村、多忙

吉村は塾が終わると一人大急ぎで後片付けをし、一人早めに夕食を取る。夜間中学への準備だ。五時半には始まるので慌ただしい。八時半に終わると隊士の稽古に合流する。


「お忙しいですな」


原田が声を掛けた。ねぎらいである。


「おかげさまで多忙な毎日です」


塾は特に好評で、満員となった。父兄から成績が上がったと感謝される事もある。しかし吉村は特別な事はしていない。藩校時代の助教の教え方を踏襲とうしゅうしているだけなのだ。子供達は声を出して論語を読むのだが、上手く読める子供とそうではない子供が居る。そんな時は上手い子供の隣に座らせて真似まねをさせる。そうすると子供も上手くなるのだ。


「みんな、大分上手くなりましたね」


吉村が褒めると子供達は嬉しそうだ。


「論語はとても長い書物です。ゆっくり学んでいきましょう」


子供達は素直にハイ、と返事をした。


塾が終わり、後片付けをしていると沖田がやって来た。


「手伝いましょう」


「沖田先生、助かります」


吉村は沖田が妻と死別してから変化を感じていた。何時もなら後片付けを見ても手伝ってはくれなかった。しかし今は積極的に手伝てくれる。


「沖田先生が手伝ってくれるとは本当にありがたい事です」


めても何も出ませんよ」


沖田は最近、変わったと隊士から話題になっていた。


「やはり死別が原因であろうか」


「その程度であの男が変わるものか」


吉村はその話題には入らないようにしている。愛する者との別離、死別など尚更なおさら心境に変化が有るに決まっている。


「吉村君さあ」


「はい、なんでしょう」


「故郷に妻子を残して生活するのはどんな心境だい?」


「それはもう、夢に出てきます。心配です」


沖田は雑巾ぞうきんがけまで手伝ってくれて去ろうとした。その時、吉村は、


「沖田先生、今度休みに飲みに行きましょう」


「良いよ」


沖田は右手を上げて小野田家の居間へ消えた。

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