位相幾何学とケーニヒスベルクの橋

 従来の幾何学では三角形や四角形、楕円は異なる図形として扱われるが、位相幾何学(トポロジーとも呼ばれる)では図形の長さや面積などは考えない。そのため、形は違っていても同じものとして扱われる。

 俺がノートに適当な図形を描いて説明すると、愛華は粘土をこねるような仕草をし始めた。立体の場合を考えているのだろう。成宮は楽しそうにその様子を見ている。


「じゃあ、立方体とラグビーボールみたいな楕円体……だっけ? 位相幾何学だと同じ図形なんだ」

「ああ。同じときは同相であると言う。ただし、ドーナツのようなリング状の立体と立方体は同相ではない」 

「ドーナツは空洞があるからね」

「そうだ。ウォーミングアップに少しゲームでもしてみるか」

「ゲーム?」

「本で読んだことがあってな。パズル感覚で楽しめて結構面白いぞ。強いて名付けるなら『同相文字探し』ってところか」


 まずは簡単な例題として『い』と同相の文字を探してみよう。


「『い』を二本の伸縮するゴムで構成されていると考えると、『こ』『ら』『ア』『リ』『ル』などが同相だ」

「カタカナの『ラ』も同相だね」と成宮。

「漢字だと……『二』と『八』か。ていうか、めっちゃあるじゃん」 


 アルファベットなら小文字の『i』と『j』。記号だと『=』『!』などがある。

 

「位相幾何学のことはだいたいわかったけど、これって使う場面あるの?」

「有名なところだとケーニヒスベルクの橋だね」


 ふいに成宮が言った。一筆書き問題か。


「けーひにす? 何それ」

「ケーニヒスベルクは都市の名前だよ。今はカリーニングラードって呼ばれてる」

「なんかクリーニングみたい」 


 愛華の言葉に成宮は苦笑した。街を勝手に洗うな。


「話を戻すと、ケーニヒスベルクにはプレーゲル川という川があって、7つの橋が架けられてたんだ。で、同じ橋を2度通らずにすべての橋を渡り切ることはできるか町の人が挑戦したんだけど、クリアした人はいなかった」

「へぇ。相当難しいんだ」

「難しいというか、先に結論を言うと、すべての橋を一度だけ通って渡り切ることは不可能なんだ」


 そう。それを証明したのが数学界の巨匠、レオンハルト・オイラー。


「え、なんで無理なの?」 

「うーん。口で説明するのは厳しいから今から図を描くよ。安藤、フォローよろしく」

「わかった」


┏━━━○

┃  ╱   ╲

○━━━━━━○

▏  ╲   ╱

┗━━━○


「斜線が見づらくなったけど許容してね。数学ではこういう図を『グラフ』と呼ぶんだ。○は地区、線は橋を表わしてる。安藤、あとよろしく」

「代わるの早いな……わかるから別にいいけど」

 

 俺は気を取り直して説明を始めた。


「成宮がすでに言ったが、この図はグラフと呼ばれる。ケーニヒスベルクの橋の問題は、『7つの橋を一度だけ通って、すべて渡り切るルートは存在しない』ことを示せばいい。それは、このグラフが『一筆書きできない』ことを示すことと同じだ」

  

 解説の前に、まずは一筆書きが可能なグラフを見てみよう。


○   ○ 

┃  ╱   ╲

○━━━━━━○


「ここで補足すると、グラフの○を頂点、頂点につながっている辺の数を次数と呼ぶ」 


A   B 

┃  ╱   ╲

C━━━━━━D


「各頂点をA、B、C、Dに置き換えると、Aの次数が1でBとDが2、Cが3だ。ちなみに、次数が奇数の頂点は奇点、偶数の頂点は偶点と呼ばれる』


 そして、一筆書きはA→C→D→B→Cの順(逆にC→B→D→C→A)で可能。


「ここで重要なのは頂点とつながっている辺の数、つまり次数が偶数か奇数であるかだ」


 →

A━B  A→B→A × Uターンできない

 ┃↓

 C   A→B→C ○ 


「頂点は複数回通れるが、辺はルール上一回しか通れない。つまり、一筆書きを可能にするには次数は偶数でないといけない」

「でも、AとCは奇数だよ」

「スタート地点とゴール地点は例外だ。もしAとCが偶点なら、この2点をつなぐ頂点がそれぞれ必要になる。スタートとゴールが同じ点ならそれをつなぐ点がいる」  


 つまり、あるグラフが一筆書き可能であるかの必要十分条件は

 1.グラフの次点がすべて偶数

 2.グラフに奇点が存在するならその数は2つ

 のどちらかが成り立つことである。


┏━━━B

┃  ╱   ╲

A━━━━━━C

▏  ╲   ╱

┗━━━D


「ケーニヒスベルクの橋の場合、各頂点をA、B、C、Dに置き換えて整理すると、Aは3つの辺、B、C、Dはそれぞれ1つの辺とつながってるから、4つの頂点はすべて奇点だ」

「っていうことは、一筆書きは不可能」

「そういうこと」


 厳密な証明はドイツのCarl Hierholzerという数学者がしたらしい。日本語版のWikipediaがないのでどう発音すればいいのかよくわからんが、Google翻訳では「カール・ハイアホルツァー」と表示された。とりあえずカールと呼んでおけば問題ないだろう。


「なんか、今までの数学とは違う感覚。数式ひとつも使ってないし」 

「今日話したのは概要だからな。詳細を知ろうと思ったら数式からは逃げられない」

 

 俺が言うと愛華は渋い顔をした。結局、数学を理解する上で数式は必要不可欠ってことだな。

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