子猫のお腹はぽんぽこぽん

「へぇーっ!あんた異世界人かい!うちの町にもいるとは聞いてたが、まさかこの目で見ることになるとはねえ。しかももう子持ちなんだって?あはは!冗談だよ!うちの息子は独り立ちしちゃったんだけど、赤ん坊のころの大変さは今でも思い出すわ。うろつかせないなら、キッチンに置いたっていいよ」


私が相槌を打つ間もなく、嵐のように話が展開していく。

木々のカモメ亭の店主であるというモリーさんは、驚異的な親切さで私を迎え入れてくれた。

コトさんが持たせてくれたメモは、よほど良かったのだろう。


「今日はかき入れ時なんだけどけどね、バイトの子が昨日から風邪ひいちゃってさ。手が足りないからよろしく頼むよ。ここのジャガイモを剥いて頂戴」


「はい」


キッチンの端っこには、樽いっぱいのジャガイモがあった。

横には木箱を二段重ねた即席の椅子。

水道は使っていいらしいので、まずはありがたく哺乳瓶を洗わせてもらった。

それから蹴ってしまわないようにキッチンの角に、カバンを配置する。


「おとなしくしててね」


「ぢ」


とりあえず声をかけると、子猫は目の開いてない顔を上げて一言だけ鳴いた。

キッチンは暖かい。

子猫が冷える心配は、しなくていいだろう。

与えられた小さなナイフを使って、黙々とジャガイモを剥く。

ピーラーがあればもっと便利なのにとは思うが、この世界はそう言った細かい構造の商品はあまり見ない。

工場で大量生産みたいな文化がないからだろうか。


瑞々しいジャガイモは剥くたびに水分を滲ませ、私の手を濡らしていく。


「ヂィ」


「さっき飲んだばっかりでしょ」


「ヂィイ」


「待って」


「ヂイィ!」


「待ってって」


まだ仕事は始まったばかりなのだ。

休憩を取るには早すぎる。

足元に置いて挟んだバケツの中に、向いた皮を落としていく。

これがいっぱいになってゴミ箱に行く頃には、一度授乳休憩を取ろう。

休憩と言ったって、私にとってはまた別の労働だが。


よく手入れされたキッチンを、店主のモリーさんが忙しげにバタバタと歩いている。

私のような手伝いを雇ったとはいえ、たった一人でよく次々と料理を出せるものだ。

手元のじゃがいもをくるりと回し、剥き残しがないかを確認する。

元の世界のそれよりもいくらか白い実を眺め、良さそうだったので近くに置いたカゴへと入れる。

今は昼時より少し早いが、すでに木々のカモメ亭は客が入り始めている。


「鳥グラタン定食!」


「あいよっ」


ホールの方から威勢のいい声が飛んできて、モリーさんの方も勢いよく返事する。

すでに仕込んであったらしいグラタン皿を大きな冷蔵庫から取り出して、大股で歩いてオーブンへと入れているのをぼんやりと眺めた。

その道すがら、モリーさんがちらりと子猫の方を見る。

笑い皺のできた顔が、あからさまに崩れた。


「猛獣の子供だってわかってるんだけど、赤ちゃんの頃はやっぱりかわいいねえ」


「ヂィ」


モリーさんの言葉に反応するかのように、毛玉が鳴いた。

手早く洗い物をしながらも、彼女は目元を細めて笑う。


「名前はあるのかい?」


「んん、実はまだ決めてなくて」


「おやま」


毎日の料理でたくましく鍛えられた腕を腰に当てて、モリーさんがじろじろと毛玉の方を見る。

確かに、名前がないと不便だ。

いつまでも毛玉毛玉とは、呼んでいられない。

しかしいざ名前を考えようと思うと、これが案外思いつかないのだ。


「シンプルにクロでいいですかねえ」


「近所の猫にもいるよ、クロ」


「あー」


この世界には不思議なことに、日本語と音と意味が合致している言葉がある。

おそらくは遥か昔から時々やってきていた異世界人——つまり私のような人々がいたせいで多少文化が混ざっているのだろう。

クロという言葉も、その中のひとつだ。

ありふれた名前なことは理解していたが、流石にご近所さんとかぶるのはややこしいかもしれない。


「あんことか…」


「アンコ?なんだいそりゃ」


「豆と砂糖…砂糖かな多分。を煮て?ペーストにした?甘いやつ…」


いざ説明させられると、アンコについて何も知らないな。

モリーさんも、不思議そうな顔をしている。

別にアンコが好きだったわけでもないし、これもパスだ。

足元のバケツに、皮が溢れるほど入った。

とりあえずそれを業務用の大きなゴミ箱に放った後、手を洗ってミルクの用意をする。

事前に使っていいと言われていたので、空いてるコンロを借りて水を温める。

私が動き出した気配で察したのか、背後で毛玉がヂィヂィ鳴いた。

モリーさんが、動物が好きなようでよかった。

あるいは、ギルトの受付であるコトさんが分かっていてここを紹介してくれたのかもしれないが。

ていうか、別に色にまつわる名前の必要はないか。

タマとかポチとかでも、近場の生物と被っていなければ必要十分である。

お湯を容器に入れて粉を混ぜ、これで準備は完了だ。


「ヂィ!」


食事の気配を感じて、毛玉はますます活発になる。

頭を支えて哺乳瓶の口を近づけると、まるで一週間も飲まず食わずだったかのような態度で、猛然と飲み始める。

口の端から多少ミルクをこぼしながら飲む姿は、安穏と養われている生き物にはとても見えない。

とうとう作業の手を止めて背後から子猫を眺め始めたモリーさんが、小さく歓声を上げた。

ちゃぐちゃぐと派手な音を立てて、子猫は瓶の中のミルクが消えるまで口を離さず飲んだ。


「あ、チャグでいいか」


安直だねえ!というモリーさんのコメントが、厨房の中で響いた。

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