眠たいこと猫のごとし

この世界に来たばかりの異世界人は、とにかく金がない。

当然だ、基本着の身着のままで来ている。

よしんばアクセサリーなどを身につけていたとしても、そこそこに豊かなこの世界において、生活を支えるほどの価値にはなり得ない。

だから最初は、国の補助を受けて暮らすことになる。

非常に怒られそうな言い回しをあえてするのなら、先人たちがしっかりと社会的リスクとして活動したからこその補助だろう。

そういうわけで、私はしかるべき講習を受けた後にこの人口減少傾向にある街の、とある家族が住んでいたという街外れの小さな一軒家を自分の住処として与えられた。

元の住民は引っ越す時に、当然ながらいろんな家具を持ち出して行った。

しかし新調する際に売るにも値段がつかないほど古いものは、ありがたいことに放置して行ってくれたのだ。

そういうわけで、私の家にはとても古いベッドやクローゼットが備え付け家具として存在した。

生活のあてもなかった身分であるから、これにはとても助かった。

どういう家庭だったのかは、残った家具からはよくわからない。

ただ一部屋にポツンとあった大きな寝具をもとに想像すると、ここに大柄な人間がいたことは確かだろう。

おかげさまで、のびのびと寝れている。

枕元にチャグの入ったバスケットを置いていても、狭く感じないくらいだ。

これでここに、シンクがあればもっと最高だったのだけれど。

恵まれた寝台を持っているのにもかかわらず、チャグとそこで一緒に寝ていたのは最初の二日間くらいだった。

およそ三時間ごとに腹を空かせて身も世もなく鳴くチャグのミルクを用意するには、寝室は遠すぎた。

キッチンと隣り合ったリビングには、かなりへたったソファがある。

そこにペラペラの毛布を重ねて、即席のベッドとした。

多少足がはみ出たり、身体のどこかしらが傷んだりするが、背に腹は変えられない。

ミルクやり生活一週間を超えてからは、半分くらい寝ながら粉ミルクを混ぜる技を覚えた。

仕事の方も、なんとか食いつないでいる。

チャグのことを気に入ったモリーさんが、お昼の忙しい時には皿洗いとして呼んでくれるようになったのだ。

まかないも出るので、ありがたく頂いている。

油分や水分のあるものはここで食べて、パンなどの比較的持ち帰りが容易なものは持って帰って、晩ご飯にしている。

とはいえ、お昼時に出てくる給料と賄いだけでは厳しい。

日が落ちて涼しくなってからは、草むしりや野草取りなどの野外労働もする。

少し肌寒くても、懐にチャグを入れれば暖かい。

これは、ろくに防寒具もない私の活動時間が増えてありがたかった。

きつくないといえば全くの嘘だが、身体は徐々にこの生活に慣れていった。

要は、しんどかろうが身体が痛かろうが、動こうと思えば動けるのだ。


調乳をして哺乳瓶を口元に寄せると、チャグはいつものように勢いよくそれを飲んだ。

心なしか、日々飲む力が強くなっている気もする。

本物の猫なら三週間ぐらいで歯が生え始めるらしいが、キャスパなら果たしてどれくらいかかるのだろうか。

二本の短くて細い針金みたいな尻尾が、喜びの感情を表してかぴこぴこと揺れている。

心配事は絶えないが、この姿を見ていると投げ出す気にはならない。

赤子というのは、見た者の庇護欲を誘う形をしているという話を聞いたことがある。

なるほど、よくできている。


一日の仕事を終え、ソファに横たわる。

すぐそこにあるローテーブルに、チャグの入ったバスケットを置いた。

最近は、よく手足を動かして端っこ沿いにぐるぐる動いているようだ。

脱走事故を起こす前に、もう少し囲いの高い籠を用意すべきだろうか。

体力的にはかなり厳しいものの、不思議と充実している。

いつでも動けるように、チャグ入りバスケットの乗ったローテーブルには、ランタンも置いてある。

火ではなく魔石を光らせているから、火災の心配はない、らしい。

実のところこの辺はよくわからない。

最初にもらったハンドブックに、理屈を省略して書かれていたので、私にはその程度の理解しかできていないのだ。

余裕ができたらこの世界独特のエネルギーについても調べてみたいが、何しろ赤貧生活ではその日を乗り越えるので精一杯だ。

それに、ゆったりと考え事をしている暇はない。

寝るならさっさと意識を失ってしまわないと、腹が減ったチャグに起こされてしまう。


古びた毛布を被ってから、ランタンを消した。

魔石は長持ちしてありがたいけれど、買い換える時には結構な値段がする。


「おやすみ」


「ヂ……」


目をつむってそう言うと、チャグは小さな声で返事をしてくれた。

一足先に、眠っていたらしい。悪いことをした。

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