ある日森の中
「息子がねえ、帰ってきたんだよ」
「息子さんが」
皿を洗う手はそのままに、適当な相槌を打つ。
モリーさんの方も料理に忙しいので、この世間話に真剣さは求められていないのだ。
そろそろお腹が空き始めたチャグだけが、背後で真剣に鳴いている。
最近は少し体も大きくなってきたので、ちょっとの間要求を無視しても大丈夫になった。
だから、今はお昼時のピークが終わるまで手を止めない。
「十年前に飛び出してったきり、音沙汰なしだったんだけどね。ったく、どこほっつき歩いてたんだか。まぁ、生きてて良かったけど」
モリーさんの息子さんは、結構前に家出していたらしい。
それから十年も連絡がなかったのなら、この世界では死んでいる心配もあっただろう。
何しろ、一度街を出ればモンスターがいる世界だ。
「ほっとしましたね」
「ほんとのところはね。しかし十年も手紙すら送ってこないのは、どうかしてる。ウチのとも話し合って、しばらくは家に入れてやらないことにした。ま、十年旅してたらしいから野宿でも余裕でしょ」
ハン!と鼻を鳴らしてから、モリーさんが皿に盛った料理をホールの受け渡し口へと、持っていく。
この街は小さいので、宿も小さい。
今は確か巡礼旅行者の集団が来ていたので、もう部屋は無いだろう。
総合ギルドに、彼らの世話をする依頼が来ていたのを見た。
久々に帰ってきた息子さんは、モリーさんのいう通り野宿で過ごすことになるだろう。
せっかく家族で顔を合わせられたのだから、変な意地を張らず会えばいいのにと思うけど、まぁ人の家の問題だしな。
変に口を挟んで、ちょうどいい短時間の仕事をもらえなくなっても困るし。
昼の混雑時間が終わり、まかないをもらって帰る。
内容が胃に優しいリゾットだったのは、そのままモリーさんの優しさなんだろう。
働いただけちょっと調子は悪くなったが、お給料とともにご飯が食べられたのは良かった。
その上おまけとして、りんごを一ついただいてしまった。
一番寒い時期は終わったが、まだ日が落ちるのは早い。
まだ昼過ぎくらいだけど、気温はすっかりと落ちていた。
早く帰ろう、このままではもう一度体調を崩してしまう。
中心街の方から家に向かってのたのたと歩いていると、人通りのない道に入ったあたりでカバンからチャグが頭だけを出して空気をふんふんと嗅いだ。
最近は、ちょっと活動的になっている。
ここはもうほとんど町外れなので、チャグが嗅いでいる方向には茂みしかない。
そこに分け入っていけば、親キャスパと追いかけっこした森だ。
今までにないチャグの様子に、何事かと見守る。
「ヂィー!!」
「うわびっくりした」
何を嗅ぎつけたのか、チャグがいきなり興奮し始める。
茂みの向こうに行きたいらしく、短い手足をバタバタして暴れ始めた。
まるで、私がミルクを作ってるときみたいな反応だ。
まだまともに動けないとは言え、最近は力も強くなってきた。
頑張れば、鞄の外に落ちるくらいはできそうだ。
そうなられても困るので、チャグの行きたい方向に足を進める。
何が機になるのかは知らないが、茂みの向こうくらいまでなら行ってやってもいいだろう。
「ヂー!ヂィィ!」
「森の中にはねえ、ミルクなんてないんだよ」
茂みに足を踏み入れる。
ガサガサと派手な音が鳴ったけれど、あんまり気にする必要はない。
この辺は十分人間の縄張りだから、脅威となるような生き物はいないはずなのだ。
「ヂィ!ヂ!」
「まだ奥?あと五歩だけね」
あまり奥に入ると、また森狼に見つかるかもしれない。
あんな思いは、二度とごめんだ。
まだ激しく前に行こうとするチャグの丸い頭を撫でながら、一応周囲に気を払いつつ歩いた。
「いち、に、さーん…あれ?」
五歩に到達する前に、木々の間から見慣れないモノが見えた。
二段ほど積んだ石で囲んだ焚き木と、それの前に座って棒に刺した何かを焼く人影。
私が気づく前からこっちを見ていたらしい金色の目が、一度きょとんと瞬いた。
見間違えるはずもない、銀色の毛並み。
「あ、この間の」
不法侵入者、とは一応口に出さないでおいた。
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