【新たなる冒険の大地】サーバーに宿る幻想②

〈エルダー・テイル〉。オンラインゲームをかじっているやつらなら誰だって知っている。二十年以上前にリリースされて以来、サポートがつづけられてきた人気MMO–RPGだ。

 売りは現実の二分の一の大きさの地球を再現する〈ハーフガイア・プロジェクト〉。全世界のプレイヤーは、自分の馴染みのある国と地域を舞台に、剣と魔法の冒険譚ぼうけんたんを楽しめる。

 けれど、昨今流行りのVRなんかではもちろんない。

 昔ながらの、ありふれたMMO–RPG。

 そのはずだった。

 あの〈大災害〉が起きるまでは――。

 十二番目の拡張パック〈ノウアスフィアの開墾かいこん〉。そのアップデート日に、ボクをふくめ多くのプレイヤーがサーバーにあつまった。だが、そのとき事件が起きたのだ。

 目を覚ましたボクたちは〈エルダー・テイル〉の世界に閉じ込められていることに気がついた。冗談なんかじゃない。文字どおりの意味だ。グラフィックボードの上で踊る人形にすぎなかったはずのCGが、自分たちの身体になった。1と0の電子情報でしかなかったはずの世界が、たしかな手触りをもった現実そのものとして、ボクたちの目の前に広がっていたんだ。


 もちろん、大パニックが起こった。

 この〈大災害〉がいったいなぜ、どれほどの規模で起こったのか。今もってその全貌は謎のまま。だけどこの日本……ヤマトサーバーにおいては〈ノウアスフィアの開墾〉導入時にログインしていたおよそ三万人のプレイヤーが、西洋ファンタジー世界にほうりだされたらしい。

 でも絶望的なことばかりじゃなかった。ボクたちはプレイヤーキャラクターである〈冒険者〉の能力を、そっくりそのままもっていることに気づいたんだ。特技やアイテムは使えるし、身体能力は人間離れしている。そしてなにより〈冒険者〉は死なない。死亡しても、経験値ペナルティと引き替えに復活することができる。文明の恩恵を失ったひ弱な現代人たちが、大自然の脅威の前にバタバタ倒れていくっていう大惨事はまぬがれたわけだ。

 とはいえ、元の世界に帰る方法はまったく見当もつかなかった。そしてなにより行き場も目的もない、何万人もの人間がひしめいているのだ。問題が起きないはずがない。

 だからボクたちのいるホームタウン、アキバは自治組織をつくった。

 それが〈円卓会議〉だ。

〈大災害〉が起きてからすでに十ヶ月あまり。

 ボクたちは今も、この幻想の大地で生きている。


 アキバの街の北方にそのギルドハウスはある。六階建ての雑居ビルの中央を突き抜けるように大樹が枝を伸ばしている。住み心地はどうなのか知らないが、ビジュアル上の迫力は満点だ。

ギルドの拠点としてはけっして大きいほうではないが、これが十人にも満たない超零細ギルドの拠点なのだといえば、誰もが驚くだろう。

〈記録の地平線ログ・ホライズン〉のギルドハウス。

 ここに〈円卓会議〉の黒幕と称される男がいる。

 アキバの自治組織〈円卓会議〉は、この街を代表する十一のギルドからなっている。アキバを代表する……といっても、ただ単に規模が大きいギルドが名をつらねているわけではない。

「アキバで暮らす〈冒険者〉たちの代弁者」である十一ギルドは、半数ほどが中小ギルドから選ばれているのだ。

 ギルドっていうのは、〈冒険者〉たちが結成するチームのこと。

 その規模は数人から数百人までさまざま。

 でも、それにしたって所属メンバーが十人にも満たないなんていうのは、十一ギルドの中でここ〈記録の地平線ログ・ホライズン〉だけだ。伝統ある他のギルドとくらべ、〈大災害〉から〈円卓会議〉までの短期間で急遽きゅうきょ結成された若い組織だ。本来であれば、そんな新興零細ギルドが、円卓に呼ばれるはずがない。それでも〈記録の地平線ログ・ホライズン〉が十一ギルドのひとつとして君臨しているワケは、ひとえにギルドマスターにある。

 

〈大災害〉の翌年、三月。

 季節は巡り、そろそろ春を迎えようとしていた。

 執務机の上には、まるで高層ビルのようにうずたかく書類が積み上がっている。パソコンがオフィスに普及した元の世界を見なれた目には、こんな光景はいかにも時代がかったものに映った。

 そこから顔をあげるひとりの男。

 印象は…… 眼鏡めがね

「やあ、いつもいつも悪いね」

 二枚のグラスのむこうで、三白眼の目尻が下がった。「いえ。シロエさんはうちのお得意さんですから」とボクは挨拶をかえす。

〝腹ぐろ眼鏡〞のシロエ……。

 この人こそが〈円卓会議〉の発起人だ。

 シロエさんが表立ってアキバのプレイヤーたちの前に姿をあらわすことは少ない。強豪プレイヤーとして武名をほしいままにしてきた〈D.D.D〉のクラスティさんや〈黒剣騎士団〉のアイザックさん、中小ギルドの支持を集める〈三日月同盟〉のマリエールさんなどなどの、そうそうたる面々に比べると、いかにも地味で目立たない存在だ。すくなくとも駆け出しプレイヤーや、〈自由都市同盟イースタル〉の貴族たちなどはそう思っているんだろうな。


 でも、ベテランプレイヤーたちの見解は違う。やつこそが最重要人物なのだ。これまでの〈円卓会議〉の決断のかげには、常にこの男の影があった。けっして表舞台には立たず、アキバを手の平でもてあそぶ黒幕なのだと……。

 もともとシロエさんはけっして無名なプレイヤーではなかった。二年前に解散した凄腕プレイヤー集団〈放蕩者の茶会デボーチェリ・ティーパーティー〉……そのひとり。ヤマトサーバー攻略ランキング三位の偉業は、彼の指揮能力なしにはありえなかったという。

 しかしそれほどの腕前をもちながら、シロエさんはこれまでいかなるギルドにも属することなく、ソロプレイヤーをつらぬいてきた。そのシロエさんが〈大災害〉直後に、満を持してつくりあげたのがこの〈記録の地平線ログ・ホライズン〉なのだ。

「すっかりギルマスが板についてきたみたいだね、ユーマ」

「ええ、なんとかかんとか」

「わたしっていう頼もしい右腕がいますから!」

 隣に立つドピンク頭が、Vサインをする。

 なにが、右腕だよ。もう、調子いいんだからなぁ。

 でも、まあ。

「仲間がいますから。役割分担でなんとかこなしてます」

 ピンキーの営業能力なしじゃ、うちは立ちゆかないのは、たしかだしね。


「はは、僕も同じだよ。ギルドつくったはいいけど、〈円卓会議〉の仕事が山積みでね。結局、ギルドのほうはみんなに任せっきり」

「ギルドのお父さんは大変ですね」

「夕食の時くらいしか、顔合わせないからね。五十鈴いすずさんには『カレー食べてる人』くらいに思われてるんじゃないかなぁ」

 人の良さそうな顔で笑う。

〈円卓会議〉のテーブルや、演説の壇上では、人間味を感じさせない官僚肌の怜悧れいりな人物に見えた。しかし、こうして日常の舞台にいると、どことなく気がぬけたかんじだ。

「……でも、子供たちがいなくてさびしいんだ? 最近静かだもんね。ギルドハウス」

 ピンキーがあたりを見回すと、茶化すように言った。

〈記録の地平線ログ・ホライズン〉の若手メンバーたちは今、みんなで遠征に出かけているそうだ。〈魔法の鞄マ ジック・バッグ〉の素材を集めるために、レッドストーン山地へ。およそ二十日ほどアキバを留守にするという。

 年少組および食事番であるにゃん太班長の不在もあって、〈記録の地平線〉の大人たちはこの二十日間を思い思いに過ごすことにしたようだった。アカツキさんとてとらさんも、昨日から水楓すいふうの乙女たちの「お疲れリーゼさんを強制的にリラックス作戦」に出陣中だ。

 シロエさんは感慨深そうに、つぶやく。

「不思議だよね、ギルドって。なにげない理由で人が増えて、いなくなるとさびしくなる。昔は誰もいなくても、平気だったはずなのにね。ギルドをつくってみて、はじめて学んだよ」

「シロエさんほどの人でも、学ぶことがたくさんあるんですね」

 ボクもギルドをつくったことで、なにか学べたんだろうか。

 そのときふとシロエさんは、考えこむボクに……いやボクの頭に目をとめた。

「……あ、ユーマ、髪型変えた? ええと、似合ってるよ」

「……え? ど、どうも」

 シロエさんの思わぬ賛辞に、虚をつかれる。

 そうなのだ。結局、ピンキーは元に戻すのを許してくれず、今もボクの頭には髪タワーがそびえている。うう。今夜、お風呂でがんばって解体しよう……。

「あ、シロエさん。そーゆーところ気がつくようになったんですね。さすがモテモテのギルドマスター」とピンキー。

「いやぁ、この前うちのギルドに入ったてとらさんに言われてさ。ギルマスはこういうところも気をつけなきゃって。処世術だよ」と得意げにシロエさん。

「うんうん。学んだんだねー、シロエさんも」

「いやいやいや、『髪に気づいた自分すごいめて』みたいな得意げな顔しないでください。

うれしくないですよ。これはピンキーが勝手にやっただけですからね !?」

 ボクの猛抗議を、ふたりは華麗にスルー。

 

「かわいいでしょ!」

「いいんじゃないかな」

 上機嫌でシロエさんにハイタッチをかますピンキー。

「うれしくねー……」

 くちびるをとがらすボク。

 まあ男らしさが欠如した顔立ちだっていうのは、自分でもわかってるんだ。ずっとそうだった。だから〈エルダー・テイル〉でキャラメイクをするときは、リアル友達にバカにされない程度に、自分の願望を上乗せして、男らしい男をデザインしたはずだったのだ。

 しかし〈大災害〉はボクの気を配ったデザインを台無しにしてくれちゃったのだ。あああ、今思えば、〈ヒューマン〉っていうのがミスチョイスだった! リアルの自分がそのまま反映されてしまう。おまけに単なる童顔ひょろもやし(自虐)が、絶妙に美化されて……。

「じゃあ、ヒゲつけたり、筋肉盛ったりしたら?」と提案するシロエさん。

「いえ、むきむきマッチョはちょっと」

 それに対して、ボクはもごもご曖昧あいまいにごまかす。

 まあ……実は〈外観再決定ポーション〉を使って、こっそりやってみたんだけどね。身長はリアルに合わせないと運動に差しさわるから、他の項目をちょちょっと。

 でも、すぐに戻した。


 首だけもやしにすげ替えた、不気味なマッチョキャラがそこにいた。

 バランス最悪。目鼻立ち変わらないんじゃ意味ないよ!

「あー、シロエさん、ダメダメ! シロエさん、変な誘惑しないでよ! うちのギルマスは一生このままなの !!」

 ピンキーがボクを抱きしめ、勝手なことをのたまう。

 ああ、完全におもちゃにされてる。

 かように威厳もへったくれもないギルマスなのであった……。

「お、ユーマ。攻撃力高そうな頭してるじゃないか。ドリルっぽくて、頭突きとか超強そう。カッコイイ祭りだぜ」

 目の前に湯吞が差し出される。

 そちらを見やると、大柄な青年が気持ちのいい笑顔を浮かべていた。

「あ、直継なおつぐさん。ども〜」とピンキーが陽気に手を振る。

「よう、あいかわらずだな、おふたりさん。ほい、班長直伝ミックスフルーツ黒薔薇茶」

 百八十センチという日本男性の平均をかなり上回る身長。そこにがっしりとした骨格と筋肉がまとわりついている。まさに古強者ふるつわものといった印象だ。肉体の壮健さと強さに相関関係のない〈冒険者〉において、こうした無骨な体軀たいくの持ち主は珍しい。

 けれどそこにのっかってる頭は、ぜんぜん威圧的じゃない。むしろその気さくな笑顔は、どこか親近感を喚起する力がある。


「今日の〈記録の地平線ログ・ホライズン〉はむさい顔ふたりかー。アカツキちゃんとてとらちゃんのコスプレのサービスもなしとは……」と湯吞をうけとりながらのたまうピンキー。失礼な口のききかただな。でも直継さんは気にした様子もなく、こたえる。

「贅沢な客だなぁ、おい。今回の仕事は、ここにいる四人でパーティー組むからな。むさい男祭りにも慣れてもらうぜ」

「そうなの?」

 直継さん。シロエさんと同じ元〈放蕩者の茶会デボーチェリ・ティーパーティー〉のメンバーだ。メイン職業は〈守護戦士ガ ーディアン〉。

〈茶会〉解散をきっかけに引退した……なんて噂も聞いていたけれど、〈大災害〉にきっちり巻き込まれてしまったらしい。

 シロエさんと違って裏表のない、見たまんまのタイプだと思う。でもピンキーいわく「こういうムードメーカーこそが、いちばん気が遣えて、空気を読んでるのよね」ということらしい。たしかにもっともらしい。直継さんという潤滑油なしに、シロエさんが策略を円滑にすすめることは難しいだろう。

 シロエさんと直継さんが〈茶会〉解散後もこうしてつるんでいるのは、きっと互いの欠けているところを補うことができるからなのだ。名コンビというやつだろう。

「私たちみたいにね」


 ボクの心の中の声に、ピンキーが勝手に割り込んでくる。毎度毎度、なんでこいつはこう的確にボクの考えてることがわかるんだろう。そんなに顔にでやすいのか。ボクは自分の顔をぺたぺたさわって確認する。

「でも直継さんはともかく、シロエさんは〈円卓会議〉でめちゃくちゃ忙しいでしょ? 出かける暇なんてあるわけ? どーすんのこの書類の山」

 ピンキーがちょんとつつくと、隆起した書類山脈のがけ崩れが起こった。シロエさんは机からぶちまけられた紙束をどぶ色の目で見つめる。青くなるピンキー。

「あ、ごめ」

「いいんだ……書類はね、山になるんだよ。僕が仕事してもしなくてもどっちみち山になるんだ。逆賽の河原だね、ははは。だからちょっと後回しにしても問題ないんよ……うん」

 本当にだいじょうぶなのか……?

「ロデリックさんとも相談したんだけど、この調査任務はゲーム時代のイベントをクリアした経験者が参加すべきだって話になってね。〈鷲獅子グリフォン〉も使えるし、僕と直継がちょうどいいんだよ。それに……」

 シロエさんは立ち上がると、足元に舞い落ちた一枚の手紙を拾い、掲げてみせた。

「僕と直継が、名指しでご招待されちゃったしね。行くしかないよ」

「招待? いったい今度の仕事はなんなんです?」

ボクの問いに、〝腹ぐろ眼鏡〞の眼鏡が輝いた。


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