人よ人よ

「知らない人間を家に招き入れてはいけない」


「でも一回すでに侵入された仲だし…」


銀色狼さんは、また鼻をピス…と鳴らした。

どうやら困っている時に、ちょっと鼻が鳴るらしい。

とりあえず鞄にチャグを入れてやると、帰宅直後のミルクを予感してか大きく鳴き始めた。


「ヂ!ヂィイ!」


「ちょ、うるさ…」


最近力が強くなってきたチャグは、カバンの蓋を閉めてもグリグリと頭を押し出し顔を出してしまう。

しっかりと空間を確保した上で大音量で鳴くのだから、始末におえない。


「ヂーーー!!」


「ああもう、わかったから」


ここに来るまでに一度ミルクをあげてしまったから、哺乳瓶は汚れている。

さっさと家に帰って、作ってやらなければ。


「あの、本当に屋根と壁があるくらいなんですが。ここよりはマシだと思うので」


暴れるチャグを抱っこして歩き始めると、背後の気配が躊躇いがちについてきた。

そこまで迷惑には思われてなかったようで、ほっとする。

草地を踏み締め藪を抜け、我が家へと戻る。

扉を開けて家に入ると、銀色狼は遠慮しながらも入ってくれた。


「チャグのミルク終わったらお茶出しますね、適当にくつろいでてください」


「……わかった」


台所に立って、まずは哺乳瓶を洗う。

背後でチャグが急かす声をあげた。


「ヂ!ヂァウ!ヂィイイ!!」


「待って待って」


「ヂーー!」


「…………静かに」


銀色狼の落ち着いた声を最後に、チャグの声が途切れる。

ちらりと後ろを見ると、居間のソファに座った銀色狼氏が、バスケットの中で暴れていたであろうチャグの顔を撫でていた。

チャグの方も満更ではないのか、彼に撫でられている間は私に鳴き声を上げるのやめたようだ。

恩返しのつもりで家に招いたのだけど、面倒を見られてしまっている。

洗い終えた哺乳瓶に手早くミルクを作り入れ、チャグの元に歩み寄った。

食べ物の匂いが近づいたことを察したチャグが、銀色狼の手から離れて私の方に寄ってくる。

哺乳瓶の先を口元に持っていくと、旺盛な食欲そのままにミルクを飲み始めた。

チャグが静かになったせいで、微妙な沈黙が私たちの間に降りる。


「どうしてこの獣を、一人で育てている?」


沈黙に耐えかねたわけではないだろうけれど、銀色狼がぽつりと言葉を落とす。

どうして一人で育てているかなんて、私の方が知りたい。


「森でキャスパのお産に立ち会ってしまって」


「よく生きて帰ってこれた」


「私もそう思います」


なんでそうなったのか、正直よくはわからない。

当時の私は生きるか死ぬかでろくに考える暇もなかったし、今は今でとにかくチャグを死なせないように頑張っているだけだ。

子猫だって子犬だって子ウサギだって、一度抱いてしまえばもうおしまい。

見殺しにするなんて選択肢は、存在しないのだ。


ミルクがなくなっても哺乳瓶から口を離さないチャグを、無理やり手で引き剥がす。

抗議の声が聞こえたが、ないものはないのだ。

そして哺乳瓶の乳首部分を頻繁に買い替えるほどの財力も、私には全くないのだ。

チャグを片手でひっくり返してお腹を確認すると、ぽんぽこりんである。

十分に飲めたと判断し、哺乳瓶をさっさと洗ってしまった。


ついでにお湯を沸かして、お茶を入れる。

食べ物がろくにない我が家にも、人に振舞うお茶ぐらいはある。

ついでに言えば、それ以上の物は特にない。

勢いで家に上げてしまったが、向こうも私が裕福でないことはひしひしと感じているだろうが、慌ててしまう。


とりあえず今夜のご飯は、かさましさせよう。

いつもより多めにパンを切り分け、塩漬け肉の塊を二人分削り出す。

それから鍋に作っていたスープをギリギリ足りた器に入れたものを供した。


「あ」


そうだ。モリーさんから、お土産にりんごをもらっていたのだった。

私が動くと耳をぴるぴる動かす銀色狼氏の前で、デザートとしてりんごを剥いてお茶と一緒に差し出した。


「これ……モリーさんからもらったリンゴです」


どうせこの量では彼には不足だろうし、このりんごは全部この狼が食べればいい。

銀色狼は何度か瞬きしたあと、大きな両手でりんごの乗った皿を受け取った。


「ありがとう」


「いいえ」


自分も横並びにソファに座り、なんとなく気まずい空間の中で食事した。

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