第12話 うまくいえないけど、天才じゃない人間だからこそ、できることがあるんじゃないだろうか。
圧倒的な天才に、触れたことはあるだろうか。
打ちのめされるような天才に、会った経験は、あるだろうか。
私は、ある。
基本的に、後から生まれてきたり、後から芸能界に入ってきた連中は、圧倒的に才能のかたまりである。
子役は、見切りが早い。
才能があるにもかかわらず、その才能に見切りをつけるのが早く、1日で稽古場に来なかった人をわたしは知っている。
あれから26年経った。
生き延びたのは2人だけ。
結局のところ、あの人から聞いた通りになってしまった。
昨日見たのは、その当時は一般人だった男の子、いやもういい大人なんだから、男の子とはいいようがないが、それでも、こちら側にきたんだな、と言うのは思った。
妙な気分である。
自分と同じ舞台に立ったことがない人間が、自分の初舞台、とは言っても、商業演劇の、というただしがきはつくが、その年に結成した劇団を率いている人の脚本を、台本って言えばいいのか、いまだに脚本と台本の違いがわかってないわたしだが、思わず、分厚い、と反応してしまったのは、自分が持っている台本と比べて、ではある。
たとえ手元になくても、その台本の分厚さと、その文字量のすさまじさは覚えていて、あれが1990年代の演劇の特徴ではなかったのかと思う。
もうすでに。あの時の劇場の支配人は亡くなっている。
代替わりを繰り返したので、なんだかんだ何人、お世話になったんだ。
うまく、昔のことを消化するのは難しいし、書けないことは山ほどあるし、伝えたいことは山ほどあるが、おそらくこの先、私が東京の演劇界に戻ることはないし、客として関わることがあったとしても、それは演劇界に影響は及ばさない。
引き抜きが来るほどの実力があったにもかかわらず、結局のところ、転落した。
でも、同時期に。引き抜きにあった男の子は、帰ってこなかった。
いまだに茨城に戻れていないらしい。
会社は、ある程度は、追悼したいと願っても、それができないほどに、彼の闇は深かったのではないかと思う。
あの時、引き抜きにあった女の子は、結局のところ、悲劇的な死を迎えた。
自分と違って、華々しく活躍した女の子は、薬物依存症で再起不能。
自分より年下で、圧倒的な歌唱力を持っていた女の子は、抗生物質の副作用により死亡。
アマデウスが死んだ後のサリエリみたいに、あの頃天才がいたと、あの頃こういうことがあったと。
語り継ぐ役目を背負うような歳になってしまった。
昔の話をしようと思うが、酒でも飲まなければどうしても話せない。
もういないのだと思うと、慟哭と、さみしさと、いろんなものが重なり合った感情が出て来て、なぜ、みんないなくなったんだろう、と、ただ、泣きそうになるのである。
時が経てば経つほど、仲間はどんどんいなくなる。
トゥモローアンドトゥモロー、積み重なる日々を過ごしても、明日こそ死にたいと思っていても、気がつけば死は目の前にせまっていて、もう台本は一行しか残っていない。
人生は歩いている影で、吹き飛ぶようなともしび、そこにあるろうそくと何の変わりは無い。
こんなものは、すべてまぼろしなんだ。
だからもう終わりにしよう。
そう言って、マクベスが引っ込もうとすると、死神がやってくる。
死神はこう言う。
あなた。赤ん坊が処女で生まれると思っている人間なの。
聖書のあれは誤訳よ。
マリア様は、処女懐胎じゃない。
父親なしで子供を産んだの。
だからわたしは。
父親なしで子供を産んだ母から生まれたわたしは。
キリストと同様、神の子だからあなたを殺せるの。
月足らずで生まれたから殺せるのではない。
聖なる子供と同様、父親なしで子供産んだと言うことである。
だから、マクベスは、キリストによって殺される。
殉教者ではなく、キリストに背いたものとして。
キリストに背いたものは誰だ。
女王エリザベスの父親。
マクベスは。
マック、ベス。
この意味を、わたしは正確には知らない。
つまり、この戯曲は。
女王批判なんだ。
あのクズみたいな父親から、生まれた女が、裁きを受けなかった父親を断罪するための芝居。
大衆が殺したのは、エリザベスの父。
金があるが、ゆえに地位があるが故に、裁きの対象から外れた男。
隣では死刑台があり、いつしばり首になってもおかしくないのに、いつ魔女裁判が始まるのか、庶民はドキドキしているのに、貴族はずっと、高見の見物で、死刑台や、魔女裁判を娯楽のように見ている。
子供の王は殺され、少女だった王は殺され、哀れんだ大衆は何をした?
フリーアンスという形で、よみがえらせた。
要するに、芝居というのは、願いなんだ。
演劇は、不要不急なんかじゃない。
為政者にとっては死刑台や魔女裁判なんて、避けられる些事にすぎない。
でも大衆は。
民衆は。
庶民は。
みんないつ殺されてもおかしくない時代なんだよ。
一瞬でもいいから、苦しみを忘れたいと言うのは、傲慢か?
たった一瞬でもいいから救いを与えるのが、傲慢か。
ならばなぜ、演劇はこんなにも長く続いたんだ。
娼婦の次に、役者、だと個人的には思っている。
身一つで稼いだことがないものに、何がわかるんだ、と、役人として働くたびに、役者としての自分と板挟みになる。
つかさんは。
学生運動をやめた後、演劇に移行できたけど、そううまくいかなかった。人間はたくさんいる。
そんなことをうまく説明できるほど、筆力は足りないのである。
もしも、私に知名度と筆力と実力とが兼ねそわっていたら、もっとうまく説明できるんだろうけど、その自信がない。
作家は経験したことがないことしか書けない、というけど、今の私には、まだ、あの時代の演劇を書く勇気がない。
ただ言えるのは。
あの時代は天才がいた最後の時代で、地方演劇の最後のきらめきを見て、あの頃客席にいた人間が、こちら側が綺麗な世界だと思って見ていてもおかしくないなと思う。
違うんだよ。
キラキラしてるように装っていただけで、実情は、血反吐を吐くような、ストーカーの対策は一切なく、何もかもが自己責任で、だから、あの時代を生き延びた人間は、お互い、戦友と言うべきか、平坦な戦場ではなくて、あれは戦場だった。
振り返ってみればあれは、戦場だ。
だから、今の私は、ベトナム戦争の帰還兵みたいにぼろぼろで、療養期間は1年を超えている。
ボロボロになって気づいた。
あぁ。
あの頃、私を、精神的に追い詰めた連中って、まだ、芸能界の上にいるんだな、って。
結局のところ、あの頃に比べたら、はるかに礼儀正しい人間も増えたし、嫌がらせをする連中は減ったはずなのに、支配者だけが変わらない。
何人、あと何人犠牲になれば、あの人たちが気が済むのか、私は考えたくない。
考えるのをやめるようにはしている。
そうでないと死体の海にひきずりこまれるから。
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