第7話 夜凪景のその後を君は知りたいのか②
2023/02/25
わたしは、夜凪景だったと思う。
かつてのわたしは、だ。
わたしは、14歳の時から、徹底して、後輩から、いじりを受けた。
それが始まったのは、いつだったろう。
その劇団は、後輩、先輩呼びを禁止しており、したわれる先輩には、人が集まるが、私みたいに、人付き合いが下手で、子供っぽい人間は、徹底して、後輩からターゲットにされた。
年数も、年齢も関係ない。
蝿の王は、読んだことないが、おそらく、ポル・ポト体制下のカンボジアは、少年による支配、子供が政治を行なうと、こう言った地獄は、よく起こる。
つまり、後輩から徹底したいじりを受けたのは、自由と、身勝手を履き違えた地獄だったからにほかならない。
要するに、チケットも売り捌けない、いじられキャラに徹することで、わたしは、その後の数年間を生き延びた。
思春期から19歳までの5年間、人生を棒に振った代償はおおきく、いまだに、どこで誰が見ているかわからない、自分の好き勝手に振る舞えば炎上する、もう二度と、中学時代の地獄は経験したくない。
子役をやめて、一般人に戻ってもう20年以上経つが。
いまだに。
「お前は、どんなに努力したところで痩せないデブ」
とか、
「お前は、怠惰だから、だから、大衆から誤解を受ける」
とか、
悪魔が囁く事はいつだってあるのだ。
私が契約したのは舞台の神様ではなく、
ファウストだったのと今では気づいた。
いまだに、わたしは、他者が怖い。
知らない誰かが怖い。
知名度と引き換えに自由は得たけど、
いまだに、
あの時代の私を覚えている人がいて、
また、あのことでいじられるんじゃないか、とおびえて毎日を過ごしている。
だから、そっとしてほしい。
でも、忘れないでほしい。
人間だから。
誰の記憶にも残らないで死ぬなんて、真っ平ごめんだ。
役者なら。
もう、業界の人で、私のことを覚えている人なんて、
私の演技を覚えている人なんて、
いないでしょ。
だから、それでいいけどさ。
地方の演劇なんて、
東京の人は見にこないし、
素人さんは、
私の演技には価値がない、
金を払って勉強するなんて、
もうたくさんだ。
いつまで、搾取される側にいればいい??
いつまで、わたしは、俳優の養分になればいいんだろう。
自分で1番きれいな時期を失ってしまったので、もう後は衰えるばかりである。
アイドルは劣化したとか、女性は劣化するとか、男性は、いや、負け犬の遠吠えを、わたしはこう聞いた。
30代以上で結婚していない男性を分類すると、オタ夫、ダレ夫、ジョヒ夫、ダメ夫の4つにわかれる、と。
とはいえ、別のデータもある。
私はこう聞いた。
誹謗中傷に参加する男性は、結婚しており、子供がおり、ある程度の年収と、学歴を持っている、と。
私自身の性的侵害経験を、ここに加える。
私に対して、ちょっかいを出す男性は、8割以上が既婚男性である。
私に、何かしら、ちょっかいを出した後、妻と何でもない風に話すっていうことがあまりにも多い。
要するに、負け犬よりも勝ち犬の方が、痴漢をおこなう確率が高い。
奥さんがいる以上、私もそれ以上言えなくなるので、彼らは、奥さんの前では、一体どのように振る舞っているんだろうと、観察はしているが、いたって普通の場合が多い。
2番目に性的侵害をおこなうのは、中年以上の女性である。
荷物が当たったな、って思うのは、なんか、体に触れたなって思うのは、堂々と体に触るのは、圧倒的に中年女性が多い。
おそらく、失うものがない人間よりも、既婚女性の方が、そういった性的違いを行う確率は高い。
私だって加害者だ。
性的侵害と言うのは、被害者も加害者もない。
性的侵害にあった時点で、その後の人生はめちゃめちゃになる。
被害者が苦しんで、加害者がなくなってきているなんて事はありえない。
世の中のサイコパス、社会不適応、人でなしとでも言おうか。
そう言った人間の数は一定である。
私は広島の原爆を許さないと思っている。
なぜ、原爆を投下した人間が、最近まで生きていたか。
放射能による被害を知っていながら、アメリカは、偉い人は、若者に操縦を任せたと言うことだ。
そのことに世界は気づかない。
私は、その若者を哀れに思うし、どうしてその若者の上官である、死に近い人間たちは、若い人間ではなく、俺が行くと言わなかったのだろうかと、考えた事はある。
下っ端だから。
日本人に蹴られても問題ない人間を、操縦者に選んだと言うことでは無いだろうか。
はっきりって末期の米軍は、末期の日本軍とどっちがひどかったのだろうと考えることは、たまにある。
大東亜、戦争、末期、米軍は、日本軍の悪いところを全て、取り込んでしまい、いじめが頻発しているのではないかと言うのが私の推測である。
私は加害者のことを許そうと思わないし、共感しようとも、理解しようとも思っていない。
しかしながら、私はこう聞いた。
戦争に勝者も敗者もない。
戦争と言う手段を選んだ時点で、戦争に関わった人間は、皆敗者である。
誹謗中傷を戦争に見立てるとしたら、誹謗中傷に、そういう手段を選んだ時点で、加害者は皆敗者なのである。
自分に負けたと言うのではない。
他にも外交手段はあったと言うのに、そういった暴力的で、人を傷つけて、何も残らないことをしたと言うのは、その人の命を奪う結果になる。
加害者は、誹謗中傷することで、自分の命を縮めているのである。
私が忘れられないお客様が1人いる。
その日、私は、あるお客様に謝罪を繰り返していた。
ふと、ありがとうと言えば良いのだろうかと思った。
たまたまありがとうと、私は声を出した。
私はこう聞いた。
他人にありがとうと言われたことなんてないです。僕。
声を出さなくても体でわかるものはある。
短気なので、その人をそんなふうにした人を、いまだに私は、許してないし、許そうと思わないし、日本人はもうちょっと寛容な人間だと思っていたのだが、だいぶ前からそういった寛容性をしなったのだなと、さみしく思う。
2021年2月に、小泉八雲と呼ばれる、1人の男の、来日時のエッセイを読んだ、1人の役者より。
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