第一村人はこの私

「せ、先日はどうも」


「ああ」


とりあえずお礼を言うと、銀色狼の男性は全く気負う様子もなくうなずいた。

私たちの足元で、程々に燃える焚き火がパチパチと小さく鳴っている。

鞄の中でチャグが、大きな声でヂ!と鳴いた。

金色の目がそれを一瞥して、それから炎の方へと戻る。


「元気そうだ」


「はい、おかげさまで……」


沈黙。

チャグだけが、何かを訴えかけるようにヂィヂィと鳴いている。

しかし私は、この鳴き声の意味を大体わかっているのだ。

この毛玉、銀色狼さんの匂いとミルクごはんを結びつけたらしい。

彼の気配を察知し、ミルクをもらおうとあんなに懸命に鳴いたのだ。

多少かさの減ったお腹を突いてみる。

確かにもうそろそろあげてもいい頃合いだが、まだ大丈夫だ。


「ヂィイ!」


声がでかい。

鞄から出して、とりあえず膝に乗せてやる。

頬の辺りをくすぐってやると、そっちに気を取られたのかチャグは手とじゃれ始めた。

まだ爪の出し入れができないせいでちょっと引っかかって痛いが、このくらいはどうと言うこともない。


「今日は野宿なんですか」


「ああ、実家から追い出された」


火がはぜる。

気に刺している何かは、あまり正視したくないがイモリの黒焼きのようだ。

とはいえこの世界に、イモリがいるかなんて知らない。

要するに、トカゲ状の何かだ。

今までの生活では見なかった食べ物だが、これは一般的な食糧なのだろうか。

だったら、この世界で生きていく自信が一気に消失する。

まぁ、元々自信なんて全然ないんだけど。


さて私は、ちょうど今日実家から追い出された男性の話を聞いている。

彼は久々に里帰りをした結果、それまで全く連絡をよこさなかったことを咎められ、家への出入りを禁じられたらしい。

シーズン柄宿を取ることもできず、こうして野宿を決め込んだのだとか。

そんな話を聞かされて、脳裏によぎるのはさっき別れたばかりの中年女性の顔だ。


「あの、モリーさんとこの家出した息子さんって」


そこまで言って銀色狼の顔をチラリと見ると、金色の目がぱちぱちと瞬いた。

彼の大柄な身体に隠れて見えないが、その後ろで草を擦るような乾いた音が一度聞こえた。

おそらくは、あのふさふさした尻尾が振れたのだろう。


「母たちを知っているのか」


「はい、皿洗いなんかを短時間でやらせてもらってます」


そうか、と端的な言葉が帰ってきた後、沈黙が降りてくる。

流れで火を一緒に囲むことになってしまったが、気まずい。


「その……ところで先日は、どうしてうちに居たんですか」


鍵もしっかりかけていたはずの我が家に、侵入した挙句世話を焼いてでていくとは。

全く目的が分からなくて、逆にちょっと怖い。

あのあと家を軽く確認もしてみたけれど、物を盗られた気配もなかった——そもそも、盗るような物もない家だが。

銀色狼はまた瞬きをしてから、ふす、と鼻息を鳴らした。


「聞いてないか」


「はい?」


「あそこは、母たちと俺が住んでた家だ」


そうなんだ。

意外すぎて、コメントに困る。

確かにモリーさんには、その話は聞いていない。

そもそもただの一時的な雇用関係なのである、家が正確にどこにあるかなんて話はしない。


「つまり、我が家に帰ったつもりで入ったら全く知らない人間であるところの、私が寝ていたと」


コクリ、と静かに頷かれた。

だんだんわかってきたが、この人はかなり物静かな性質たちであるらしい。

しかしどんな気分なのかくらいは、自然とわかる。

人間のような表情を持っていない代わりに、彼には耳と尻尾があるのだ。


「それはさぞ、驚かれたでしょうね……」


またも、無言で頷かれた。

実家に帰ってきたつもりが、知らない女が住んでいた上に熱を出していたのだ。

私は彼が入ってきた瞬間にはさっぱりと気づいてなかったので、そのまま出ていけばよかったのに。

この銀色の静かな狼は、そうしなかった。

つまり、余程のお人好しである。


「あの」


人に提案をするのは、勇気がいる。

膝で遊んでいたチャグはだんだんと飽きてきたのか、今は私の指を歯のない口で噛みながらうとうとしているようだ。

あとでミルクを飲ませる時、眠さで機嫌が悪くならなければいいが。

食い意地は張っているやつなので、大丈夫だと信じたい。


「うち、部屋余ってるので泊まって行きませんか」


なんのお構いもできませんが…と付け加えたかったが、この世界の言葉でどう言い回せばいいのか分からなかったのでそれは諦めた。

私の言葉に、再び金の目を瞬かせる。

若干困惑したように耳を下げ、銀色の狼はピス…と鼻を鳴らした。

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