素因数分解の一意性の重要性

 東大の数学入試を解いて以降、数学研究部では専ら数学の問題を解くことがメインになっていた。それも悪くはないのだが、基本に戻ることも重要だ。


「というわけで、今回は数学の基礎である素因数分解の一意性について話し合ってみようと思う」


 成宮は「確かに基礎は大事だね」と言って頷く。愛華は手を挙げて訊いてきた。


「一意性ってどういう意味?」

「一意性は1通りしかないって意味だよ。つまり素因数分解の一意性は『すべての合成数は素数の積で表すことができ、順番を無視すれば、それはただ1通りしかない』って主張してるわけ」

「長い……」


 数学用語の定義を厳密に説明しようとすると、どうしても長くなってしまう。証明するとなれば尚更。

 

「いきなり一意性の証明をするのは難易度が高いから、まずはすべての合成数が素因数分解できることを示す」


 正の整数をnとして、nが素数であるならnは素因数分解できない。合成数ならば、nは1より大きいn未満の整数、pとqを用いて、n=pqと表せる。

 p、qがどちらも素数ならそこで終了。合成数ならば、pまたはqは正の整数の積で表せる。この操作は正の整数が素数になるまで続けられる。よって、すべての正の整数は素因数分解が可能である。

 

「まあ、こんなところか」


 俺がホワイトボードに証明を書き記すと、愛華が再び手を挙げて訊いた。


「ねぇ、『pまたはq』はどっちが整数の積で表せるの?」

「pとqのどちらか片方、もしくは両方だ。仮にpが合成数とすると、pは整数を1より大きくpより小さい整数、rとsを用いて、p=rsと表せる」


 変数(文字)は違うが、やってることは証明に書いてることと一緒だ。


「今思ったけど、この証明って必要なの?」

「必要だよ。一意性の証明は『すべての合成数が素因数分解できる』という前提が真であることが必須条件だからね」


 成宮が腕を組んで言った。数学は当たり前のことでも、証明しないと真とは言えない。


「次はユークリッドの補題を証明する」

「ユークリッドって互除法の人だよね」

「……ああ」


 ユークリッドは互除法以外にも大きな功績を残しているが、愛華にとっては、ユークリッド=互除法の人、という式が成立しているらしい。俺は気を取り直し、ホワイトボードにユークリッドの補題の概要を書いた。


 素数pが整数の積abを割りきるなら、pはaがbのどちらか一方を割りきる。


「例えば、p=7、ab=6097のとき、6097を7で割ると余りは0 つまりabは素数pで割りきれる。で、6097は91・67の2数の積に分けることができるんだが、91は7で割りきれるから条件を満たす」


 間を空けず説明した所為か、案の定、愛華は首を傾げた。


「この例だと、a=91、b=67(もしくはa=67、b=91)、p=7だから、『素数pが整数の積abを割りきる』と『pはaがbのどちらか一方を割りきる』の両方を満たしている」

「両方を満たさないとダメなの?」


 俺は首肯した。それがユークリッドの補題だからな。


「今から証明を書くが無理に理解する必要はない。本当はいくつか段階を踏まないといけないんだが、1から説明すると長くなる」


 素数pとabにおいて、a、pが互いに素(2数の最大公約数が1)だとすると、aとpには、px+ay=1となるようなx、yが存在する。

 両辺にbを掛けると、pbx+aby=bとなり、pbxは当然pで、仮定からabはpで割りきれる。よって、abyもpで割りきれ、bはpで割りきれる。


「……全然分からない」

「だから無理に理解する必要はないって言ったんだよ。あくまでも事前準備で証明しただけだ」

「次は何を証明するの?」

「本題の素因数分解の一意性だ。これで準備は整った」


 正の整数nが、2通りに素因数分解できると仮定する。


 n=p_1・p_2・…・p_a=q_1・q_2・…・q_b(a≧b)


「2通りとは書いてるけど、p_1からp_aまでの素因数と、q_1からq_bまでにある素因数に同じものがあってもいい」

「括弧にあるa≧bは何?」

「素数の数だよ。p_1からp_aまでにある素因数の数は、q_1からq_bまでにある素因数より多いという意味」


 q_1・q_2・…・q_bはp_1の倍数だから、q_1からq_bのいずれかで割りきれる。しかし、q_1からq_bまでのb個の数はすべて素数、p_1も素数だから、p_1とq_1は等しい。p_2以降も同様に考えると、p_2=q_2、p_3=q_3…p_b=q_b

 もしa>bなら、p_b+1・p_b+2・…・p_a=1

 

「結局、p_b+1からp_aまでの数はすべて1となり、a=bが正しい。よって、素因数分解は順番を無視すれば、1通りの素数の積でしか表せない」


 俺が説明を終えると愛華は机に突っ伏し、大きく息を吐いた。


「文字が多すぎて頭に入んないよ。よく何も見ずに書けるね」


 一意性の証明は本で何度か読んだからな。さすがに初見では覚えられなかったが。


「いやぁ、やっぱり素数は奥が深いね。数学マニアに素数好きが多いのも頷ける」

「え、そうなの?」

「全員ではないだろうけど、数学好きの人で、素数に愛着を持ってる人は結構いると思うよ」


 愛着を持つかどうかは人によるが、関心が高いのは確かだろう。双子素数、三つ子素数、メルセンヌ素数のように、いくつも「素数」と名の付く数はほかにない。

 

「まあ、範囲を複素数に広げると、素因数分解の一意性は成り立たなくなっちゃんだけどね」

「複素数って、iがつく数だっけ」

「あながち間違いじゃないけど、正確には虚数と実数を合わせたものが複素数だよ」

「……成宮君って意外と細かいね」

「僕は事実を述べたまでだよ。文句は数学に言ってくれ」


 文句は数学に言え、か。成宮がそんな洒落を言うとは意外だった。

 確かに、複素数に範囲を広げると素因数分解の一意性が成り立たないケースが出てくる。例えば6を素因数分解するとき、複素数に範囲を広げると2通りできる。


 6=2・3=(1+√5i)(1-√5i)


 一般の素数、例えば5、17、29なんかも複素数の範囲では素因数分解できる。


 5=(2+i)(2-i) 17=(4+i)(4-i) 29=(5+2i)(5-2i)


「より深く突き詰めていくと、環や素イデアルなんて概念が出てくる」と成宮。

「それって難しいの?」

「僕は単語しか知らないから絶対とは言えないけど、難しいのは間違いないと思う」


 数学は一分野を完璧に理解するだけでも、相当な時間がかかると聞いたことがある。本気で勉強するならそれ相応の覚悟が要るな。

 

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