背理法と√2

 素数判定法の件から一週間後、愛華はいつも通り俺の部屋に来ていた。今日は朝っぱらから、数学の参考書とにらめっこしている。はっきり言って怖い。


「愛華、どこが分からないんだ」

「……証明」

「もっと具体的に言え」

 

 数学の証明は整数だと対偶法、背理法、数学的帰納法、無限降下法など多岐にわたる。無限降下法はフェルマーの最終定理(n=4)でしか見たことないけど。

 

「背理法が分かんないの」

「どこから」

「最初から。参考書には『ある命題を偽と仮定して矛盾を導きだし、命題が真であることを示す』って書いてるけど、意味がさっぱり分かんない」


 なるほど。数学用語は言葉で表現すると、どうしても抽象的になってしまう。背理法に限らず、証明は数をこなして慣れるしかない。


「例題もよく分からないんだよね。pとqは互いに素であるって何?」


 愛華はそう言って、該当のページを指差した。そこには√2が無理数であることの証明が記載されていた。背理法の例題では高い確率で載っている。


 √2を有理数と仮定して、√2=q/pとする。pとqは整数で互いに素。

 2p 2q 2より、qは偶数。

 qを2r(rは整数)として上式に代入すると、pも偶数であることが分かる。

 これはpとqが互いに素であることに矛盾する。

 したがって、√2は無理数。


 ……式がところどころ省かれてるな、初見で理解するのは難しいかもしれない。

 

「まず互いに素は、2つの数の最大公約数が1という意味だ。2と3、7と10みたいにな。ちなみに、分母と分子が互いに素である分数は既約きやく分数と呼ぶ。(すで)に(約)分された(分数)。そのまんまだろ?」

「確かに」

「次に、2p 2q 2だが、qが偶数なのは分かるな?」

「さすがにそれは分かるよ。qが奇数だったらq 2も奇数になっちゃう」

「その通り」


 ざて、ここから先をどう説明しよう。……参考書通りにいくか。


「ここでq 2に戻るぞ。qは偶数だから当然2で割れる」

「そうだね」

「qを2で割った商をrとすると、q 2はどう表せる」

「えーと……q=2rだから、q 24r 2?」

「正解。これを2p 2q 2に代入すると2p 24r 2だ。両辺を2で割ると、p 22r 2」 


 そこまで言って、愛華は合点がいったのか、「ああ、なるほど」と呟いた。 


p 2は偶数だからpも偶数で、q/pが約分できる」

「その通り。これで√2が無理数であることが証明された」

「参考書の説明より分かりやすい。和人、先生になれるんじゃない?」


 そうだろうか。俺はただ単に説明が不足していたところを補っただけだ。多くの教科書や数学書に載っているスタンダードな証明だから面白味はないが……。

 

「背理法による証明にはもう一つ、素因数の数を比較する方法がある」

「素因数って素数の約数だっけ」

「そう。証明は途中まで一緒だ。念のために説明を追加しておく」

  

 √2を有理数と仮定して、√2=q/pとする。pとqは整数で互いに素。

 両辺を2乗して、2=q 2/p 2

 両辺にpを掛けて、2p 2q 2


「ここから先が違う。その前に事前準備だ」


 平方数(2乗数)は素因数の数が偶数個という性質がある。

 4=2 2 素因数2が2つ。

 16=2 4 素因数2が4つ。

 36=2 23 2 素因数2と素因数3がそれぞれ2つ。


「これがどうしたの?」

「この性質を利用して、2p 2q 2の素因数2の数を比較する」

「2の数を比較?」

「ああ。q 2の素因数に2が何個あるかは分からないが、平方数だから偶数個であることは分かる」

「事前準備のところに書いてたね」

「ここで問題、2p 2に素因数2は偶数個と奇数個のどっちだ?」

p 2は平方数だから偶数個で、2p 2は素因数2がもう1個あるから奇数個」

「正解。つまり、q 2と2p 2は素因数の数が違うから矛盾している」

「だから√2は無理数ってことね」


 俺は頷いた。


「余談だが、2012年に京都大学の入試で   3√2(2の立方根)が無理数であることを証明せよ』という問題が出題された。お前に説明した方法で証明できる。平方根が立方根になっただけだからな」

「京都大学!?」

「そんなに驚くことじゃない。素因数の数を比較して証明してみよう」


 まず   3√2を有理数と仮定して   3√2=q/pとする。pとqは整数で互いに素。

 2=q 3/p 3より、2p 3q 3

 

「今度は立方数だから、√2と同じようには行かない」

「それじゃあ、解きようがないじゃん」

「解けるさ。立方数は同じ数を3回掛けた数だから、素因数の数は3の倍数になる。2 3は素因数2が3つ、6 2の素因数は2と3がそれぞれ3つある」

「なるほどね。ということは、q 3の素因数には2が3の倍数個あるけど、2p 3の素因数は2が1個余分にあるから、2の個数が3の倍数にならなくて矛盾する」

「そういうこと」


 どうやら要領が分かってきたようだ。と、安堵しかけたところで、愛華がふいに言った。


「少し思ったんだけど、背理法以外で√2が無理数であること証明できないの?」


 それは俺も考えたことがある。ただ、直接証明するのは難易度が高いのだ。


「……背理法じゃないかどうかは微妙だけど、1つだけ思いついたのがある」

「何?」

「√2は2乗したら2になる数だよな」


 俺の意図が分からないのか、愛華の表情が険しくなった。


「2は分数で表すと(1ぶんの2)だから分母は1。ということは、√2の分母は1、もしくは-1だ」

「そう……だね」

「分母が1と-1のどちらであっても、√2を分数で表すと分子は√2だ。有理数は分数で表せる数のことだが、分母と分子は整数でなければならない。√2は整数じゃないから、√2は分数表記ができない数。つまり、無理数ということになる」

  

 ……いや待てよ。はん分数(分母と分子が分数の数)は有理数だから、この証明は正しいとは言えない。それに分母が1というのも……やはり背理法なしで証明するのは難しいな。

 背理法を嫌う人は一定数いるが、有効な証明法であることは確かだ。

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