第8話 遺言。

2023/02/26


カメンライダーギーツ


あぁって事は最悪だ。

刀ミュ新作には、後輩が2人いるってことか。


自分だって、まさかこうなると思ってなかったんだよ。

ゴジラの撮影所に入りたくて、東宝映画の公募エキストラに応募したら


ここから先はカクヨムです。


2023/02/26


本来、役者は、後輩全員を、平等に扱う義務がある。


にもかかわらず、

ミュージカル刀剣乱舞新作が発表されたとき、

私が返信を送ったのは二人だけ。


以下、敬称略。


木原瑠生(きはらるい)。


水江健太(みずえけんた)。


本来であれば、

リプライなんて、しない方が、身のためだ。


世の中、知名度が上がれば、

監視の目は、広がる。


それが、世界。


世界は、君のために立っているのではない。


The world does not stand for you.


世の中には、

テレビでしか舞台に触れられない人もいる。


そもそも、舞台の上演と言うのは、

例えば、

食うものも困る生活をしている人には、

演劇でなく、お金が必要だろうし、

例えば、

今地球上で、

こう言った、インターネットに

触れられる人は限られてくる。


君たちは、いつだって、

自分が見ている世界が本当に世界だと思っていて、

その目に映るのは、

身心(しんしん)ともに、健康的な人である。


役者の門は、

健康な肉体と、

健康な精神を持つ人間に、

開かれている。


私は、例えば、

左足を少しだけ引きずって歩いているが、

そうなると役者としては欠格事項に

相当する。


だから、20年前、

私は、健常者のふりをして舞台に立っていたし、

今だって、左足を引きずって歩くので、

オーディションでは、真っ先に欠格事項として落とされる。


監督だったり、演出家だったり全員が、

そういったまっすぐ歩く人間を欲している以上は、

私は、

演劇の世界には戻れないし、

そんな、

健常者の、

健常者による、

健常者のための芝居など私は見たくない。


手を叩いて、

健常者が障害者の芝居をすることを、

20年前は批判する動きがあったが、

今、正義のヒーローであっても、

健常者が障害者の世話をすることが

その姿に感動することが流行だと言うのなら、

私は抵抗する。


私だって吃音持ちで、

左足を引きずって歩いてるから、

お金を払って舞台に出ることができても、

お金を払って舞台を見ることができても、

報酬がもらえる舞台に参加することはかなわない。


自分で立ち上げるしかない。


そんなふうに、今の日本の演劇界は貧弱だが、

そんな演劇界で演劇をすることを、

楽しむ人間がいる以上は、

私は水をささないし、

受け入れたくもないが楽しむ人間がいる以上は、

私は水をささないし、

受け入れたくもないが、

私のは、そういった無責任なことはいいたくない。


それは。


イレギュラーな形ではあったが、

私は、東宝の映画に参加した時、

普段は、仮面ライダー電王の

デンライナーのセットが置かれていると言う、

その東映撮影所の中で、1番大きいとされる、

実際そうだったのだが。


わたしはこう聴いた。


大磯プリンスホテルの近くには、

かつて撮影所があった。


蒲田を撮った撮影所は、もうない。


仮面ライダー電王が放送されたのは、

2007年の話である。


実はそのことの意味がわかったのは、つい最近である。


なぜ時代劇は滅びるのかと言う本がある。


その本を読んで、

京都の撮影所は、

京都はもっとすごいと聞いていたのだが、

大泉の撮影所が1番大きくなったと言うのは、危機だと、私は聴いた。


私にそう語ったのは、長石監督。


おそらくその話を聞いたのは、

ロケバスの中にいた私だけなので、

これは、長石組に対する、

そして今から東映作品に出演する、

いや、すべての東映の作品を愛する人間に対してか。


これは、

時を越えて届いたラブレター。


撮影所、明日1人の男の、

遺言である。


もしも本当に東映作品を、

御大切に思うのならば。


私はこう聴いた。


ラブと言う言葉は、

江戸時代、

お大切と訳された。


最初にラブと言う言葉を載せた辞書では。


その辞書の名前は、

どちりな・きりしたん。


現在、その原本は。


仮面ライダーセイバーのオープニングに登場する、

東洋文庫に厳重に保管されている。


世界でたった1つしかない本だからだ。


私は知名度がないし、

こういったことを直接語る機会など、

おそらく一生ないだろう。


私は語ることないまま、

知名度のないまま、黙って死んでいく。


いつも夢想することがある。


私はおそらく孤独死だ。


おそらく葬式には誰も来ない。


おみおくの作法のように、

役所に運ばれて無縁仏がオチだろう。


そういった人生を歩んできたし、

おそらくこれからもそういう人生を歩む。


アジア系の女優が生きづらいのは、知っているだろうか。


穴にもブルースリーが走り回ったのに、

トムクルーズだってトップガンマーベリックでどれだけ苦労したかわからない。


アジア系で、女性で、日本に生まれて、吃音持ちで、その他いろいろ持っている私は。


世界の舞台では、戦えない。


そういった風に世界を見て歩いている人間と、

狭い狭い日本で、

健常者の集まりで生きている人間とでは、

見ている世界が違うの辺りまで、

犯罪者になる可能性がない人はそういった風に世界を見て歩いている人間と、

狭い狭い日本で、

健常者の集まりで生きている人間とでは、

見ている世界が違うのが当たり前で、

犯罪者になる可能性がない人は、

犯罪者のことを平気で叩く。


禍福は、あざ、なえる、縄のごとしと言うが。


要するに。


本来であれば、障害者が演じていたシェイクスピアを、

君たちが喜んで健常者のために作り替えたように、

この世界は、きっと。


しかしながら、

お前たちを全然わかっていない。


人として生まれた以上、

全員が役者だ。


誰もが役割を演じて生きているだけだ。


君の脚本には何が書いてある?


次の日、次の日と、

毎日人が死んでいき、

気がつけば、台本の最後の一行まで、たどりついてしまった。


例えるなら、俺の人生は、

動き回る影のようだった。


だから。


つかの間の脚光なんていらない。


その火を消えて欲しい。


シェイクスピアのマクベスと、

テネシー・ウィリアムズの、

ガラスの動物園を

組み合わせるとこうなる。


ローラは、障害のない女優が演じるのが一般的なので、

文化村がまた.

障害者の女優をキャスティングしないのは、今に始まったことではないので

問題はないが、

声を上げないので、私が言っておく。


ローラは、当事者が演じるべきだ。


足の不自由な女優に。


ミラクルメイカーの、

ヘレンケラーは、

もう、ろうの人が演じるべきだ。


おしで、ブラインドな人だってことですよ。


そういったことがわからない。


私は足を治してブランチになんてならない。


私はこのままの足で欲望にでる。


それが、

アンダーグラウンド演劇に

命を救われた、

最後の世代の

最後のあがきだ。

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