第10話 あの頃は、稽古場に蜷川さんがいて
2023/03/15
受からない、絶対取れない、と思っていた、舞台ダブルのチケットが当たったので、読売をとったマンザナー・わが町以来8年ぶり(!)に、紀伊國屋に行く。
そして、12、3年ぶりに、つか作品と対峙する羽目になった。
さて。
何を語ろうかと思った。
すでにもう、つかさんも蜷川さんも井上ひさしもいないことに、がく然とする。「え、もういないの?」と、ひとり、おいてけぼりを食らった気分なのだ、ひとりだけ、まだ、時間のながれにおいていかれて、20世紀の時間の中にいる気がする。
コロナ禍に、セミプロとは言え、要するにやりがい搾取であり、地方の芸能人の宿命として、舞台に立たせてください、その代わりお金払います、と言って声のギャラリーに参加した。
途中で屈辱だったのは、参加者は全員、なぜか、私を軽く見ていることだった。「なんでだ」とは思うものの、感染対策として、8割以上黙っていた。
謎が解けたのは、本番10分前。
怠惰な私は、役作りを終えるのがだいたい毎度のごとく、本番10分前であり、心の中では、
「2003年の2月以来だから18年ぶり?うげ、久しぶりすぎて緊張してきた」である。
そんなもんで緊張するのはどうかと思うが、人生で一番緊張したのは何かと問われれば、これからも一生、「18年ぶりに立った舞台の本番。ゲネプロより緊張した」というほどには緊張するのである。
本番10分前、さて、小泉八雲へと、ラフカディオ・ハーンへと気持ちを切り替えて、ACMへ向かう準備をする。
いくら、子供時代からとーたる、合計で何回だ、少なくとも、庭ではあるが、背は伸びるし、年齢は重ねるしで、はっきり言って別物に見えた。
にもかかわらず、出演者からひとこと。
「あなた、本当はいくつなの?」
本番前に聞くか、それ??
どおりで、とすべて、得心、というか、納得した。
18年前に私が舞台に出ていたことを知らなくて、こちらが素人で、高校生だと思い込んでいたらしい。
気づけ。
とは思うものの。
冷たく、自分の年齢と職業を告げる。
そこからどうやって舞台に出たか覚えてないが、まぁ、最後までやり通せた。
久しぶり過ぎて、マスク姿の観客を見て、
「こんなにも、演劇を待っている人がいるんだ」とは、思った。
要するに、地方の芸能人は、セミプロは、
「東京のプロの舞台はこの16倍ぐらい
金がかかりますけど、
面白いですよ」
という役割を負うので、責任重大なのである。
はっきり言って、交通費も考えれば、自分の出た舞台の20から30倍の努力、血と汗と涙と、労力と、それ以上のものが必要なのだが、果たして、それに見合う舞台が、どれだけあるだろうか。
彼らは、水戸には来ない。
永遠に、私の芝居を観に来ることはないだろう。
東京の芸能人が、水戸芸術館でバカンスを楽しんで、
水戸で荒稼ぎして、東京でまた倍稼いで、
ということを、今の水戸芸術館は繰り返している。
地方の芸能界は、はっきり言って、コロナで死んだ。
たぶん、もう二度と、戻ってこないし、推し活と評して、東京に随分のお金が流れてしまったので。
つかさんが元気だった頃の、水戸は、もう、幻のものであり、私がしなくてはならないことは、過去の栄光にすがりつくことではなく、これからの芝居をどうするかであり、つかさんも蜷川さんも亡くなり、なおかつ、水戸芸術館から長山泰久さんも去り、長谷川裕久さんも去り、中村さんも平松さんもいない状態で、ひとり残されたので、準所属でもなく、長くただ、ACM劇場に立ち続けた人間が、水戸の芸能界に貢献できることは、少ないのかもしれない。
でも。
青春も思春期も、普通の生活も恋も全てかなぐり捨てて、つかさん、蜷川さんと並走して、水戸芸術館のACM劇場を上手から下手へ、舞台裏側で、下手から上手へ全力疾走した日々を、後悔したことはない。
正直、自分より後から芸能界に入った、同じ年頃の俳優さんを見ると、人生経験や技量もかなわないとは、思う。
そりゃそうだ。
自分の演技を見て、この世界に入ってきたのだから、抜かされて当然だし、アクションのワークショップで、素人の女性でもあれぐらい動けるのを見た殺陣師の先生が、東京に戻って基準、判断基準を上げたのだから、自分で自分の首を絞め、結果的に、ミュージカル刀剣乱舞も、舞台刀剣乱舞も、殺陣の質が上がった原因に、貢献してしまったので、これから先、ミュージカル刀剣乱舞も、舞台刀剣乱舞も、軽々と私のレベル、技量を超えていく。
ぶっちゃけ、18年前ほどは、リハAに行けば、蜷川さんの気配を感じられたし、つかさんが走り回って、井上ひさしが檄を飛ばしていたので、何も考えずに舞台に立てたのである。
あの3人がいなくなってから、基準がわからなくて苦労している。
カンニング、背中を見てきた俳優たちは、みな、亡くなり、夏八木さんや樹木希林さんをはじめとした、古いけど常に新しい演技をした俳優の演技を参考にできなくなったので、もがき続けた。
結果的に、長谷川一夫の真似をして、普遍的な間を会得してなんとかなったが、30年以上芝居を続けると、お手本が死人になるんだな、と妙に納得した覚えがある。
長谷川一夫。林長次郎。
要するに今の演劇、映像、演技の全てのみなもととなった人なので、要するに、メソッドが通用しなくなる年齢に差しかかっている。
なーにが不惑だ。
むしろ、迷うことは増えるばかりだ。
とまぁ、長々と続けてはきたものの、芸能界で一円も稼いでないので、今の目標は、「一円でもいいから芝居で稼ぐ」である。
意外とハードル高いんだな、これが。
果たしてこの文章が受けるか不安だが、最後にひとことだけ。
今の東京の芸能界には、期待も何もしていない。
春馬さんが亡くなったのも、神田沙也加さんが亡くなったのも、黒崎真音さんが亡くなったのも、東京の芸能界における、構造的な問題であり、常に「春馬さんを返せ」と憤っている。
最近ではもう、春馬さんを思う機会も減っており、これでいいのか、と考えることは、たまにある。
それでもし、あの世であの人に会えるとしたら、の前提条件で考えたのは、まぁ、孫みたいな年齢の人間が生まれてくるまで生き延びて、ひたすら、春馬さんや、神田沙也加さん、黒崎真音さんの天才ぶりを宣伝することで、あの世にいる彼らに重圧をかけることしか、考えていない。
それが、けして天才ではない自分のできる、最後の大仕事であろう。
この先、芝居で食っていくことはないし、道楽で続ける可能性も低いし、この先は、一般人のふりして、つかさんの大嫌いな、学生運動から転向して、社会にしれっと溶け込む役人として生活するほかないのだが。
けして、学生運動の、あの頃を忘れたわけじゃない。
転向したわけじゃない。
手段を変えただけだ。
運動で世界が変わらないなら、
体制側に回るしかない。
つかさんは、間違えているよ。
あなたの遺骨は、上昇気流に乗って雲となり、雨となり、すべての水源地にそそぎこんだので、朝鮮半島と日本の役者は、あなたの骨を飲んだ計算になる。
これほど滑稽なことってある?
私の一部に、つかさんが残っているってことだよ。
で、つかさんへ。
もうそろそろ、仏になりかけているとは思いますが、幽霊って、木戸賃いらないんでしょ。
ダブル。
一人で見るのこころぼそいんで、
一緒についてきてください。
以上。
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